「クロノスの悲劇」とは?マツダが経営危機に陥った黒歴史

マツダ クロノス

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マツダは過去、経営危機に陥ったことがあります。

それは、1台の車の販売戦略が引き金となった事態であり、クロノスの悲劇とも呼ばれています。

マツダの黒歴史とも呼ばれているクロノスの悲劇ですが、どのような経緯を辿ったのでしょうか。

吉田 恒道|よしだ つねみち

1980年代、大学卒業後ファッション・モード専門誌「WWD Japan」編集部勤務を皮切りに編集者としてのキャリアを積む。その後、90年〜2000年代、中堅出版社ダイヤモンド社の自動車専門誌・副編集長に就く。以降、男性ライフスタイル誌「Straight’」(扶桑社)など複数の男性誌編集長を歴任し独立、フリーランスのエディターに、現職。著書に「シングルモルトの愉しみ方」(学習研究社)がある。

吉田 恒道
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クロノスの悲劇は、販売チャンネルを増やしすぎた結果

クロノスの悲劇は、販売チャンネルを増やしすぎた結果

クロノスの悲劇とは、当時のマツダが販売チャンネルを5チャンネルに増やしたことに起因する販売不振と経営危機のことです。

そもそもクロノスとは、1991年にカペラの後継モデルとしてデビューした車種のこと。

日本国内が高度経済成長期を迎え、日産のシーマや三菱のディアマンテなど、ボディサイズの大型化が進んでいた状況にあって、5ナンバーサイズだったカペラを3ナンバーサイズにしてカペラの名前を廃止にしました。

同時に、販売チャンネルをマツダだけでなく、オートザム・アンフィニ・ユーノス・オートラマを加え5チャンネル化します。
※画像はユーノス ロードスター

ちなみにこの頃のマツダは、アンフィニ RX-7やユーノス ロードスター、オートザム AZ-1など、現在でも多くのファンを抱える名車も数多く世に出しています。

しかし、販売チャンネルが増えたことによって、マツダは販売車種の拡大をしなければなりませんでした
※画像はマツダ MX-6

そこで、クロノスをそれぞれの販売チャンネルより、

マツダ:MX-6
アンフィニ:MS-6とMS-8
ユーノス:ユーノス500
オートザム:クレフ
オートラマ:プローブとテルスター

という具合に姉妹車を割り振り、統一した名前を付けずに販売を行ったのです。
※画像はユーノス500

その結果、新型車であるクロノス自体の名前が浸透しなかったばかりか、販売台数も伸び悩むことになります。当時の月販で、1万台にも届かなかったようです。

新型車の販売不振がマツダの経営に大打撃を与え、さらに同時期にバブル経済が崩壊したことで、マツダは経営危機に陥りました。

これが、マツダの黒歴史とも呼ばれる、クロノスの悲劇なのです。
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