今は亡き日本の自動車メーカー5選

旧車

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現在は9社となっている日本の乗用車の製造メーカー。現在の9社体制になるまでは日本の産業と自動車の進化の中で、統廃合を繰り返してきました。そこで今回は日本の自動車産業の歴史と共に残念ながら去ってしまった今は亡き自動車メーカーをご紹介します。現在のメーカーと関わりの深いメーカーも登場しますよ。

文・西川 昇吾

西川 昇吾|にしかわ しょうご

1997年生まれ。富士スピードウェイ近隣で生まれ育ち、大学で自動車に関する学習をする傍ら、自動車ライターとしての活動を始める。過去にはコミュニティFMのモータースポーツコーナーにてレギュラー出演経験あり。「書くこと、喋ることで自動車やモータースポーツの面白さを伝える」を目標とし、様々なジャンルのライティングや企画に挑戦中。

西川 昇吾
Chapter
ホープ自動車
愛知機械工業
富士自動車
プリンス自動車工業
日本オートサンダル自動車
戦後、技術力を試す新たなフィールドとして選ばれた自動車業界

ホープ自動車

2000年代初頭まで遊園地向けの遊具の製造開発、販売を行っていた株式会社ホープ。1950年代から1960年代までは「ホープ自動車」という社名でオート3輪を製造販売していました。高度経済成長期を支えた軽自動車のオート3輪のパイオニアは何を隠そうこのホープ自動車だったのです。

しかし、マツダやダイハツといった大メーカーがオート3輪に進出し始めると徐々に衰退。1974年に自動車業界から撤退し、社名を株式会社ホープとしました。

愛知機械工業

現在は日産の完全子会社となっている愛知機械工業。前身は愛知航空機株式会社という会社で終戦後民需転換されました。1960年代頃までオート3輪の「ヂャイアント」や軽4輪自動車の「コニー・グッピー」などを製造していました。

1970年代頃からB20系サニートラックの製造などを開始し、現在では日産自動車のエンジンやトランスミッションを製造しています。

富士自動車

現在は建設機械などを開発販売する小松製作所の子会社である富士自動車。「富士自動車」という社名での活動は1948年から1973年にかけてでした。代表作として挙げられる自動車は「フジキャビン」でしょう。

ヨーロッパで販売されていた「バブルカー」のジャンルに属する3輪の小型軽自動車を販売していましたが、商業的には成功せずわずか85台という生産台数に終わりました。その後もキャブオーバータイプの軽4輪車を開発していましたが、生産には至らず自動車業界から撤退してしまいました。

プリンス自動車工業

1947年に創業し、1966年に日産と合併したプリンス自動車工業はあのスカイラインの生みの親としても有名な会社です。事実上日産に吸収合併された形となりましたが確かな技術力を誇った自動車会社でした。

モータースポーツの世界では1966年第3回日本グランプリにて当時の日本車が敵わなかったポルシェ906に勝利し、日本モータースポーツ会に一つの伝説を打ち立てました。

また納入した時期は日産に合併された後でしたが、御料車初の日本車である「日産・プリンスロイヤル」は基本的にプリンス自動車工業が製作したものです。

日本オートサンダル自動車

日本オートサンダル自動車は1952年から1954年のわずか2年という短期間で活動を終えてしまった自動車メーカーです。軽自動車規格の4輪車「オートサンダル」を生産販売していましたが、わずか2年あまりしか活動をしていなかったため、その生産台数は約200台と言われています。

2012年現在で現存が確認されているオートサンダルはわずか2台のみとなっています。

戦後、技術力を試す新たなフィールドとして選ばれた自動車業界

第二次世界大戦の終戦を迎え、飛行機や戦車などの開発に従事していた企業や技術者たちが、自らの技術力を見せる新たなフィールドとして選んだのが自動車業界でした。また現在はあまり一般的ではないですが、360㏄の旧軽自動車規格というのも小さな自動車メーカーが生まれやすい背景の一つであったのでしょう。

まだまだ量産車の技術アプローチが手探りだった時代のクルマたちは、実車をみるとユニークな発想が見え隠れするのも魅力の一つです。もし機会があれば当時のクルマたちを見てみるのも面白いと思います。
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