観音、涙、クジラ…クラウンの愛称覚えていますか?

初代 / 観音クラウン【1955~1962年】

トヨタ クラウン

敗戦から10年。他社が外国メーカーと提携するなか、トヨタは純国産設計を選択。それにより登場したモデルが、トヨペット クラウンでした。

スタイリングもトヨタの社内デザインで、当時の高級車の象徴であるアメリカ車のエッセンスを取り入れながらも、純国産にこだわったモデルとして製造されました。

デザイン上の特長は、ズバリ!観音開きのドア。初代クラウンは乗降性を重視して、後部座席からも乗り降りがしやすいよう、観音開きのドアを採用しました。この外観から、後に観音クラウンと呼ばれました。

ちなみに2000年に発売された、オリジン(プログレがベース)は、初代クラウンの復刻版ともいえるもので、同じく観音開きのドアを持っていました。

2代目 / 涙テール(丸テール、角テール) 【1962~1967年】

トヨタ クラウン セダン 2代目

初代から、一気に近代化された2代目クラウン。ボディ幅は、当時の小型車(5ナンバーサイズ)いっぱいの1,695mm。ボンネットとトランク面がフラットなスタイルは、世界的流行を取り入れたものでした。

エンジンは、はじめこそ初代から流用した4気筒OHVの1,897ccでしたが、1965年には2.0Lの直列6気筒SOHCが追加されました。

愛称は、マイナーチェンジごとに変化したテールレンズの形状によるもので、涙テールは1963年型のみ。翌年からは、丸テールと呼ばれる形になりました。

3代目 / 白いクラウン【1967~1971年】

3代目 トヨタ クラウン ハードトップ

高度経済成長期で、モータリゼーションが急速に進んで時代でしたが、まだまだこの時期はクルマは高根の花。クラウンのような高級車はなおさら、黒いボディの法人利用が多かったのです。 

パーソナルユースの一般ユーザーも取り込みたいとの理由から、3代目のクラウンは白いボディカラーを全面に打ち出したキャンペーンを行いました。そのキャンペーンのコピーから、3代目は「白いクラウン」と呼ばれるようになりました。

ちなみに当時、白や赤は「救急車や消防車に似ている」ということで、規制により使えませんでしたが、1965年に規制が撤廃。それ以降、ボディカラーに白や赤が使えるようになりました。

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