埋もれちゃいけない名車たち vol.72 遊び心をそそのかす「ホンダ・シティ」

アヘッド 埋もれちゃいけない名車たち vol.72 遊び心をそそのかす「ホンダ・シティ」

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今回の特集は〝R134〟ー国道134号線である。雑誌に特集される特定の道というのを他に聞いたことはないけれど、まぁ不思議はないだろう。神奈川県に隣接してない埼玉で育った僕にすらR134にまつわる想い出が幾つもあるくらいで、とりわけ関東圏の人の中には〝R134〟という文字に郷愁じみた気持ちを抱いてる人は決して少なくないはずだから。

text:嶋田智之 [aheadアーカイブス vol.188 2018年7月号]
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vol.72 遊び心をそそのかす「ホンダ・シティ」
ホンダ・シティ

vol.72 遊び心をそそのかす「ホンダ・シティ」

僕がクルマの免許を手に入れた1980年代の頭辺りは、R134を抱く湘南地方がグッとクローズアップされた時代だった。東京からアクセスしやすい海の保養地だったこともあり昔から煌びやかなイメージを持つ土地ではあったが、サザンオールスターズの影響も大きかったか、第1次サーフィン・ブームを反映してか、ちょうど洒落た店がたくさん誕生した時期だったのか、雑誌などでちょいちょい〝湘南特集〟が組まれ、当時の若者達の間では〝行くべき場所〟とされていた。

そのエリアを綺麗にカバーするR134は、古都のロマンと海沿いの遊びを一挙両得で満喫でき、景観も美しいことから恰好のドライブ・ルートになっていて、誰も彼もが目指したものだった。絶対に渋滞にはまるというのに。

その頃のR134でー族車を除いてー目立っていたのは、お坊ちゃんの乗る初代VWゴルフ、陸サーファーが好んだ5代目マツダ・ファミリア、そして意外や雑誌POPEYEのシティボーイ・カルチャーに影響された洒落者達の初代ホンダ・シティだったといえるだろう。

初代シティは1981年秋にデビューしたが、イギリスのスカ・バンドだったマッドネスによるムカデ・ダンスと「ホンダホンダホンダホンダ♪」のリズムが目や耳に残るテレビCMが大きな話題になったこともあって、瞬く間に日本中へと知られる存在になった。もちろんクルマも大ヒットといえる売れ行きだった。

ヒットの最も大きな要因は、当時の風潮の逆を往くような特徴的な〝トールボーイ〟デザインのスタイリングが、とても新鮮でインパクトがあったことだろう。もちろんそのユニークなルックスだけじゃなく、1.2リッター級のコンパクトカーとしてマジメに作られており、背が高いことでわりと快適な居住性が確保されていたこと、車重が軽く走りも軽やかだったこと、実用燃費がよかったことなども、評価が高かった。

が、多くの人を引き付けたのは、何といってもその〝どこかに乗っていきたくなる〟明るい雰囲気と、ラゲッジにピタリと収まる専用設計的なバイクも用意されるような遊び心。

今も日本の自動車メーカーは優秀なコンパクトカーをたくさん生み出しているけれど、ここまで出掛けたい気持ちを巧みにそそのかしてくれるようなクルマというのは、ちょっと見当たらない。これも時代なのか?

ホンダ・シティ

ホンダ・シティの初代がデビューしたのは、1981年11月のこと。それまで1.2リッター・クラスを担っていたシビックが2代目に代替わりして1.5 リッター・クラスとなったため、その穴を埋めるリーズナブルな小型車として企画・開発された。

最も特徴的だったのは、横置きエンジンとFFレイアウト、4輪ストラットのサスペンションに背の高い2ボックスボディを組み合わせ、全長 3,380mm、全幅 1,570mmの小さなボディからは想像できない居住性を手に入れたこと。1.2リッター・エンジンは67ps な がら、車重が700kgを割る軽さだったため、意外や走りも侮れなかった。

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text:嶋田智之/Tomoyuki Shimada
1964年生まれ。エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集長を長年にわたって務め、総編集長として『ROSSO』のフルリニューアルを果たした後、独立。現在は自動車ライター&エディターとして活躍。
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