ダイハツの歴代車種一覧を紹介!コンソルテベルリーナ・コンパーノ等徹底解説!(1907年~1975年)

ダイハツ・ベルリーナ

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国内では軽自動車でトップクラスのシェアを持つメーカーであるダイハツですが、もともとはエンジンの開発や製造を行う企業でした。いつから自動車製造に参入したのか、その歴史を当時のラインアップと共に紹介します。

文・PBKK
Chapter
ダイハツのはじまり
ダイハツ BEE(1951年)
ダイハツ コンパーノ(1963年)
ダイハツ ベルリーナ(1963年)
ダイハツ コンパーノスパイダー(1965年)
ダイハツ フェロー(1966年)
ダイハツ コンソルテベルリーナ(1969年)
ダイハツ タフト(1974年)
ダイハツ シャルマン(1974年)

ダイハツのはじまり

ダイハツの歴史は明治時代の1907年まで遡ります。当時エンジンは輸入製品が中心でしたが、これを国産化すべく学者や技術者が中心となり、大阪で発動機株式会社を設立。

その後、エンジンとともに車体の開発や自主生産が進められ、1930年には3輪トラックの「ダイハツ号」を発売します。ダイハツ号の由来は大阪の「大」と発動機株式会社の「発」とされ、この名前が現在のダイハツへとつながっていくことになります。

1937年には日本初の水平対向エンジン搭載4輪駆動自動車を試作しますが量産には至りませんでした。しかし、太平洋戦争の終結とともに自動車製造を本格化。ダイハツ ミゼットハイゼットなどの貨物車を中心としたラインアップを展開していきます。

ダイハツ BEE(1951年)

ダイハツ号など、戦前から続く3輪車(オート三輪)製造技術を活かし、戦後ダイハツが初めて販売した小型3輪乗用車がBEEです。エンジンを後ろに搭載するRRレイアウトや、1輪のみのフロントタイヤをほぼ覆ってしまうフロントノーズなど、特徴的なメカニズムやエクステリア(外装)を備えた3輪乗用車でした。

ダイハツ コンパーノ(1963年)

コンパーノはダイハツが初めて製造・販売した小型乗用車です。同年4月に商用車タイプのコンパーノ ライトバンが発売され、乗用車タイプのコンパーノはそれに続く形で同年6月に登場しました。

搭載する4速マニュアルトランスミッションにはすべてのギアにシンクロが装着され、国産車としては最初期に機械式インジェクターを装着したクルマでもありました。

ダイハツ ベルリーナ(1963年)

ベルリーナはコンパーノの派生モデルとして登場した乗用車で、ダイハツの小型自動車市場参入を後押ししたクルマです。

ボディーは2ドアクーペ4ドアセダンがラインナップ。3本スポークのステアリングや、ホールド性の高いシートなど、スポーティーな要素を備え、シフト形状はコラムシフトを基本とし、オプションでフロアシフトを選択することも可能でした。

ダイハツ コンパーノスパイダー(1965年)

もともとスポーティーな装備を持っていたベルリーナですが、その特徴をさらに洗練させたクルマがコンパーノスパイダーです。

ベルリーナに搭載されていた排気量0.8Lのエンジンを0.96Lまでパワーアップし、ボディーはオープンと2ドアなどスポーティーな形状のものがラインナップされました。

ダイハツ フェロー(1966年)

ダイハツはミゼットなど軽商用車では成功を収めていましたが、軽乗用車では他メーカーに後れを取っていました。その差を埋めるべくダイハツ初の軽乗用車として発売されたクルマがフェローです。

当時の軽自動車では車内空間を確保するためRRレイアウトを採用する車種が少なくありませんでしたが、フェローはあえてFRレイアウトを採用し、堅実さを示しました。

ダイハツ コンソルテベルリーナ(1969年)

1967年にダイハツはトヨタと業務提携を発表。トヨタグループの一員となります。そして、同じトヨタグループであった日野自動車とともにつくりあげたクルマがコンソルテベルリーナです。

1972年のマイナーチェンジで「ベルリーナ」の名称が外れましたが、翌年にはクーペモデルが追加されるなど、共通のボディーを持つトヨタ パプリカとともに進化を続けました。

ダイハツ タフト(1974年)

1974年に登場したダイハツ タフトは、当時空白のクラスとなっていたトヨタ ランドクルーザーやスズキ ジムニーの中間を埋めることを見込み開発されたクルマです。

ジムニーより大きく、ランドクルーザーより小さいボディーが特徴的で、排気量1Lのエンジンに4速MTを組み合わせた実用性の高さが特徴でした。

ダイハツ シャルマン(1974年)

ダイハツ シャルマンは、ダイハツにとって初めてとなる上級乗用車です。

1967年にトヨタと業務提携していたため、当時トヨタの最新車種であったトヨタ 2代目カローラのプラットフォームを利用することが可能になり、シャルマンは2代目カローラをベースに開発が進められました。

カローラとの共通点は、車体の他にもエンジンやサスペンションにも及び、その質感は当時のダイハツ車のなかでは上級車と呼ぶにふさわしいものだったと言われています。

一方で、2ドアや4ドアを基本とするカローラに対して、シャルマンの車体は4ドアノッチバックセダンの他、5ドアのライトバンなど比較的大きく実用性を高めたものがラインナップされていました。
明治時代の日本は欧米に比べて工業力が劣っていたため、エンジンを国産化することは大きな意味がありました。現在では自動車メーカーがエンジンや車体を製造することが当たり前となっていますが、当時の日本では独力でのエンジン開発は一筋縄ではいかない大変な事業でした。

クルマにかかせないエンジン開発を行ってきたダイハツは、日本の工業化を支えてきた企業だったと言えるでしょう。
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