マツダの過去の黒歴史!? 「5チャンネル体制」とは?
更新日:2019.07.16

現在、絶好調のマツダですが、過去には非常に苦しい時代もありました。マツダ店、アンフィニ店、ユーノス店、オートザム店、オートラマ店に分けて車を販売する「5チャンネル体制」をご存知ですか?今回はマツダが1989年に展開した「5チャンネル体制」にフォーカスし、マツダが過去に行った販売戦略の事例を振り返ってみます。いったい、どのような戦略だったのでしょうか?
マツダ 5チャンネル体制とは?
マツダ5チャンネル体制とは、バブル経済絶頂期の1989年にマツダが展開した国内販売戦略です。
当時のトヨタがトヨタ店、トヨペット店、カローラ店、オート店、ビスタ店と5つのチャンネルを展開していたのと同様に、マツダも複数のチャンネルを整備しラインナップを広げ、国内での販売網の強化を図りました。
当時はバブル絶頂期ということもあり、「モノがあれば売れる」というような感覚に陥っていたのかもしれませんね。
思い切った経営戦略に踏み込んだマツダでしたが、後にこの挑戦はマツダを経営危機に追い込むこととなります。
どうしてマツダの5チャンネル体制は失敗してしまったのでしょうか?まずは、当時マツダが展開した5つのブランドを振り返ってみましょう。
①幅広い車種を扱う「マツダ店」
まずはマツダ店。
ファミリア等の小型車から商用車、高級車等を幅広く扱うメインブランドでした。
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