Rolling 40's VOL.113 半世紀

アヘッド ROLLING 40's

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バイク系の有名You Tuberが、80年代を走ったバイク世代に対して、あの時代の峠での「走り屋ブーム」を誇らしげに語らないで欲しい、あれは単なる暴走族の集会であり、そんな時代を美化して語って欲しくないと声高に語っていた。

text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.183 2018年2月号]
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VOL.113 半世紀

VOL.113 半世紀

私たちが無茶苦茶し過ぎたせいで一部の道路が交通規制となったり、それがバイクというものが未だに社会的に認められない原因のひとつであるとのことだ。走り屋ブーム世代は異常だとまで糾弾していた。

彼は私より十歳くらい年下なので、あの80年代の、峠や埠頭などでの、二輪・四輪の狂乱はリアルタイムでは知らないはずなので、残っているビデオなどを見たのであろう。

You Tubeなどで検索すると、それらの古いビデオ映像は二輪四輪共に沢山ヒットする。観ると確かに今から考えると無茶苦茶なもので、一般公道を不法占拠するかのように走り屋たちが好き勝手に走り回り、映像を観る限りでは、昨今話題になる成人式で暴れているヤカラと大して変わらない。'84年の春に「中免」を取ったばかりの私が、実際にそれら「走り屋」の現場と初めて出会ったとき、私はどう感じたのだろうか。

その現場では16歳の私は一番年下の部類で、峠でヒザを擦りながら物凄い勢いで走っている先輩たちを、正直、「勇者」的な憧れの存在として見てしまった。こんな命がけの世界があるのかと畏怖の念を抱いたとも記憶している。

アラフィフとなった今から振り返ると、それらは愚かなチキンゲームでしかなく、当時の自分の感情に対して稚拙さを感じる。だが、そういう時代の真っ只中にいた16歳だったのだ。その多感さを否定することはできない。それら全ては一般のドライバーを巻き込む可能性のある暴走犯罪行為であり、昔でも今でも万死に値するであろう。

正論で語ればその通りであり、有名You Tuberが言うように、今現在から見たら異常な時代だったのかもしれない。だから今でも相変わらず同じようなことをしているアラフィフライダーは、猛省すべきだ。

だが、私たちが「今の若者は…」と言った瞬間に思考停止に陥るのと同じように、そのリアルな現場を知りもしないのに、「あの時代は…」と言うのも、同じように思考停止なのである。

今現在をナマで生きている若者を知りもしないのに、私たちジジイが若者論を語ってはいけないように、その時代を知らないのに、大上段で時代を語ってしまうから、違和感を感じざるを得ないのだ。

携帯電話もインターネットもなかったのに、あれだけ熱いつながりを作れたあの時代は、今の「正論主義」では理解できないものがある。馬鹿げたチキンゲームに明け暮れただけと断罪も出来るが、同時に、その現場を知っている私は、その場にいた誰もが、その熱狂から何かを見つけようともがいていたのも知っている。資料映像に残っているのは、軋むタイヤと排気音だけだが、その気持ちは映っていない。

逆に今の時代こそ、これだけ全ての人々がSNSでつながっているというのに、まったく人間関係は進化していないし、逆に監視作用が強過ぎて、悪化しているとも言える。

バイクごときの遊びと、政治運動を同列に語っては失礼かもしれないが、学生運動に身を投じた世代の先輩方の話を聞いて、学生運動って意味があったのかと、その時代に対して私も疑問を感じたことがあった。

学生運動は、途中から本来の「安保」や「反戦」ではない、別のバイアスが入り始めたという。周知の通り、その最たるものが「浅間山荘事件」や「日本赤軍」であろう。

だが、だからと言って、その当時にヨチヨチしていたような私たち世代が、学生運動は無意味だったとか、愚かな熱狂だったなどと、資料を読んだりドキュメンタリー番組を観ただけで全てを分かったかのように語る権利はない。リアルタイムでその時代の真っ只中にいないと分からないことがあるのだ。

時代の閉塞感のせいか、昨今、バブル経済に対する否定など、過去の時代性そのものを否定する意見を聞くことがある。今の世代からしたら、この閉塞感を責任転換できるので溜飲を下げることが出来るかもしれないが、そんなことでは一つも前に進まない。

資料やデータだけでは、逆立ちしても分からないものがある。それを無理に分かろうとする必要もない。今では考えられないような、そういう時代だったのだなと、傍観する態度も必要ということだ。

昔は気にならなかったのに、年下世代の語る時代論に対して反応してしまったのも、もしかしたら半世紀も生きてしまった証なのかもしれない。半世紀を生きてみて気が付いたことは、聖なる答えも疑問も、天啓的に空から降ってくる訳でもなく、通俗的なことに日々惑わされている。人類を代表する宗教家でもない限り、それが大抵の人間の毎日で、それの繰り返しだ。

だから、少しずつでも、まともな答えと疑問を見つけていくしかないだろう。

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text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968
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