【CarMe × 土屋圭市】ル・マンなど"日本人なめんなよ"と世界へ挑戦。プレッシャーを楽しむ土屋流メンタル論とは?

NSX GT2 1995

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ドリキンのニックネームで幅広い年齢層のクルマ好きに支持されている土屋圭市氏。今回カーミー編集部は知りたいけれどもなかなか聞けないあんなことからこんなことまで直撃インタビューを敢行。今回は勝負の世界について聞いてみました。最後の土屋さんからの一言は胸に刺さりました。

聞き手・CarMe編集部/まとめ&写真・萩原文博
Chapter
全ての始まりは、高橋国光さんからスタートした
今、土屋さんが面白いと思うレースは86/BRZレース?
世界へ挑戦!ル・マン、NASCARをドライブした時の心境は?
"日本人なめんなよ"そんな気持ちで望んだ一戦、一戦
世界へ行って思い知らさせれた日本人のレベル。だけど、それがどうした?自分の武器をもってやるべきことをやるだけ。
C:ところで、土屋さんがサーキットへいくきっかけは何だったのですか。
DK:俺はテレビで見た高橋国光の走る姿を見てかっこいいなと思った。それで生で見てみたいと思ったそれだけだよね。

全ての始まりは、高橋国光さんからスタートした

1971年、富士マスターズ250kmにてレースをする高橋国光氏
高橋国光氏(左)
C:高橋国光さんの走りを生でみたいということですね。もし今サーキットに来てもらえたら何を見てもらいたいですか。
DK:サーキットに来てもらう前に、まずはテレビを見てレースに興味を示してもらえるかどうかだよ。ゲームでもいいし、JスポーツやGT+といったTVもだけど、まずはそういったコンテンツを見てもらって興味を示してもらえるかがスタートだよね。だから、その時見てもらえるレースって大事になる。そのレースがせっかくトップ争いしているのに、ちょっと接触したらペナルティで、ゴールまで数十周とか走って優勝ですなんてレースを誰が生で見たいと思う?

今、土屋さんが面白いと思うレースは86/BRZレース?

86/BRZレース
C:中継されるレースと言えば、スーパーGT、スーパーフォーミュラーそしてDTM。今、挙げたレースのほかに見るとおもしろいレースはありますか。
DK:そうだね。86/BRZレースは楽しいと思うよ。スーパーGTとかスーパーフォーミュラに比べればマイナーなレースだけど、ドライバーはちゃんとバトルしているし面白いと思うよ。ああいうレースをトヨタがスポンサーになってくれると楽しいと思うな。アマチュアのレースっぽくていいなと思って見ていたら参戦しているのはみんなプロばかりだしね。
C:86/BRZレースはトップカテゴリーに出ているレーサーが参戦していますね。86/BRZレースみたいなレースを放映すると、自分たちが手に入れられるクルマで参戦できますからね。土屋さんのどうやったら新しい観客を呼べるレースになるのかを考えないといけないですよね。でもスープラの登場で、すっかり86/BRZの影が薄くなってきたような。。
DK:でもようやく86/BRZも150万円くらいで中古車を買えるようになってきた。これからだよ。スポーツカーは誰もが手頃で手に入れられる価格の中古車になってからユーザー層を拡大していくんだ。

C:確かに若い子が買えるようになってきましたしね。あのレースに参戦できるんだと思ってもらいたいです。
DK:そうだね。86/BRZレースはプロとアマチュアクラスに分かれているから、まずはアマチュアクラスで楽しめばいいよね。そこで上位を走るようになったらプロクラスにステップアップ。そういう選択ができるのがいいよね。
C:2020年はWRCも日本で開催されますが、土屋さんはラリーは興味とかないですか。
DK:俺個人で言わせてもらえれば、独りで走っても何がたのしいのかわからない。かな....。昔にラリーとか出たこともあるけれど、全員が走り終わって、テンション下がった頃に結果が出ても、別におもしろくなかった。路面コンディションによるハンデ差が大きいし。雪道なんて順番が後の方が圧倒的に有利だから。ドライバーの実力だけじゃなく運が左右する。それってドライバーからしたら、面白くないよね。見ている方は迫力があって面白いかもしれないけれど。

世界へ挑戦!ル・マン、NASCARをドライブした時の心境は?

C:土屋さんはNASCARとかにも挑戦してましたけれど、あのときの心境はどうだったのですか。
DK:シンプルにアメリカで有名になれるかもしれない。ル・マンだって世界で有名になれるかもしれないって感覚だね。所詮日本だけではたかが知れている。チャンスがあれば、アメリカで有名になりたい。ル・マンでヨーロッパで有名になりたいというのはあった。そう思うようになったのはいつだったかな。

1994年にテストで海外に行った時からかな。現地に行った時に向こうのスタッフの「あー日本人か。余ったタイヤでテストしておけ」みたいな態度されて。通訳になんて言っているのと聞いたら、「外人チームはタイヤチョイスができるけれど、日本人チームは余ったタイヤ付けとけといってましたよ」と言われた 。そのときに見ていろよ。と思ったね。
C:ル・マンはファクトリーチームで参戦されていましたけれど、イコール条件ではないのですね。
DK:トヨタも時もホンダの時も一緒。日本人の車は抑えでしかない。そういう扱いを受けてもレース当日までは我慢しているよね。
C:1995年にNSXで優勝したときもそうですか?
DK:あのときだってレースの途中からだよ。スタート前にはエキマニが壊れて最後尾スタートになった。そこからはホンダでさえ「あのチームいたんだな」とという感じでしか見ていなかった。ホンダが俺たちを見始めたのは夜になってから。それまではおまけだよ。

"日本人なめんなよ"そんな気持ちで望んだ一戦、一戦

1999年、ルマン24時間レースにて総合2位を獲得する土屋圭市氏と片山右京氏と鈴木利男氏
C:そんな扱いなのに何故日本人チームを作ろうと考えるのでしょうか。
DK:国さんのときは、チーム国光として日本人だけで挑戦したい。そして日本人だけで表彰台に上るのが目標だった。そしてトヨタのときもやっぱり日本人だけの車を作ろうというのはあった。しかしトヨタのときもF1ドライバー優先。その右京もF1ドライバーだけど、そのF1ドライバーでもランクがあってタイトル争いしているF1ドライバーと残念ながらそうではないドライバーとでは、扱いが全然違う。
1999年、ルマン24時間レースにて総合2位を獲得するTS020
C:日本より世界の方が、ドライバーのヒエラルキーは強いものですか?
DK:ヨーロッパは特に露骨。昔モータースポーツは貴族のスポーツだったから。まぁそれは歴史だから仕方ない。だけだからこそ、コース上で見返してやればいい。本番でこいつら全員やっつけてやるという気持ちはあった。それはもうNSXのときもトヨタの時も一緒、日本人なめんじゃねーよ。
C:ル・マンにはNSXで3回。そしてチーム郷、トヨタ、テレビ朝日レーシングプロジェクトチーム龍。思い出深いことはありますか。
DK:マクラーレンの時は俺は正式なドライバーではなかった。マクラーレンが選んだのは中谷明彦だったから。だけどマクラーレンに安川さんという知り合いがいて、その人から「シルバーストーン」でテストするよ。と聞いたから。呼ばれてないけど2泊3日のテストに押しかけた。俺が乗ったのは3日目の夕方かな。元々乗れるかどうかわからなよと言われていたけれど。みんなが使い終わったタイヤでいいなら乗れると言うことになって。そんな状況でも15人中3番目のタイムを出したんだよね。心の中ではザマーミロだよ。そのときは。

世界へ行って思い知らさせれた日本人のレベル。だけど、それがどうした?自分の武器をもってやるべきことをやるだけ。

1998年、ルマン24時間レースにて向けてテストに挑む土屋圭市氏
C:ハングリー精神というのは凄いですね。目つきがかわるというか。
DK:変わるね。日本人なめんなよというのが心にあるから、目つきが変わる。

C:日本人なめんなよという気持ちの中に、土屋圭市の存在をアピールするだけでなく、日本人の存在をアピールする目的もあった?
DK:それはない。アメリカに行った時もル・マン行った時も日本人てこんな地位なんだなと思い知らされた。多くの人はそこで心が折れたりするかもしれないけれど、俺はじゃあ見返してやればいいじゃんと思うね。それまでは日本しか知らないわけだし、アメリカに行けばこんなに日本人はバカにされるんだなというのも知った。やっぱり島国なんだよ。ヨーロッパに行けば、日本人か?ふーんと見下さされる。だから、日本で天狗になっていても誰にも認められていないのと同じだよ。
C:レーシングドライバーに限らず、他のアスリートも同じ扱いを受けるのでしょうか。
DK:俺はそう思う。だからそんなことは気にしないほうが良いと思う。現実をちゃんとみたほうがいいと思うんだ。プレッシャーにつぶされちゃう。おれはプレッシャーを楽しむタイプなんだろうな。そのプレッシャーを楽しめる、乗り越えられるとポジティブに考えないと飲み込まれてしまうと思う。これはレースだけでなく、社会ってそういうものじゃないかな。
1998年、1999年、ルマン24時間レースに日本人トリオの一員として挑んだ土屋圭市氏
自分は仕事ができると思っていても、周りが認めてくれなかったら独りよがりでしかない。だから周りに認めてもらえるような自分の武器をもって磨きをかけないとダメということ。俺の武器はクルマの運転だったということだから。自分の武器は何なのか。それに気がつくタイミングがいつなのか。コレが大切なんじゃないかな。

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