ロールス・ロイスとベントレーの出会いと別れ

ロールス・ロイス ベントレー

※この記事には広告が含まれます

ロールス・ロイスとベントレー。どちらもイギリス発のラグジュアリーカーということで共通点が多いように見えます。それもそのはず。
ベントレーは一時、ロールス・ロイスの傘下にいました。今回はロールス・ロイスの誕生からベントレーの買収、そして別れまでを振り返ります。
Chapter
ロールスとロイスの出会い
ロールス・ロイスとベントレーの出会い
共存関係にドイツの影が差しかかる・・・

ロールスとロイスの出会い

ヘンリー・ロイスとチャールズ・ロールスが初めてであったのは1904年です。
2人は対照的で、ロイスは貧しい幼少時代を過ごしたのに対して、ロールスは貴族の息子として生まれました。
ロイスは自動車の将来性に目をつけ、試作品の「10HP」という車を開発。
その試作機の完成度の高さを聞きつけたロールスが試乗に訪れたのが2人の出会いのキッカケです。

ロールス・ロイスとベントレーの出会い

1904年に出会った2人が意気投合していた頃、イギリスでは急速にモータースポーツが発展していきます。

1907年には世界初の常設サーキットであるブルックランズが完成しました。ウォルター・オーウェン・ベントレーも、そんな世間の潮流に魅了された1人です。

少年時代から機械いじりが好きだったベントレーは第一次世界大戦で航空エンジンの改良に従事した後、自ら自動車会社を設立します。
モータースポーツに魅了されていたベントレーはハイパフォーマンスな車を次々に開発します。

1922年にはベントレー・ボーイズを結成し、1923年から始まったル・マン24時レースにも参加しました。ひたすらモータースポーツに身をささげる姿はフェラーリを彷彿とさせますね。1927年から1930年には4連勝を果たしました。

しかし、モータースポーツとは対照的に会社の経営は上手くいっていませんでした。オーバースペックな車ばかりを生産した結果、販売しても利益があがらないという状況に陥ります。1931年、ベントレーはロールス・ロイスの傘下に収まることになりました。

共存関係にドイツの影が差しかかる・・・

第二次世界大戦を経て、ファントムシリーズを始めとしてシルバークラウドやシルバーシャドウといった名車を次々と生産していきます。

ロールス・ロイスとベントレーの共存関係は続くかと思われましたが、1998年にはVWグループが両ブランドを買収します。2003年1月からはロールス・ロイスブランドがBMWに移ったことによって、両ブランドは完全に袂を分かつことになりました・・・
エンブレムにも見て取れる両ブランドの類似性。
名残は残っていますね。
【お得情報あり】CarMe & CARPRIMEのLINEに登録する

商品詳細