おしゃべりなクルマたち Vol.51 母と義母

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その昔、初めて姑に会ったとき、私はこの世にこれだけ実母と似ている人間がいるのかと腰を抜かしたものだった。あの時の姑の年齢に自分が近づいている今でも、この印象は変わらない。

text:松本 葉 イラスト : 武政 諒 [aheadアーカイブス vol.120 2012年11月号]
Chapter
Vol.51 母と義母

Vol.51 母と義母

母は雨に濡れるヒトを見ると意気揚々と鞄から折り畳み傘を取り出し、無理矢理、それを押し付けた。傘は常に2本もつ、これが彼女の信条だった。かわって姑は遠くで鼻をヒクヒクさせながらポケットを探るヒトを見つけると自分のティッシュを握って駆け出す。

母は醤油さしでもオイルでも垂れる危険性のある瓶モノにはすべてハカマを履かせたが、姑は汚れる危険性のあるものにはすべてカバーする。それならと、ソファにかけるきれいな布をプレゼントしたら、その上にさらにカバーを掛けた。

ふたりとも免許は持っていないが、仕切るのは同じ、信号が赤だから止まれとか、あそこに駐めろと横から指示を出す。だから―、私は彼女を乗せて運転するのが嫌いなのである。母を横に乗せるのもイヤだったなあ。
 
そんな姑と、秋のはじめ、イタリア中部地方にある舅の墓参りに出掛けた。往復800キロのロング・ドライブだが、だから「女同士が気楽でいいのよ」と彼女は言う。「喋っていればあっという間に着いちゃうからね」。

もちろん喋っているのはずっと姑で、私はラジオが流れていると思うことにした。ラジオに向かって相槌を打つ。街中ではあっちを走れ、こっちに曲がれと煩いが、高速道路にあがると静かになる。私が車線変更を我慢して走行車線をひたすら走り続けたからだった。運転に指示を出せぬと悟ると姑は(それでも口はずっと動いているが)、ごそごそクルマの中の整理を始める。

まずは目の前のグローブボックスを開ける。私が常備するバケットを入れる手縫いの袋を見つけたときは嬉しそうだった。糸が垂れているのを発見してそれを歯でグイッと切り、皺を手で叩いて伸ばして膝の上で丁寧に畳む。

これを一番、奥に閉まったが、私がしょっちゅう使うと知って、再び引っ張り出して手前に置く。右端が便利かしら、左端、眼鏡ケースの横がいいかしらとお悩みである。ここがすむとドアボケットの整理だ。鼻をかんだ後、突っ込んでおいたティッシュを集める。私が慌てると喝が飛ぶ。「まっすぐ前みて運転しなさい」。
 
舅が眠るお墓のある村に到着する頃にはクルマの中はすっかり整理されて〝姑の空間〟に変身していた。こうやってどこに行っても行く場所をすべて自分の空間に変身させるのは私の母も同じであった。ママは根をはることで自分の居場所を探しているのだ、舅は苦笑しながらいつもこう言ったものだった。
 
〝ちょっとひなびた感じ〟が好きだった舅に似合いそうな、枯れ葉やしおれた花にまみれたお墓は姑の手であっという間にきれいになった。ついでにお隣りのお墓も向かえのお墓もパッパと履いて、そして言ったのだった。

「女ふたりの旅ってほんと、楽しいわね。来年も一緒に来ましょうね」。私は母の声を聞いたようで思わずあたりを見回してしまった。

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text : 松本 葉/Yo Matsumoto
自動車雑誌『NAVI』の編集者、カーグラフィックTVのキャスターを経て1990年、トリノに渡り、その後2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を続ける。著書に『愛しのティーナ』(新潮社)、『踊るイタリア語 喋るイタリア人』(NHK出版)、『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)ほか、『フェラーリエンサイクロペディア』(二玄社)など翻訳を行う。
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