僕がレースをする理由

アヘッド 僕がレースをする理由

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社会に直結しているとも言える四輪のレースと違い趣味性が高く、より危険と隣り合わせの二輪レース。職業としてではなく、趣味として二輪のレースを続ける人たちの気持ちとは、どういったものなのだろうか。

text:伊丹孝裕 [aheadアーカイブス vol.118 2012年9月号]
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僕がレースをする理由

僕がレースをする理由

「バイクレースの何がいいの?」

そう聞かれると、いつも返答に困る。例えばそれは、「ワタシのどこが好き?」とか「あの子のどこがいいの?」みたいな問いかけに似ていて、理屈では説明しづらい。その根っこにあるのは、「好きなんだからしょうがない」という想いだからだ。言うなれば、〝恋〟みたいなものだと思う。

レースへの〝恋〟。

こうして字面にしてみるとさすがに気恥ずかしく、おかしな人だと思われるかもしれないが、サーキットで感じるドキドキやワクワクは、恋人を目の前にした時の感覚ととても似ている。そして、その気持ちのほとんどは衝動的なものなので、だから上手く言葉にできないのだ。

もちろん、レースの魅力に惹き込まれたきっかけや理由は、いくつも挙げられる。宮城光が鈴鹿4耐で優勝し、ニューヒーローの登場を印象付けた'83年。平忠彦がサンマリノGPで劇的かつ悲願の勝利を飾った'86年。そして、伊藤真一が国際A級に昇格したのと同時にホンダのワークスライダーの座を掴んだ'88年……。

2輪のレースシーンを彩ったそうしたニュースを、僕は十代の青春真っただ中で目にし、耳にし、その度に恋人から手紙でも届いたかのような心の昂ぶりを感じていたのだ。

あの時代が独特だったのは、そうしたレースシーンのひとつひとつが単なる憧れではなく、そこに自分自身を投影できたことにあったと思う。国際A級ライセンスに昇格できるかもしれない、ワークスライダーになれるかもしれない、世界グランプリに行けるかもしれない……。

そんな夢が叶えられそうな道筋が、いくつも目の前に用意されていて、次にそのチャンスを掴むのは自分。本気でそう思えたのだ。
俯瞰して見れば、バイクもレースブームもバブルとともにやってきて、バブルとともに去っていった流行り廃りのひとつに過ぎず、その中で見事に踊らされていたのかもしれない。しかし、そこに充満していた僕らのパワーは本物だった。

働きに働いてレース用のバイクとパーツを買い、時間をやりくりしてサーキットに通い、ようやく手にする結果は予選を通るか通らないか。それでも、「明日こそ、次こそ、来年こそ」と、そのエネルギーは果てることがなく、なにかに突き動かされていたのだ。

誰よりも速く走りたくて、どうにかしてレースの神様に振り向いて欲しい一心で、持てるだけのお金、時間、労力を費やし、ケガのリスクもまったくいとわない。そんな輩が、それこそごまんといたのだ。

レースの世界の外側の人は、「同じところをグルグル回って、なにが楽しいのか」と言う。「それで、地位や名誉や財産が築けるのか」とも言う。
言わば、たかがレースである。

内側にいる僕らでも、時にそう思った。だけれども、そこで得られるなにかが、とても大切なものであることも僕らは知っている。〝好きだから〟の一念で生み出されるパワーには、不可能を可能に、そうでなくても限りなく可能に近づける力がある。僕らはそれを実感してきたのだ。そうでなければ、レースなんてとっくに無くなっている。

ガソリンを爆発させ、タイヤを削る消耗と浪費の行為にもかかわらず、レースがかれこれ100年以上も存続しているのは、そこに可能性があるからだ。

最新の技術が詰まったレーシングマシンとメカニックの経験が込められたチューニングノウハウ。それを誰よりも速く走らせようとするライダーの執念。それらが結集して得られるのは、昨日よりコンマ1秒速いかどうか、だけかもしれない。
でも、だからこそ、限界を感じずに挑戦し続けられるのだ。

ライダーなら、走る度に必ずいくつかの〝もしも〟や〝たられば〟を抱えることになる。そんな中、たったひとつの〝もしも〟がうまくいけば、コンマ1秒を短縮することなんて簡単に思えるはずだ。たとえ、今日がダメでも明日にはできると信じられる。明日には次の〝もしも〟が見つかるから、またチャレンジしたくなる。

たったコンマ1秒だからこそ、可能性を捨てられないのだ。そうやって僕はレースの虜になり、出たり入ったりを繰り返しながらも結局はそこから抜け出せないでいる。気がつけば40歳だ。

家庭もあれば、子供もいて、バイクを生活の糧にしているとはいえ、レーシングライダーとしての収入があるわけではない。コンマ1秒を切り詰め続けても、かつて夢見た世界グランプリに辿り着けないことも分かっている。

でも、そこへ近づくことはできると、今も自分の可能性を信じているのだ。それを自分自身に証明するためにも、これからも僕はレースに出続け、この素晴らしい世界を底辺で支えていくつもりだ。

たかがレースではある。しかし、そこには自分の未来を託すだけの価値が十分にある。そして、いつまでもバイクでドキドキやワクワクを感じていたい。だから、僕はまだまだ「レースが好きだ」と言い続け、サーキットに立ち続けるのだ。

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text:伊丹孝裕/Takahiro Itami
1971年生まれ。二輪専門誌『クラブマン』の編集長を務めた後にフリーランスのモーターサイクルジャーナリストへ転向。レーシングライダーとしても活動し、これまでマン島TTやパイクスピーク、鈴鹿八耐を始めとする国内外のレースに参戦してきた。国際A級ライダー。
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