ひこうき雲を追いかけて vol.56 〝Go ahead〟
更新日:2024.09.09
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急ではあるが、今月号よりahead編集長を引き継ぐことになった。 そういうわけで、少しばかりaheadの歴史を振り返ってみることにした。
text:ahead編集長・若林葉子 [aheadアーカイブス vol.171 2017年2月号]
text:ahead編集長・若林葉子 [aheadアーカイブス vol.171 2017年2月号]
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ひこうき雲を追いかけて vol.56 〝Go ahead〟
aheadの創刊は2002年12月。フリーマガジンとしてスタートを切り、2005年に創刊されたリクルートの『R25』と並んで注目された時期もあった。当時は公称ではなく実際に毎月7万部を発行していたから、あれからわずか10年というのに現在とは隔世の感を禁じ得ない。
創刊時の編集長は高畑龍一で、49号でその任を終えるまでの約4年の間にaheadの方向性は定まったと言っていいだろう。その後、短い期間に3人の編集長を経て、もっとも長い期間、編集長を務めあげたのが前編集長の神尾である。2010年3月(Vol.88)〜2017年1月(Vol.170)に至る7年間、83冊のaheadを発行したことになる。aheadの歴史のちょうど半分ほどだ。
aheadという雑誌は高畑が方向性を決めて、神尾が育てたと言ってほぼ間違いないだろう。
この時代に小さな出版社が紙の雑誌を発行し続けるのはやはり大変なことで、これまで危機は何度もあった。2008年秋にはリーマンショックが襲い、2011年3月には東日本大震災が起きた。
これらの出来事による影響は甚大で、なんとか乗り越えてきたのはこの雑誌を何としても守りたいという、社長の近藤正純ロバートの一念に他ならない。そしてどの時代も支えてくれたのは読者の方々である。
神尾はおそらくずっと誰にバトンを渡すべきか考えていただろうと思う。なぜ私になったのかは分からないが、多分、結果として一番長く居たからだろう。昨年末で編集部に入ってから丸12年。干支が一回りした。思いがけず編集長の話があったとき、近藤と神尾によると、私は嬉しそうな顔をして、にっこり笑ったと言う。
基本的に男性社会のこの世界で、まさか自分が編集長になる日が来るとは思っていなかったし、編集長を目指そうなどと大それたことを考えたこともなかった。それでも私が嬉しそうな顔をしたのだとすると、ひょっとしたら私は自分が思っているより雑誌作りに向いていて、マニアには程遠いがクルマやバイクが案外好きなのだということかもしれない。
クルマの運転もろくにできないのにaheadの編集部に入り、オフロードもろくに走ったことがないのにモンゴルラリーに出場し、プロでもないのにナビとしてダカールラリーに行ったり。無謀で恥知らず。追い込まれた先でなんとか踏ん張るのが多分、私流だ。
この時代に紙媒体の編集長になれたことの幸運を忘れることなく、やりたいことを真っ直ぐに。たくさんの人の力を借りて〝Go ahead〟していきたい。
読者の皆さまには引き続き、見守っていただけたら幸いである。
創刊時の編集長は高畑龍一で、49号でその任を終えるまでの約4年の間にaheadの方向性は定まったと言っていいだろう。その後、短い期間に3人の編集長を経て、もっとも長い期間、編集長を務めあげたのが前編集長の神尾である。2010年3月(Vol.88)〜2017年1月(Vol.170)に至る7年間、83冊のaheadを発行したことになる。aheadの歴史のちょうど半分ほどだ。
aheadという雑誌は高畑が方向性を決めて、神尾が育てたと言ってほぼ間違いないだろう。
この時代に小さな出版社が紙の雑誌を発行し続けるのはやはり大変なことで、これまで危機は何度もあった。2008年秋にはリーマンショックが襲い、2011年3月には東日本大震災が起きた。
これらの出来事による影響は甚大で、なんとか乗り越えてきたのはこの雑誌を何としても守りたいという、社長の近藤正純ロバートの一念に他ならない。そしてどの時代も支えてくれたのは読者の方々である。
神尾はおそらくずっと誰にバトンを渡すべきか考えていただろうと思う。なぜ私になったのかは分からないが、多分、結果として一番長く居たからだろう。昨年末で編集部に入ってから丸12年。干支が一回りした。思いがけず編集長の話があったとき、近藤と神尾によると、私は嬉しそうな顔をして、にっこり笑ったと言う。
基本的に男性社会のこの世界で、まさか自分が編集長になる日が来るとは思っていなかったし、編集長を目指そうなどと大それたことを考えたこともなかった。それでも私が嬉しそうな顔をしたのだとすると、ひょっとしたら私は自分が思っているより雑誌作りに向いていて、マニアには程遠いがクルマやバイクが案外好きなのだということかもしれない。
クルマの運転もろくにできないのにaheadの編集部に入り、オフロードもろくに走ったことがないのにモンゴルラリーに出場し、プロでもないのにナビとしてダカールラリーに行ったり。無謀で恥知らず。追い込まれた先でなんとか踏ん張るのが多分、私流だ。
この時代に紙媒体の編集長になれたことの幸運を忘れることなく、やりたいことを真っ直ぐに。たくさんの人の力を借りて〝Go ahead〟していきたい。
読者の皆さまには引き続き、見守っていただけたら幸いである。
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text:若林葉子/Yoko Wakabayashi
1971年大阪生まれ。Car&Motorcycle誌編集長。
OL、フリーランスライター・エディターを経て、2005年よりahead編集部に在籍。2017年1月より現職。2009年からモンゴルラリーに参戦、ナビとして4度、ドライバーとして2度出場し全て完走。2015年のダカールラリーではHINO TEAM SUGAWARA1号車のナビゲーターも務めた。
text:若林葉子/Yoko Wakabayashi
1971年大阪生まれ。Car&Motorcycle誌編集長。
OL、フリーランスライター・エディターを経て、2005年よりahead編集部に在籍。2017年1月より現職。2009年からモンゴルラリーに参戦、ナビとして4度、ドライバーとして2度出場し全て完走。2015年のダカールラリーではHINO TEAM SUGAWARA1号車のナビゲーターも務めた。