コレが最後の「R35GT-R」! 日産栃木工場でオフライン式が開催 次期型は登場するのか?
更新日:2025.08.27

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日産栃木工場のオフライン式で、最後の「R35GT-R」が披露されました。ミッドナイトパープルの「T-spec」がラインから出てくる後ろには、もうGT-Rの姿はありません。時代を席巻したGT-Rの次期型はあるのでしょうか?
コレが最後のR35GT-R
8月下旬、日産栃木工場で「R35GT-R」の最終生産車オフライン式に参加してきました。
R35GT-R関係者とメディアで開催されたオフライン式では、日産が制作したR35GT-Rの栄光の歴史を物語る映像や、実際の最終生産車が工場のラインから出る姿を見ることができました。
R35GT-R関係者とメディアで開催されたオフライン式では、日産が制作したR35GT-Rの栄光の歴史を物語る映像や、実際の最終生産車が工場のラインから出る姿を見ることができました。
最終生産車はミッドナイトパープルのT-spec
最終生産車はミッドナイトパープルのT-specでした。工場の中は薄暗いため、若干グリーンにも見えた車両は、静かな工場の中で何か寂しそうにも見えました。最後は参加した関係者やメディアの方々から、拍手で送り出されていきました。
世界のハイパフォーマンスカーの歴史を席巻してきた日産の「GT-R」
「日産GT-R」の歴史は古く、スカイラインから数えると約56年も遡ります。途中でGT-Rの名が無い期間もありますが、長い日本車の歴史の中で、特にワールドワイドに展開販売されたR35GT-Rは、その運動性能で世界に大きなインパクトを与えた1台と言えるのではないでしょうか。
第1世代GT-R、1969年〜にレーシングテクノロジーを市販車へフィードバック、プリンスR380レーシングカーの直系エンジン「S20」を搭載した「PGC10」型4ドアスポーツカーが誕生しました。1970年〜は「KPGC10」型が登場、2ドアハードトップボディにショートホイールベース、オーバーフェンダーが特徴で、レース界で驚異的な連勝記録を樹立しています。1973年〜では「KPGC110」が登場、前後スタビと4輪ディスクブレーキを装備し、以降のGT-Rのアイコンとなる丸型4灯テールランプを採用しました。しかし、当時の排ガス規制によりわずか197台で製造を中止しました。
第2世代GT-R、1989年〜には、レーシングホモロゲーションをミートさせ市販車へ展開、当時のグループAホモロゲーション2,568cc対応の「RB26DETT」型エンジンが搭載されました。究極のロードゴーイングカー「R32」から究極のドライビングプレジャーの追求「R33」「R34」へ、レースで勝ち、世界を狙うためのクルマとして進化してきました。
そしてR35は21世紀のあるべきスポーツカーとして、究極のドライビングプレジャーをコンセプトに開発され、いつでも、どこでも、誰でも、最高の喜びと経験を与えてくれる、究極の性能を誇るスーパースポーツとして開発されました。ニュルブルクリンク北コースで量産車世界最速(7分8秒679)、300km/hでも会話ができるクルマとして時代を導くという哲学をもとに、しっかり地面を捉え、駆動する車両としてのコンセプトは2001年には素案に纏まっていたようです。そして2007年から登録車の販売がスタート、2025年まで18年の長きに渡り、進化、生産されてきました。ニュルのラップタイムの他にも、2016年にドリフト最速世界記録(304.96km/h)、2024年の筑波サーキット量産車カテゴリー最速ラップタイム(59.078秒)という記録を持っています。
第1世代GT-R、1969年〜にレーシングテクノロジーを市販車へフィードバック、プリンスR380レーシングカーの直系エンジン「S20」を搭載した「PGC10」型4ドアスポーツカーが誕生しました。1970年〜は「KPGC10」型が登場、2ドアハードトップボディにショートホイールベース、オーバーフェンダーが特徴で、レース界で驚異的な連勝記録を樹立しています。1973年〜では「KPGC110」が登場、前後スタビと4輪ディスクブレーキを装備し、以降のGT-Rのアイコンとなる丸型4灯テールランプを採用しました。しかし、当時の排ガス規制によりわずか197台で製造を中止しました。
第2世代GT-R、1989年〜には、レーシングホモロゲーションをミートさせ市販車へ展開、当時のグループAホモロゲーション2,568cc対応の「RB26DETT」型エンジンが搭載されました。究極のロードゴーイングカー「R32」から究極のドライビングプレジャーの追求「R33」「R34」へ、レースで勝ち、世界を狙うためのクルマとして進化してきました。
そしてR35は21世紀のあるべきスポーツカーとして、究極のドライビングプレジャーをコンセプトに開発され、いつでも、どこでも、誰でも、最高の喜びと経験を与えてくれる、究極の性能を誇るスーパースポーツとして開発されました。ニュルブルクリンク北コースで量産車世界最速(7分8秒679)、300km/hでも会話ができるクルマとして時代を導くという哲学をもとに、しっかり地面を捉え、駆動する車両としてのコンセプトは2001年には素案に纏まっていたようです。そして2007年から登録車の販売がスタート、2025年まで18年の長きに渡り、進化、生産されてきました。ニュルのラップタイムの他にも、2016年にドリフト最速世界記録(304.96km/h)、2024年の筑波サーキット量産車カテゴリー最速ラップタイム(59.078秒)という記録を持っています。
R35GT-Rの次期型GT-Rはあるのか
会場での田村アンバサダーのスピーチでは、
「次期型は出るんですか?といつも聞かれるのですが、答えられませんよね。しかしながら、このGT-Rで培ってきたDNAは、R35GT-Rカタログブックの最後のページに子供の写真があるように、次の世代へ受け継がれていってほしいと思っています。」
と、語っていました。
会場は、世界に大きなインパクトを与える日産GT-Rのような日本の車を、またいつか見たいという雰囲気に包まれていました。
「次期型は出るんですか?といつも聞かれるのですが、答えられませんよね。しかしながら、このGT-Rで培ってきたDNAは、R35GT-Rカタログブックの最後のページに子供の写真があるように、次の世代へ受け継がれていってほしいと思っています。」
と、語っていました。
会場は、世界に大きなインパクトを与える日産GT-Rのような日本の車を、またいつか見たいという雰囲気に包まれていました。