ミニスカートは戦闘服
更新日:2024.09.09
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男性が圧倒的に多いクルマの世界でも、情報を発信する側に立って、それぞれの得意分野を活かして、活躍している女性たちがいる。
カーライフエッセイストの吉田由美さんもその一人。クルマ業界ではもうベテランの域といってもよい経歴をお持ちなのに、そのキュートさと美しさは、今も多くのファンを魅了している。吉田さんと生年月日が同じという、岡小百合さんと一緒に、お話を聞いた。
text:若林葉子 photo:菅原康太 [aheadアーカイブス vol.138 2014年5月号]
カーライフエッセイストの吉田由美さんもその一人。クルマ業界ではもうベテランの域といってもよい経歴をお持ちなのに、そのキュートさと美しさは、今も多くのファンを魅了している。吉田さんと生年月日が同じという、岡小百合さんと一緒に、お話を聞いた。
text:若林葉子 photo:菅原康太 [aheadアーカイブス vol.138 2014年5月号]
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ミニスカートは戦闘服
Yumi Yoshida
モデルを経て、2000年よりカーライフ・エッセイストとして活動を始める。
自動車雑誌を中心にテレビ、ラジオなどで幅広く活躍。
自身のブログ「なんちゃってセレブなカーライフ」は1日20万PVという人気を誇る。
モデルを経て、2000年よりカーライフ・エッセイストとして活動を始める。
自動車雑誌を中心にテレビ、ラジオなどで幅広く活躍。
自身のブログ「なんちゃってセレブなカーライフ」は1日20万PVという人気を誇る。
その日は何の憂いもなく空が澄み渡り、申し分のない天候だった。前日に下見をした撮影場所にはテレビのロケ部隊がすでに準備を始めており、役者さんとおぼしき人たちが集まっていた。
そこにすっと白いアウディTTが停まった。中から出て来たのは、クルマと同じく白いカットソーに、白黒のボーダーのふんわりとしたミニスカートをまとった吉田由美さん。テレビのロケを見物していた人たちはみな、この人が今日の主役の女優さん、と思ったようだ。視線が彼女に集まる。
「あの格好は由美ちゃんにしかできないわよね」と岡さんが感心する。生年月日がまったく同じという吉田さんと岡さんは50代にはまだ少し間があるというものの、様々な経験を積み重ねてきた”大人“の女性。バブル華やかなりし頃に輝かしい青春を送った人たちである。
BS放送のドラマのCMで、「私は着るもので自分を定義できることを知っていた」という主人公のセリフがある。服装とは個人の好き嫌いを超えて、社会に対するスタンスの表現でもある。吉田さんのミニスカートにはどんな定義があるのだろう…。
*
吉田さんが短大生の頃、「ミスコン荒らし」と呼ばれたことはよく知られている。ご本人によると15の〝ミス〟を獲得したというから、誰の目にも彼女の美しさは明らかだったのだろう。
当然、美を競うモデルの世界に進むことになる。「私ね、女の子は普通にかわいい子の方が幸せだと思うの。モデルのような世界に入ると、例えば鼻が低いとか、足がどうとか、常に比較されて評価される。すごく傷つくことが多かった。でもそのおかげで随分強くなったけど」と、吉田さんは当時を振り返る。
そうかも知れない。美しさというのは、それを競う場所でなければ、プラスに作用する。でも美を競う場所では美しいことは前提であって、さらなるプラスアルファを求められる。吉田さんは知らず知らずのうちに、「そこそこ」では生き残れない、真っ向勝負の場所に立っていたのだ。この先どうしよう、と悩むのは自然なことだっただろう。
自動車業界との関わりは、実は短大生時代にすでにあった。「ミス・チェッカーモータース」、「準ミス
マツダ エテュード」に選ばれていたのである。しかし決定的となったのは、日産が立ち上げたセーフティドライビングスクール、「日産ドライビングパーク」のインストラクターに採用されたことだった。ここでクルマの知識や運転を基礎から学び直し、さらには一般の人に運転を教えるというサービス業の精神も叩き込まれた。
「この仕事は本当に大変だった。一日中、外にいるから、顔は真っ黒に日焼けするしね。万が一にも、生徒さんに何かあってはいけないから気も張るでしょ。当時は今よりも体重が少なくて、身体もそんなに強い方ではなかったの。でも、とにかく頑張って仕事をしているうちに気がつくと体力もついて、逞しくなってたわ」と笑う。残念ながら、この「日産ドライビングパーク」は後に閉鎖となるが、ここでひたむきに仕事をした3年間が、今の吉田さんの原点となっている。そしてこのドライビングスクールの閉鎖を機に、吉田さんはカーライフエッセイストとして新たなスタートを切ったのだ。
「クルマ業界って、すごくクルマが好きだったり、すごくクルマに詳しかったりする人が多いでしょ? だから、自分が『クルマ好き』って公言するのがはばかられる気がしていたの。でもマニアの人だけじゃなくて、普段クルマの運転をするのが好きというような人も、『クルマが好き』って言えるようになったらいいなと思って」
カーライフエッセイストを名乗るようになった当時、漠然とだが、吉田さんは自分の役割をこう考えていた。これは私も含めた、普通にクルマが好きという女性の気持ちを代弁するものだ。私もクルマを運転したり、クルマを通して見るさまざまな世界が好きではあるが、この業界にはマニアが多すぎて、下手に「クルマ、好きです」なんて発言はできない。だから吉田さんのような存在は、そういう世の多くの女性にとって心強い。
「それとね、男性に交じって仕事をするからと言って、無理して男性に伍そうとはせず、私は私らしくやっていこうと思ったの。私はスカートをはこう、って」
なるほど、そうなのだ。ミニスカートは彼女にとって、自分が自分であることの表明。誰になんと言われようと私は私で行く。その意志の表明であり、言わば彼女にとっての戦闘服なのだ。
*
「で、由美ちゃんは結婚とかしないの?」 今年、娘さんが成人式を迎えたという岡さんが唐突に聞く。
「もちろんしたいわよー。誰かに寄りかかりたいと思うこともある。もう長いことこの業界で仕事をしているけど、今だにアウェイな感じがするしね」 吉田さんの口から出た「アウェイ」という言葉に、岡さんも私も驚いた。彼女のブログやフェイスブックの人気は恐らく業界ナンバーワン。でも。吉田さんの言うアウェイとは、そこに自分の居場所がないという疎外感ではなく、見る側と見られる側の1対多の関係からくる孤独感のようなものなのではないだろうか。美しさと引き換えの、彼女にしか分からない苦労がきっとあるのだ。
「かわいいからっていい気になってとか、綺麗なだけで、って言われることもあるでしょう?」と岡さんが言うと、「それはね…今でもすごく傷つく。だけど同時に、真似できるならしてみろって思う。そう思わないとやっていけないというのもあるけど、それ以上に、実際にたくさんのファンの人がいてくれるから」
今後、どうしたいの? という質問には、「未だにクルマ業界と言えば、徳大寺さんが最も有名でしょ。だからコレまで以上に勉強して発信力を付けて、テレビや他のメディアにも、もっともっと露出して、少しでもクルマや、クルマまわりのことを一般の人に知ってもらいたいと思う」という答えが返ってきた。「由美ちゃん、ほんとに仕事が好きなのね」と岡さんが笑う。
吉田さんにはいつまでもミニスカートをはいていて欲しいと思う。それは、聖子ちゃんのように、世の女性に勇気を与えてくれるから。
そこにすっと白いアウディTTが停まった。中から出て来たのは、クルマと同じく白いカットソーに、白黒のボーダーのふんわりとしたミニスカートをまとった吉田由美さん。テレビのロケを見物していた人たちはみな、この人が今日の主役の女優さん、と思ったようだ。視線が彼女に集まる。
「あの格好は由美ちゃんにしかできないわよね」と岡さんが感心する。生年月日がまったく同じという吉田さんと岡さんは50代にはまだ少し間があるというものの、様々な経験を積み重ねてきた”大人“の女性。バブル華やかなりし頃に輝かしい青春を送った人たちである。
BS放送のドラマのCMで、「私は着るもので自分を定義できることを知っていた」という主人公のセリフがある。服装とは個人の好き嫌いを超えて、社会に対するスタンスの表現でもある。吉田さんのミニスカートにはどんな定義があるのだろう…。
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吉田さんが短大生の頃、「ミスコン荒らし」と呼ばれたことはよく知られている。ご本人によると15の〝ミス〟を獲得したというから、誰の目にも彼女の美しさは明らかだったのだろう。
当然、美を競うモデルの世界に進むことになる。「私ね、女の子は普通にかわいい子の方が幸せだと思うの。モデルのような世界に入ると、例えば鼻が低いとか、足がどうとか、常に比較されて評価される。すごく傷つくことが多かった。でもそのおかげで随分強くなったけど」と、吉田さんは当時を振り返る。
そうかも知れない。美しさというのは、それを競う場所でなければ、プラスに作用する。でも美を競う場所では美しいことは前提であって、さらなるプラスアルファを求められる。吉田さんは知らず知らずのうちに、「そこそこ」では生き残れない、真っ向勝負の場所に立っていたのだ。この先どうしよう、と悩むのは自然なことだっただろう。
自動車業界との関わりは、実は短大生時代にすでにあった。「ミス・チェッカーモータース」、「準ミス
マツダ エテュード」に選ばれていたのである。しかし決定的となったのは、日産が立ち上げたセーフティドライビングスクール、「日産ドライビングパーク」のインストラクターに採用されたことだった。ここでクルマの知識や運転を基礎から学び直し、さらには一般の人に運転を教えるというサービス業の精神も叩き込まれた。
「この仕事は本当に大変だった。一日中、外にいるから、顔は真っ黒に日焼けするしね。万が一にも、生徒さんに何かあってはいけないから気も張るでしょ。当時は今よりも体重が少なくて、身体もそんなに強い方ではなかったの。でも、とにかく頑張って仕事をしているうちに気がつくと体力もついて、逞しくなってたわ」と笑う。残念ながら、この「日産ドライビングパーク」は後に閉鎖となるが、ここでひたむきに仕事をした3年間が、今の吉田さんの原点となっている。そしてこのドライビングスクールの閉鎖を機に、吉田さんはカーライフエッセイストとして新たなスタートを切ったのだ。
「クルマ業界って、すごくクルマが好きだったり、すごくクルマに詳しかったりする人が多いでしょ? だから、自分が『クルマ好き』って公言するのがはばかられる気がしていたの。でもマニアの人だけじゃなくて、普段クルマの運転をするのが好きというような人も、『クルマが好き』って言えるようになったらいいなと思って」
カーライフエッセイストを名乗るようになった当時、漠然とだが、吉田さんは自分の役割をこう考えていた。これは私も含めた、普通にクルマが好きという女性の気持ちを代弁するものだ。私もクルマを運転したり、クルマを通して見るさまざまな世界が好きではあるが、この業界にはマニアが多すぎて、下手に「クルマ、好きです」なんて発言はできない。だから吉田さんのような存在は、そういう世の多くの女性にとって心強い。
「それとね、男性に交じって仕事をするからと言って、無理して男性に伍そうとはせず、私は私らしくやっていこうと思ったの。私はスカートをはこう、って」
なるほど、そうなのだ。ミニスカートは彼女にとって、自分が自分であることの表明。誰になんと言われようと私は私で行く。その意志の表明であり、言わば彼女にとっての戦闘服なのだ。
*
「で、由美ちゃんは結婚とかしないの?」 今年、娘さんが成人式を迎えたという岡さんが唐突に聞く。
「もちろんしたいわよー。誰かに寄りかかりたいと思うこともある。もう長いことこの業界で仕事をしているけど、今だにアウェイな感じがするしね」 吉田さんの口から出た「アウェイ」という言葉に、岡さんも私も驚いた。彼女のブログやフェイスブックの人気は恐らく業界ナンバーワン。でも。吉田さんの言うアウェイとは、そこに自分の居場所がないという疎外感ではなく、見る側と見られる側の1対多の関係からくる孤独感のようなものなのではないだろうか。美しさと引き換えの、彼女にしか分からない苦労がきっとあるのだ。
「かわいいからっていい気になってとか、綺麗なだけで、って言われることもあるでしょう?」と岡さんが言うと、「それはね…今でもすごく傷つく。だけど同時に、真似できるならしてみろって思う。そう思わないとやっていけないというのもあるけど、それ以上に、実際にたくさんのファンの人がいてくれるから」
今後、どうしたいの? という質問には、「未だにクルマ業界と言えば、徳大寺さんが最も有名でしょ。だからコレまで以上に勉強して発信力を付けて、テレビや他のメディアにも、もっともっと露出して、少しでもクルマや、クルマまわりのことを一般の人に知ってもらいたいと思う」という答えが返ってきた。「由美ちゃん、ほんとに仕事が好きなのね」と岡さんが笑う。
吉田さんにはいつまでもミニスカートをはいていて欲しいと思う。それは、聖子ちゃんのように、世の女性に勇気を与えてくれるから。
岡小百合
東京生まれ。自動車雑誌「NAVI」の編集記者を経て、長女出産を機にフリーランスとなる。女性であり、主婦、母でもある視点から綴られる文章には定評がある。
東京生まれ。自動車雑誌「NAVI」の編集記者を経て、長女出産を機にフリーランスとなる。女性であり、主婦、母でもある視点から綴られる文章には定評がある。
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text:若林葉子/Yoko Wakabayashi
1971年大阪生まれ。Car&Motorcycle誌編集長。
OL、フリーランスライター・エディターを経て、2005年よりahead編集部に在籍。2017年1月より現職。2009年からモンゴルラリーに参戦、ナビとして4度、ドライバーとして2度出場し全て完走。2015年のダカールラリーではHINO TEAM SUGAWARA1号車のナビゲーターも務めた。
text:若林葉子/Yoko Wakabayashi
1971年大阪生まれ。Car&Motorcycle誌編集長。
OL、フリーランスライター・エディターを経て、2005年よりahead編集部に在籍。2017年1月より現職。2009年からモンゴルラリーに参戦、ナビとして4度、ドライバーとして2度出場し全て完走。2015年のダカールラリーではHINO TEAM SUGAWARA1号車のナビゲーターも務めた。