松本 葉の自動車を書く人々 第3回 福野礼一郎

アヘッド 福野礼一郎

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私は自他共に認める福野礼一郎ファン。『ル・ボラン』、『モーターファン・イラストレーテッド』『ゲンロク』といった自動車雑誌に掲載される福野氏の記事を毎月、心待ちにしている。

text:松本 葉 [aheadアーカイブス vol.173 2017年4月号]
Chapter
第3回 福野礼一郎

第3回 福野礼一郎

■Raychiro Fukuno
1956年東京生まれ。自動車設計・生産技術・自動車工学・材料力学等々、自動車にまつわるあらゆる分野に精通する自動車評論家。航空機、兵器、銃器などにも造詣が深い。『幻のスーパーカー』(双葉社刊)、『クルマはかくして作られる』(別冊CG)ほか著書多数。氏の文章には熱烈なファンが多い。


といっても。

彼の記す内容が理解できるわけではない。福野さんの原稿のほとんどが私には難解。なのに読まずにはいられない。

福野さんの専門である自動車の枠組みを越え、自身が興味ある事柄を幅広く扱う連載『昭和元禄Universe』の第48話『宇宙ベアリング』【ゲンロク2016年5月号】が最近ではまったくわからなかった。再度、読み返したが、どこがわからないのか例をあげることすら出来ない。

これは、宇宙航空研究開発機構の人工衛星が搭載するリアクションホイールに関するレポート(だと思う)。わかったことは、衛星の軌道投入に成功した最新(取材当時)のX線観測天文衛星〝ひとみ〟には以前のアメリカ製に代えて国産リアクションホイールが搭載されている、という点のみ。

これだけでもよくわかったと我ながら感心する。ウソ。これくらいは誰でもわかる。肝心のリアクションホイールの仕組みや構造についてわかることは何もなかった。

福野さんの原稿は常に学問と現象、事実を基礎とする。自動車工学、運動性能、流体力学、材料力学、物理、科学に精通する彼は それら全てを動員して整理し俯瞰しながら理論を立てる。その理論は時に精神性にも及ぶ。

『(中略)クルマだってヒコーキだってプラモデルだって音楽だってファッションだっていい。徹底的に追求してみれば穴があくときがくる。真実に貫通する瞬間がくる。そのとき本当に信ずるに足るものが何か、きっと分かる。クルマが好きならそれを楽しむだけじゃなくて己れを高める手段として使わないテはない。私はそう思うな』【「後口上」より一部抜粋。福野礼一郎の宇宙/双葉社】

前述の通り、彼が語る物理も工学も私には理解不能。詳細を本質とすれば彼の原稿にわかることは何もないが、福野さんは〝寄って〟いるようで〝引いて〟いるのではないかと思うことがある。覗き込むように寄るとわからないが、離れたところから眺めると異なって見える、いや、読める。わからないことでも続けて読んで行くと穴が開く時があって、すこんと開いた穴の向こうに広い世界が広がる。

『たとえばいま一人の男が机の前に座って、ある過激で単純な主張を徹底的に展開してやろうと決めたとするなら、彼がこれから書く原稿はたぶんきっと面白い。/ややこしい現実、とりとめのない事実、ときには矛盾に満ちた現実のあれこれを真摯に誠実に正しくまとめようなどと考えているとしたら、そんな原稿は絶対につまらない』【「モデナ評論」冒頭より。またまた自動車ロン/双葉社】

この文に出会ったとき、〝原稿〟という部分が〝人生〟と読めた。

彼の原稿を読むたびに考える。

このヒトと自分は同じ種類の内臓、同じ仕組みの耳を持っているのだろうか。
彼には目がいくつあるのだろう。
どんな声を持つのか。
何を食べて育ったのか。
コーヒーと紅茶ではどちらが好きか。
猫と犬ではどうだろう。
湿気の多い夏より乾燥した冬を好むのではないか。

こんなことまで考えて、福野礼一郎という人間への興味は留まる場所を見出せぬまま歩き続ける。なにより、このヒトの脳はどんな構造になっているのか、これがもっとも知りたい。

だから。会いに行くことにした。


***


目の前に福野礼一郎がいる。

場所は東京虎ノ門 アンバサダーホテル、51階のラウンジバー。大きな窓の向こうに、くすんだトウキョウの街が広がる。

初対面の彼にいきなり「あなたの脳の構造が知りたい」と言うのも気が引けて、最初に「どうして福野さんは文章に句読点を入れないのですか」と尋ねた。

これでも十分、唐突だが、私の長年の疑問である。実際、彼の一文には句読点がとても少ない。『逆にスロットルを開けて流入する空気量を増しつつガソリンの量を増やせば爆発エネルギーが高まって回転スピードが増加する』 『ディスクブレーキのシステムでパッドを保持し左右から締め付ける役割をしているのがご存知キャリパーである』私なら最低3つは句読点を入れると思う。

「そうですね、句読点はあまり入れないです。すごく長い文章でも文法が正しければ句読点を2個打てば読めるはずだから。そういう文章を書きたいと思ってます。あとね、外来語を片仮名で書くのは当たり前ですけど、日本語の擬音を、たとえばぐたぐたをグタグタと片仮名で書くのはおかしい。エクスクラメーションマーク(!)もクエスチョンマーク(?)も入れないのは日本語じゃないからです」

返答は明快。在り来たりの言い方だが書くことへの強いこだわりが感じられる。

「必死で書いているんでよくわからないけど、(書くことを)舐めてはいない。ずっと変わらないのは真面目に書いているということ」

福野さんの原稿はグタグタ、いや、ぐだぐだしていない。迷いが感じられない。見切る、言い切る。「3つ目のお饅頭」という落語がある。お饅頭をひとつ食べ、2つ目を食べ、3つ目を食べてようやく満腹になったびん助さんが「こんなことなら3つ目の饅頭を最初に食えばよかった」という笑い話だが、これが福野さんの原稿と重なる。

彼が言い切るその後ろには緻密な取材、知識の習得や分析、多くの勉強がある。だから言い切ることが出来るのだろう。

それにしても。

福野さんに饅頭は似合わない。モノトーンのアルマーニを纏った彼は「N」を「ニューヨークのN」と言う。「T」は「トーキョーのT」、「C」は「シカゴ」だ。こういう言い方に違和感がないのが福野礼一郎である。

私が案ずることではない。それを承知で言えば、福野さんは自動車について全部わかって、その知識の山は天に着いて、書くことをやめてしまうのではないか。時にこんな心配をする。そんなことになったらどーする。

自動車はサプライヤー・メーカーが納入する部品で出来ており、設計技術もサプライヤーがかなり握っている。自動車メーカーがわかるのはボディとサスペンションくらい。これを信念として18年間で国内のサプライヤー130社を取材したのが福野さんである。

「見聞きしたのは自動車技術のほんの一部です。進歩のスピードの速さとか部品の数じゃなくて、自動車というのは基礎になってる学問が凄いんです。どれだけ深いか。それをもとにクルマは作られているわけですが、クルマ作りは妥協の産物ですし、作っているヒトは余談をしている暇がない。でも彼らがOBになると深い学問の話をしてくれるんです。エンジンを30年作ってた人がようやく定年退職して『ドラッグスターってなんであんな速く走れるか知ってますか。あれは平均4Gで加速してるんですよ』なんて言う。ちょっと待って、その話、聞かせて下さいって頼むと平気で凄い計算するんです。知りたいことはまだまだたくさんあります」

安心する一方で、いつも下駄のように扱い、自転車のように乗り回し、不調を起こすと腹を立てるクルマが彼の言葉に別物に思えた。

「クルマはエンストにさえ機械が関わっている。それが(クルマの)面白さですが、あれだけの大量生産をしたらストップが効かない。悪意があってリコールするわけではなくて見落とした。世に送り出されたらどうにも出来ない。それが恐ろしいんです。作り手はみんな凄い責任感の中で仕事をしているわけでその重さを感じます」

小林秀雄は 1974年に出版された『考えるヒント』のなかで『人工頭脳を考え出したのは人間頭脳で、人工頭脳は何ひとつ考え出しはしない』、こんなことを書いていた。クルマは優れた機械と言い切る福野さんは、機械を作り出した人間にいつも愛情を注ぎ、敬意を払う。
最後にもうひとつ、福野さんの名作を紹介したい。『人とものの讃歌』【三栄書房】の第9話、『ケンとメリー 愛と風のように』

これは冒頭に記した『昭和元禄Universe』という連載を一冊にまとめた本。順番は前後するが最初に158ページに記された後書きを読んでから、38ページのケンとメリーに進まれることをお勧めする。後書きから逆走して第9話を読むと日本の自動車の歩んだ道がぽっかりと浮かび上がる。

 日本の自動車が歩んだ道はほかならぬ我々日本人の歩んだ道。機械である自動車がどのくらい社会と結びつき、歴史の一部になっていて、なによりどれほど人間と関わっているものか、実感として理解できるはず。ダイアンというアメリカ人を通して見ることでストーリーが生まれる。

少し切なさが残るノンフィクションというより上質な読み物。もちろん緻密な取材は福野さんならではだが、この原稿を始めて読んだとき、私は面白い物語にぐんぐん引き込まれたが、同時に<圧縮>した何かを感じとった。いい話を読んだ時に感じる爽やかさとは違うもの。胸を突くような息苦しさに近いものだった。息がぜーぜーした。

 何度か繰り返して読むうち、息苦しさが和らいだ。そこに圧縮されているものが、福野礼一郎の自動車への愛情であることに気がついたからだった。福野さんは心からクルマと人間を愛している。





彼と会って1週間後、私はフランスの自宅に戻った。日本を離れる前日、取材のお礼を兼ねて帰宅する旨、メールを送ったが、乱気流に突入すると冷や汗を流す私は、だから飛行機は苦手です、そんなことを記した。

さて、以下が福野さんからの返信である。

『晴天乱気流に入って飛行機がだん、ずん、ぼこんと揺れだすと「入力は速くて鋭いのに、突き上げ感が丸くて減衰も一瞬、剛性感最高、これぞクルマ理想の乗り心地だ」といつも感動してます(笑)』

福野礼一郎が書くと苦手な乱気流が違ったものに感じられる。ますますファンになった。

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text:松本 葉/Yo Matsumoto
自動車雑誌『NAVI』の編集者、カーグラフィックTVのキャスターを経て1990年、トリノに渡り、その後2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を続ける。著書に『愛しのティーナ』(新潮社)、『踊るイタリア語 喋るイタリア人』(NHK出版)、『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)ほか、『フェラーリエンサイクロペディア』(二玄社)など翻訳を行う。
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