アルファロメオの最高峰を表す"クアドリフォリオ"とは?

アルファロメオ ジュリア クアドリフォリオ

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イタリアを代表する自動車メーカー、アルファロメオ。その歴史は古く、レースシーンで圧倒的な存在感を示してきたスポーツカーブランドです。そんなアルファロメオの新型SUVステルヴィオやミドルサイズセダンのジュリアには、クアドリフォリオと呼ばれるハイパフォーマンスモデルが存在します。このクアドリフォリオという名前にまつわるヒストリーを紹介しましょう。

文・西山昭智
Chapter
クアドリフォリオの歴史
2色の四つ葉のクローバー
21世紀へと受け継がれる伝統

クアドリフォリオの歴史

クアドリフォリオは、イタリア語で四つ葉のクローバーを意味しています。日本での四つ葉のクローバーといえば、存在自体が希少でなかなか見つからず、見つけた者には幸運が訪れるという意味合いを持っていますが、それはイタリアでも同じこと。そんな幸運のモチーフであるクアドリフォリオがアルファロメオの歴史に登場したのは、1923年のことでした。

当時、優れた技術を持ちながらもレースで良い結果を残せなかったアルファロメオのドライバー、ウーゴ・シボッチが、同年のタルガフローリオというレースで、愛車のアルファロメオ RLのノーズに、真っ白な正方形の白地に描かれた緑色(ヴェルデ)のクアドリフォリオを描いたことが始まりです。

そのクアドリフォリオを掲げたRLは、ウーゴ・シボッチを総合優勝に導き、その後、アルファロメオのレースシーンにおけるシンボルとして使われるようになります。

しかし、タルガフローリオの優勝から数か月後、ウーゴ・シボッチはレース予選中に事故死してしまいます。このときに搭乗していたマシンには、クアドリフォリオが描かれていませんでした。
それ以降、アルファロメオでは、すべてのワークスマシンにお守りとしてクアドリフォリオ ヴェルデを描くようになりました。その際、彼の死を悼んで白い正方形は三角形へとフォルムを変えています。

1925年にアルファロメオがワールドチャンピオンに輝いたとき、その栄光をもたらした傑作マシンのP2エンジンフードにも、緑色のクアドリフォリオが燦然と輝いていました。

大戦後、F1世界選手権が1950年に開幕。1950年度は、ティーポ158でニーノ・ファリーナが、翌1951年は、ティーポ159(アルフェッタ)で
ファン・マヌエル・ファンジオが、ワールドチャンピオンに輝きます。とのときのマシンには、コクピット付近にクアドリフォリオが描かれていました。

2色の四つ葉のクローバー

アルファロメオレーシングの象徴となっていたクアドリフォリオ ヴェルデが、市販車でも使われるようになります。

といってもクアドリフォリオが描かれていたのは、ツーリングカーレースのホモロゲーション用に1963年に発売されたジュリア TIスーパーや、1965年に登場したジュリア スプリントGTAというレースにゆかりのあるスペシャルモデルだけでした。

1980年代になると、2つのクアドリフォリオがマーティングのために登場します。ひとつはスポーツモデルのクアドリフォリオ ヴェルデ。そしてもうひとつは、よりラグジュアリーな装備を採用したクアドリフォリオ オーロ(金)で、アルフェッタやアルファ6、33、90などにラインナップされていました。

21世紀へと受け継がれる伝統

このクアドリフォリオは1990年代になっても受け継がれ、日本ではコンパクトハッチバックの145クアドリフォリオがブレイク。またフラッグシップセダンの164にもクアドリフォリオが人気を集めました。

そして21世紀を迎えたいま、満を持して新しいクアドリフォリオが登場しました。新型SUV ステルビオと、アッパーミドルクラスセダンのジュリアに用意されるクアドリフォリオは、ハイパフォーマンスエンジンに最新のテクノロジーを注ぎ込んだフラッグシップモデルです。

かつてアルファロメオのワークスマシンにのみ許された幸運のシンボル。それがクアドリフォリオの正体でした。その伝統は、現在のF1(アルファロメオ・ザウバーF1)にも受け継がれると同時に、市販モデルのフラッグシップとして存在しています。

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