ロータリーエンジンの「悪魔の爪痕」とは何だったのか?

「孤高のエンジン」ともいえるマツダのロータリーエンジン。近々スポーツカーに搭載し復活させる、という機運も盛り上がっています。歴史を紐解くと、このロータリー開発は苦難の連続だったそうです。中でも頭を悩ませたのが「悪魔の爪痕…」と呼ばれていたもの…。

Chapter
ドイツの技術力でも開発頓挫したロータリーエンジン…
「悪魔の爪痕」とマツダの戦い
ヒントは新幹線のパンタグラフ
ロータリーエンジン市販化の意義

ドイツの技術力でも開発頓挫したロータリーエンジン…

世界で初めてロータリーを実用化し、クルマに搭載したのではマツダではなく、西ドイツ(当時)のNSUヴァンケル社でした。1964年に同社が送り出した1ローター搭載の「ヴァンケルスパイダー」が世界初のロータリーエンジン搭載車となります。

しかしこのヴァンケル社のロータリーエンジンには、ローターハウジングの内壁に傷が付くチャターマークが発生するトラブルがありました。同社はこの問題を克服する事が出来ず、ロータリー技術を諦めます。そしてこのロータリー技術の供与を受け、開発を引き継いだのが「マツダ=東洋工業」であったというわけです。

「悪魔の爪痕」とマツダの戦い

NSUヴァンケル社から技術供与を受けたマツダ、しかし日本に持ち込んだこのロータリーエンジンは未完成で、市販・量産できるレベルではありませんでした。その原因が、前述の「チャターマーク」の発生…。ちなみにこの症状をマツダはNSU側から知らされていなかったともされています。その無数の引っ掻き傷のような痕から、「悪魔の爪痕」と呼ばれ、マツダのエンジニアはこの対策の為に戦う事となりました。

マツダ社内での実験の結果、ローター頂点のアペックスシールの共振により、ローターハウジングを削る症状が原因である、と解明します。しかしレシプロエンジンのようにオイルで潤滑できる構造でもありません…。

試行錯誤の結果、チャターマークのピッチがアペックスシールの共振周波数と一致することを発見し、これを解決する手法としてアペックスシールに縦・横の穴をあけるクロスホロー構造にすることにより共振を分散させる手法を見出しました。
しかしこれだけでは「悪魔の爪痕」に勝利する事ができなかったのです…。

ヒントは新幹線のパンタグラフ

アペックスシールに穴をあけることによって「悪魔の爪痕」をとりあえず抑え込むことに成功。しかし、その耐久性は5万キロ~6万キロだったそうで、まだ市販車とするには「耐久性」の大きな課題を残していました。

エンジニアたちはアペックスシールの素材に工夫する事で解決を試みます。なんとそのシール素材に100種類以上試したのだとか…。鋳鉄製のもの、クロム、牛の骨といったものまで使用したそうです。

そんな折、日本カーボンが、「新幹線のパンタグラフ」用として、新しいカーボンを開発していました。マツダサイドはこの「日本カーボン」を口説き落とし、ロータリー開発の特別チームも組織され、開発に至ります。

この結果、アルミニウムを染み込ませた高強度カーボンシールで、ついに「悪魔の爪痕」に勝利する事になりました。

ロータリーエンジン市販化の意義

1964年に実質ロータリーエンジンは発表されており、元々はドイツの技術によるものでした。しかし前述のように実用化できるレベルのものではなく、これを現在にいたる「実用化」を実現、完成させたのは「日本のものづくり」であり、マツダ・東洋工業の努力の賜物といえます。

このロータリーエンジンの「完成」で、マツダは1960年代に内燃機関の「イノベーション」寸前まで辿りついたといえます。残念ながら、ロータリーエンジンの長短併せ持つ独特すぎる性質から、レシプロエンジンとのシェア争いに、とまではいきませんでした。

しかしこのマツダのエンジンに対する飽くなきチャレンジスピリットは歴史に刻まれる偉業といえますし、現在のSKYACTIVテクノロジーに繋がる「ものづくりの精神」の萌芽であったといえるのではないでしょうか。

さておき、最初にロータリーを開発したNSUヴァンケル社は、その後VW傘下となり、またアウトウニオンに吸収合併され、「AUDI NSU AUTOUNION AG」となります。つまり後の「アウディ」となるメーカーへと変遷していきます。

もしもヴァンケル社のロータリーエンジン失敗がなかったら、アウディ創立も少し違った状況だったかもしれませんね。

なんとも興味深いロータリーエンジンの歴史でもあります。