小沢コージのものくろメッセ その3 自動車評論家はなぜ持て囃されるのか?

アヘッド 小沢コージ

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自分のことながらイベントに行くと、スタッフの方に持ち上げて頂いたり、タマ~にサインを求めたれたりする。正直、それほどの存在でもないんだけどなぁ…と思いつつも有り難いことだと考えている。

text:小沢コージ [aheadアーカイブス vol.139 2014年6月号]
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その3 自動車評論家はなぜ持て囃されるのか?

その3 自動車評論家はなぜ持て囃されるのか?

冷静に見ると我々は単なる自動車ライターに過ぎない。家電ジャーナリストやオタク評論家がいるが、その手のイチジャンルだ。よほどのヒットを飛ばしてTVに出演、時代の寵児になったりでもしない限り、単なる専門分野を持つイチ書き手や喋り手であり、特別なスキルはほとんどない。

そんな中、有り難がられるのは2つの大きな理由があって、一つは偉大なる先達の存在と、一つはクルマそのものの凄さである。例えば先日お亡くなりになった初代カーグラフィック誌編集長の小林彰太郎さん。

あの方はまさに特権階級の出であり、雲の上の人だった。実家は一流企業の創業家で、東京大学在学中から古いイギリス車を個人でレストアする様なお方。そもそもクルマは戦後しばらく貴族階級やお金持ちしか乗ることが出来ない特別なものだった。

その存在を詳しく語り、ましてや乗り回している人は、それ自体が高貴な存在であって、だから自動車ライターであり、ジャーナリストは長らく有り難がられてきたのだ。

果たしてクルマにはその魔力とでも言うべきものが微かに残っている。40代の私にとって、実際クルマは長らく憧れの対象であったし、今も特権階級の息吹をかろうじて感じる。これだけ何でも買える時代になったにも関わらず、その選びは人の存在感を微妙に変えることができるのだ。

例えば同じ500万円でメルセデス・ベンツCクラスを買った人と、中古のGT-Rをチューニングした人がいるとしよう。未だにCの人は「なんとなく凄い」と思われ、GT-Rを買った人は「なんとなくバカ」と思われたりする。ついでにそういうものに一見好き放題乗れる我々もステージが上がったりするわけで、誠にクルマというものは物凄いパワーを持っている。
 
だが、その凄さももはやこれまでか? と思うことも多い。例えば今どきフェラーリ、ランボルギーニに乗っていて、振り返るのは大抵が40代以上の男性。若い人はほとんど関心を寄せず、撮影中に声をかけてくるのも大抵がオジサン。

さらに先日、某ウェブメディアでクルマ好き大学生に会って驚いた。こちらがビックリするほどクルマに詳しく、大好きで嬉しくなったが、よくよく聞いてみるとそのほとんどがクルマメディアに憧れを抱いてなく、入ろうとも思ってない。とある医大生に聞いてみたが「クルマは趣味。好きだし、いろいろ乗ってみたいけど、自分の仕事にするのはちょっと」とか。

この求心力低下はクルマ自体の存在感低下もあるが、我々にも責任があるのかもしれない。基本はメーカー発表の増幅に過ぎず、多少見解を添えるだけ。全く別のニュースソース源も持たない。我々はクルマ自体の魅力の大きさに甘え過ぎていたのだ。

ここに来て、本気で今までを振り返る時代が来た。そう思っている。

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text:小沢コージ/Koji Ozawa
雑誌、ウェブ、ラジオなどで活躍中の “バラエティ自動車ジャーナリスト”。自動車メーカーを経て二玄社に入社、『NAVI』の編集に携わる。現在は『ベストカー』『日経トレンディネット』などに連載を持つ。愛車はロールスロイス・コーニッシュクーペ、トヨタ iQなど。
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