Rolling 40's VOL.99 自己責任
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text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.169 2016年12月号]
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VOL.99 自己責任
暖房もないようなところだが、そこから始まるバイク井戸端談義は楽しい限りである。するとそこにもう一人、バイクではなく四輪の外車を改造して楽しんでいる仲間がやって来た。
彼は私たちのように自ら手を油まみれにすることには、かなり抵抗があるという。
「危ないから、金を使ってプロに頼むべき」
言い方は優しいが、要はそういうことである。これは正論であると私は思う。
法律的なことを先に言うと、整備士免許のない者が、他人のバイクのブレーキなどの重要保安部品の分解整備を行ってはならない。また、整備を行う場所にも制限がある。しかし自分のバイクを自己責任で分解整備することは、安全基準の範囲で、違法改造でない限り自由なのである。
もちろん、それなりの経験がない限りは、誰にでもお勧めする気にはなれないが、法律云々の話においては問題ないのだ。
その前提の上で、バイクにおけるセルフ整備の重要性の話を進める。自分で行えということではなく、色々なケースがあるという話だ。
私の場合でいうと、オフロードバイクは、合法な範囲においての山奥や、有料フィールドの無人地帯に分け入るという特別な用途がある。現地での転倒による破損、エンジン不調、タイヤがパンクしたときなどに、自分で直せるか否かが大きな分け目となる。
普段からその車種の機構に慣れ親しんでおかないと、現地の悪条件下において修理や整備をすることは不可能だろう。
タイヤ交換はバイク屋に頼む場合が多いが、それは古タイヤの破棄が面倒だから頼むのであり、交換作業が出来ないから頼むのではない。また作業の感覚を維持しておくため、1年に2度くらいは意図的に自分でやってみたりする。
しかし大型のロードバイクの整備となると少し話は変わってくる。オフロード車よりも機械構造がはるかに複雑で、走行速度が何倍も高く、そのことから生じる多くのリスクを考えると、普通の方はそれなりのプロに任せた方が良いと思う。
ちなみに私は自分の大型バイクの整備は、ある程度の部分までは自分で行うが、そこから先は、その分野において特別と認めるプロに委託している。
また大型バイクでサーキットをモータースポーツ的に嗜む仲間は、長い直線では最高速度が300キロ近くになることもあり、全ての整備をレーシングユースに対応したバイク屋に委託している。その速度域にまで入り込むサーキット走行では、整備をプロに任せたバイクでないと、気持ちよくアクセルを全開に出来ないと言う。
意外と知られていないことだが、実は250ccという排気量が曲者である。車検が無いにも関わらず、車検があるバイクと同等、またはそれ以上の運動性能を持っている車種もあるからだ。
バイクはブレーキパッドの残量やエンジンの状態などを、クルマのように自動警告してくれない。だからこそ積極的な整備を必要とするのだが、この排気量は車検が無いため、無整備状態のまま公道や高速道路を走っているケースも多々あるのだ。
250ccのバイクは若いライダーが所持することが多く、予算的な問題からお店に整備を頼みにくいという面もあるだろう。そういうライダーたちこそ、予算に縛られないセルフ整備を正しく覚えてもらいたいと思う。もっと自分のバイクを楽しく整備するべきなのだ。
乗り物の整備はプロに金を払って行うべきだということに対する答えは、簡単に一つではない。実際に私自身も所有するバイクによって整備する範囲を分けているくらいであり、ひとつの答えでまとめてはいけないのだ。
また、日本の整備士免許についてのリアルな話をすると、整備士免許というのは等級の差こそあれ、取得しただけでは自動車教習所を卒業したばかりの新人ドライバーのようなものである。実際の知識や経験は、毎日バイクをいじっているバイクマニア以下であることも多い。
整備士免許があるからといって、その人が実践的な整備技術を持っていることにはならないのが現実だ。だから一部の大型店などでは整備士の技量のバラつきがあり、それがトラブルになっているという話も聞くことがある。
車検のお金を払えば、あとは知ったこっちゃないというのが、実際の日本人の感覚なのだろうが、オートバイに関する限り、私は油まみれの自分の手に染みついた感覚を信頼している。
text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968