マツダの過去の黒歴史!? 「5チャンネル体制」とは?
更新日:2024.09.09
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現在、絶好調のマツダですが、過去には非常に苦しい時代もありました。マツダ店、アンフィニ店、ユーノス店、オートザム店、オートラマ店に分けて車を販売する「5チャンネル体制」をご存知ですか?今回はマツダが1989年に展開した「5チャンネル体制」にフォーカスし、マツダが過去に行った販売戦略の事例を振り返ってみます。いったい、どのような戦略だったのでしょうか?
マツダ 5チャンネル体制とは?
マツダ5チャンネル体制とは、バブル経済絶頂期の1989年にマツダが展開した国内販売戦略です。
当時のトヨタがトヨタ店、トヨペット店、カローラ店、オート店、ビスタ店と5つのチャンネルを展開していたのと同様に、マツダも複数のチャンネルを整備しラインナップを広げ、国内での販売網の強化を図りました。
当時はバブル絶頂期ということもあり、「モノがあれば売れる」というような感覚に陥っていたのかもしれませんね。
思い切った経営戦略に踏み込んだマツダでしたが、後にこの挑戦はマツダを経営危機に追い込むこととなります。
どうしてマツダの5チャンネル体制は失敗してしまったのでしょうか?まずは、当時マツダが展開した5つのブランドを振り返ってみましょう。
当時のトヨタがトヨタ店、トヨペット店、カローラ店、オート店、ビスタ店と5つのチャンネルを展開していたのと同様に、マツダも複数のチャンネルを整備しラインナップを広げ、国内での販売網の強化を図りました。
当時はバブル絶頂期ということもあり、「モノがあれば売れる」というような感覚に陥っていたのかもしれませんね。
思い切った経営戦略に踏み込んだマツダでしたが、後にこの挑戦はマツダを経営危機に追い込むこととなります。
どうしてマツダの5チャンネル体制は失敗してしまったのでしょうか?まずは、当時マツダが展開した5つのブランドを振り返ってみましょう。
①幅広い車種を扱う「マツダ店」
まずはマツダ店。
ファミリア等の小型車から商用車、高級車等を幅広く扱うメインブランドでした。
ファミリア等の小型車から商用車、高級車等を幅広く扱うメインブランドでした。
②スポーツカー系高級車ブランド「アンフィニ店」
RX-7やMS-9等のスポーツカーや高級車扱うアンフィニ店の前身はマツダオート店です。
「アンフィニ」はフランス語で「無限」を意味します。
「アンフィニ」はフランス語で「無限」を意味します。
③名車、ユーノス・ロードスターを輩出した「ユーノス店」
ユーノス店は、ロードスターやユーノス コスモ等を扱っていました。
ユエンブレムは十二単の襟部分がモチーフとなっており、当時ネームバリューの低かった「マツダ」ブランドを隠す意味合いもこめられていました。
ユーノス店では、フランスのシトロエン販売されました。
ユエンブレムは十二単の襟部分がモチーフとなっており、当時ネームバリューの低かった「マツダ」ブランドを隠す意味合いもこめられていました。
ユーノス店では、フランスのシトロエン販売されました。
④軽自動車・小型車を中心に取り扱う「オートザム店」
オートザム店は、「あなたの街の身近なカーショップ」をディーラーコンセプトに掲げ軽自動車を中心に扱いました。
高級車ラインナップを補う目的でランチアの正規輸入権を取得し、フィアットが製造するランチアやアウトビアンキブランド等の乗用車も販売しました。
高級車ラインナップを補う目的でランチアの正規輸入権を取得し、フィアットが製造するランチアやアウトビアンキブランド等の乗用車も販売しました。
⑤フォードブランドを扱う「オートラマ店」
そして、最後はフェスティバやテルスター等のフォード車を扱ったオートラマ店。フォード専用のチャンネルとして活躍しました。
このように、それぞれ5つの特徴を持ったチャンネルを展開し、国内販売網の強化に努めましたが結果は”失敗”に終わります。
なにが原因だったのでしょうか。
このように、それぞれ5つの特徴を持ったチャンネルを展開し、国内販売網の強化に努めましたが結果は”失敗”に終わります。
なにが原因だったのでしょうか。
なぜ、「5チャンネル体制」は失敗となったのか?
販売チャンネルによって、取り扱う車種を明確に分けたことで、企業規模が小さかったマツダを長期に渡って苦しめることになりました。
ラインアップの差別化が不十分なまま様々なモデルを展開したために、ブランドイメージは混乱し、販売台数は低下。モデルの売れ行きは良くないのに、急激にモデル数を増やしたため、研究開発費や固定費は増大。さらにバブル崩壊という景気の低迷がマツダを苦しめ、1996年には長年提携関係にあったフォード傘下になってしまいます。
同時にブランドが一本化されましたが、それまでにかく車を売るために安売りに頼った販売を行ってしまったため、ブランドイメージはさらに低下。マツダ社内もリストラによる人材の流出や新規開発の凍結などによる技術力の低下という悪循環に陷ります。
マツダにとっては非常に辛い時代だったことでしょうね。
その後、2002年に「Zoom-Zoom」のキャッチフレーズを掲げオリジナルブランドを構築し、メーカーとディーラーが一体となってマツダのイメージ向上へと取り組んでいくこととなります。
ラインアップの差別化が不十分なまま様々なモデルを展開したために、ブランドイメージは混乱し、販売台数は低下。モデルの売れ行きは良くないのに、急激にモデル数を増やしたため、研究開発費や固定費は増大。さらにバブル崩壊という景気の低迷がマツダを苦しめ、1996年には長年提携関係にあったフォード傘下になってしまいます。
同時にブランドが一本化されましたが、それまでにかく車を売るために安売りに頼った販売を行ってしまったため、ブランドイメージはさらに低下。マツダ社内もリストラによる人材の流出や新規開発の凍結などによる技術力の低下という悪循環に陷ります。
マツダにとっては非常に辛い時代だったことでしょうね。
その後、2002年に「Zoom-Zoom」のキャッチフレーズを掲げオリジナルブランドを構築し、メーカーとディーラーが一体となってマツダのイメージ向上へと取り組んでいくこととなります。
現在はブランドの再構築に成功
苦しい時代を味わったマツダですが、現在ではスカイアクティブ技術や魂動デザインを中心にブランドの再構築に成功しました。
CX-5、アテンザ、アクセラ、デミオ、ロードスターを始め、新モデルCX-8も投入するなど、快進撃を繰り広げています。
苦しい時代の中でもモノづくりにこだわり続け、永年の成果を出すことができたマツダですが、「薄氷の上の経営」が続いているとも言われています。
しかし我々クルマ好きにとっては、ル・マン24hでの優勝やロータリーエンジンは、特別な事柄であり、今後も存続を期待するメーカーのひとつです。搭東京モーターショー2017では、どんな発表で我々を楽しませてくれるのでしょうね。
CX-5、アテンザ、アクセラ、デミオ、ロードスターを始め、新モデルCX-8も投入するなど、快進撃を繰り広げています。
苦しい時代の中でもモノづくりにこだわり続け、永年の成果を出すことができたマツダですが、「薄氷の上の経営」が続いているとも言われています。
しかし我々クルマ好きにとっては、ル・マン24hでの優勝やロータリーエンジンは、特別な事柄であり、今後も存続を期待するメーカーのひとつです。搭東京モーターショー2017では、どんな発表で我々を楽しませてくれるのでしょうね。