F1ジャーナリスト世良耕太の知られざるF1 Vol.32 可夢偉、鈴鹿で初の表彰台

Vol.32 可夢偉、鈴鹿で初の表彰台

ahead 可夢偉

▶︎日本GPで日本人ドライバーが表彰台に上がるのは、1990年に3位に入った鈴木亜久里(ラルース・ランボルギーニ)以来22年ぶり。鈴鹿以外では、佐藤琢磨(B・A・Rホンダ)が2004年のUS GPで3位表彰台に上がっている。参戦4年目(初年度は終盤2戦のみ出場)の小林可夢偉は、「鈴鹿で初めての表彰台に上がるのは運命的」と語った。写真・Sauber Motorsport AG


10月7日に鈴鹿サーキットを包んだ一体感は、応援すべき母国ドライバーがいることのありがたさを改めて実感させてくれた。可夢偉が目の前で見せた走りが、10万3000人を鼓舞した。

沸き立った血が何に役立つのかは人それぞれだろうが、前向きな気持ちや意欲につながったことは想像に難くない。それこそがモータースポーツの力であり、世界の強豪を相手に戦うF1ドライバーの力というものである。
 
振り返ればちょうど2年前、初挑戦の日本GPで活躍した可夢偉を本稿で取り上げた。2010年の可夢偉は14番グリッドからスタートし、7位でフィニッシュした。ストレートエンドで料理するのが追い抜きの定石だったが、マシンの戦闘力に劣るため通用しなかった。

そこで可夢偉は、従来は「抜けない」と評価の定まっていたヘアピンを勝負どころと捉え、そこで5台を料理してみせたのだ。コース上での追い越し自体が珍しい現象になっていたF1で、可夢偉は矢継ぎ早に鮮やかなショーを演じてみせた。日本におけるF1の火を消してはならない。そんな悲壮とも思える決意が、可夢偉を奮い立たせたのだ。
 
それから2年後、鈴鹿サーキットには可夢偉がオーバーテイクショーを披露した年より7000人多いファンが詰めかけた。彼がドライブするザウバーは、常時トップを走れるほどの実力は持ち合わせていなかったが、マシンとコースの相性が合えば、上位に割って入るだけの力を備えていた。

鈴鹿とマシンの相性は良く、可夢偉は予選で4番手を記録。3番手だったマクラーレンのJ・バトンがペナルティで5グリッド降格したため、3番手からスタートすることになった。
 
レースでは、そのバトンと白熱した戦いを繰り広げた。53周で争われたレース終盤、4周分タイヤがフレッシュなバトンが、3番手を走る可夢偉を追い上げ始めた。

41周目には3秒あった差が周回を重ねるごとにじわりじわりと縮まり、44周目には1.8秒になった。観客席に陣取るファンには、2台の差が縮まっていく様子が手に取るようにわかったことだろう。息が詰まるほどの戦いとはこのことだ。フィニッシュした瞬間の差は、わずか0.56秒だった。
 
表彰台に登場する可夢偉を待つ間、観客席から自然発生的に可夢偉コールが沸き上がった。「来年も絶対鈴鹿に来る」「来年は絶対鈴鹿に行く」。そう誓ったファンを生んだ、可夢偉ショー第2幕だった。

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text:世良耕太/Kota Sera
F1ジャーナリスト/ライター&エディター。出版社勤務後、独立。F1やWEC(世界耐久選手権)を中心としたモータースポーツ、および量産車の技術面を中心に取材・編集・執筆活動を行う。近編著に『F1機械工学大全』『モータースポーツのテクノロジー2016-2017』(ともに三栄書房)、『図解自動車エンジンの技術』(ナツメ社)など。http://serakota.blog.so-net.ne.jp/

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