DUCATI Japan 加藤 稔社長インタビュー オートバイを 他の世界と繋げたい
更新日:2024.09.09
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2009年2月。2輪業界にちょっとしたさざ波が立った。ドゥカティジャパンの社長の交代がアナウンスされ、98年の設立以来、初めて日本人が就任することになったからだ。
text:伊丹孝裕 photo : 櫻間 潤 [aheadアーカイブス vol.125 2013年4月号]
text:伊丹孝裕 photo : 櫻間 潤 [aheadアーカイブス vol.125 2013年4月号]
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オートバイを 他の世界と繋げたい
しかも、その人物というのが生え抜きのBMWマンであり、4輪業界からの転身だった。それが加藤 稔氏。
85年にBMWジャパンに新卒採用され、10年間のセールスマン時代に451台という販売実績を残した後、本部にて新車、中古車の「セールス&マーケティングマネージャー」を歴任。特にリテール分野のブランディングに関してプロフェッショナルな手腕を発揮した人である。
当時のBMWは好調そのもの。かたやドゥカティは、やや停滞期を迎えていたため、「一体なぜ」といぶかる声も多かった。「BMWでの24年間、〝常に新しいものを開拓する〟というチャレンジスピリッツを植えつけられてきました。言い換えると、そろそろ違う世界に踏み込むのも、そのひとつではないかと。
そんなマインドが膨らみつつあった時期に、ドゥカティから話を頂いたんです。もちろん、リスクを感じなかったわけではありませんが、ドゥカティのセンスやクオリティにインスピレーションを感じました。それはまるで、BMWへの入社を決意した若かりし頃の感覚を呼び覚ましてくれるものでしたね」。
確かに、かつてのBMWと09年当時のドゥカティを取り巻く環境には、共通するところがあった。というのも、スポーティ路線を歩んできたBMWのイメージが、いつしかラグジュアリーなものへと変化。
その渦中において、様々なプロモーションを手掛けてきたのが加藤氏自身である。一方のドゥカティも、パフォーマンスありきだったモデル構成にムルティストラーダ等のプレミアム路線が加わり、ブランドイメージとセールスプロモーションの転換期を迎えようとしていた。そこに、加藤氏の経験が活きることになる。
とはいえ、ドゥカティとBMW、2輪と4輪、イタリアとドイツである。近いようでまるで異なるこの2つの文化は、たやすく行き来できるほど開放的ではない。
特に、2輪と4輪の差は大きく、職人気質が色濃い2輪ショップと顧客サービスに徹する4輪では、ディーラーの雰囲気からして異なる。
「まず販売方法の違いに驚きました。4輪は趣味というより移動の道具になりつつあった為、悪く言えば無機質になりがちです。2輪のように雑談しにディーラーへ行くことなど、まずありません。逆に2輪はそれが普通で、販売はもとよりツーリングやサーキットでお客さまと一緒に遊ぶ。
そんなアクティビティも求められます。これは4輪も取り入れるべき手法です。一方、店構えやマナー、接客面では2輪は4輪に学ぶべきところが多い。まずは、こうした内的改善に取り組みました」。
こうして、4輪出身のトップが長年染みついた2輪ディーラーの慣習を変えようとする。そこには相当の抵抗があったのではないだろうか。 「私も覚悟していましたが、実際には、そのようなことは、ありませんでした」。ディーラーの方々も閉塞感の中で、ビジネスを学ぶことに飢えていたのだと思います。
ですから、むしろ〝教えて欲しい〟という声が多かった。私たちとしても、2輪ならではのいい面は尊重しつつ、サービス業として受け入れるべきところはお願いしますよと。そういうスタンスで信頼関係を構築してきました。
当初よく言われたのが「政策が見えない」ということでした。そして、メーカーとディーラーの間の距離感です。ですから、イベントにしても会議にしても、あらゆることをリポートして、情報を共有した結果、お互いの温度差が埋められたと考えています」。
一方で、加藤社長がこだわったもうひとつの改善策がある。それがオートバイ業界全体の活性化と社会的な地位向上だ。こうした問題に、ドゥカティジャパンはこれまでにないスタンスで臨んでいる。それが数々のブランドとのコラボ企画や、クラブイベントをはじめとした〝バイクとは一見無縁とも思える業界〟との連携である。
「ドゥカティに参加して、間近にバイクを見た時、工業製品としてこんなに美しいものがあるのかと感銘を受けました。クルマと異なり、バイクはパーツのひとつひとつがすべて剥き出し。それゆえ、すべてがデザインされたアートと言えます。だからこそ、サーキットやディーラー以外のフィールドでもっとアピールするべきだと考えました。
そのひとつがファッションイベントやクリエイターの方々へのPRだったのです」。そうした場でも、加藤社長は単に車両を飾るだけではなく、誰もが写真を撮ったり、触れたりできるようにした。すると、若い女性たちが興味を持ち、SNS等で積極的に情報を発信してくれたという。ブランドイメージの向上には女性の力が大きい。BMW時代の経験上、加藤社長はそれをよく知っていたのだ。
そして、今こそバイクの可能性を解き放とうと、あらゆる方法に打って出ようとしているのだ。
「私自身、バイクを知ることができて本当に良かった。健康的で、人との繋がりが濃密で、しかも文化的。ある種のアナログですが、だからこそ忘れてはいけない世界観でしょう。
今後、ゴルフのような広がりを見せてくれるといいですよね。かつてのゴルフはお父さんの趣味でしたが、それがいつの間にかファッションになり、若者にも浸透しました。ああいう流れは理想的です。
バイクにはその資質が十分あると思いますし、私たちとしてもバイクそのものの他、例えばアパレルやカフェ、イベント等を通して、バイクのある生活をトータルで提案していきたい。ドゥカティなら、それが可能だと信じています。バイクをたしなむ時間をごく普通のことにしていきたいのです」。
本来は、オートバイ大国であるはずの日本に、今こそ、その文化を根付かせる。ドゥカティから発信される情熱や美意識が、その最初の一歩になろうとしているのだ。
85年にBMWジャパンに新卒採用され、10年間のセールスマン時代に451台という販売実績を残した後、本部にて新車、中古車の「セールス&マーケティングマネージャー」を歴任。特にリテール分野のブランディングに関してプロフェッショナルな手腕を発揮した人である。
当時のBMWは好調そのもの。かたやドゥカティは、やや停滞期を迎えていたため、「一体なぜ」といぶかる声も多かった。「BMWでの24年間、〝常に新しいものを開拓する〟というチャレンジスピリッツを植えつけられてきました。言い換えると、そろそろ違う世界に踏み込むのも、そのひとつではないかと。
そんなマインドが膨らみつつあった時期に、ドゥカティから話を頂いたんです。もちろん、リスクを感じなかったわけではありませんが、ドゥカティのセンスやクオリティにインスピレーションを感じました。それはまるで、BMWへの入社を決意した若かりし頃の感覚を呼び覚ましてくれるものでしたね」。
確かに、かつてのBMWと09年当時のドゥカティを取り巻く環境には、共通するところがあった。というのも、スポーティ路線を歩んできたBMWのイメージが、いつしかラグジュアリーなものへと変化。
その渦中において、様々なプロモーションを手掛けてきたのが加藤氏自身である。一方のドゥカティも、パフォーマンスありきだったモデル構成にムルティストラーダ等のプレミアム路線が加わり、ブランドイメージとセールスプロモーションの転換期を迎えようとしていた。そこに、加藤氏の経験が活きることになる。
とはいえ、ドゥカティとBMW、2輪と4輪、イタリアとドイツである。近いようでまるで異なるこの2つの文化は、たやすく行き来できるほど開放的ではない。
特に、2輪と4輪の差は大きく、職人気質が色濃い2輪ショップと顧客サービスに徹する4輪では、ディーラーの雰囲気からして異なる。
「まず販売方法の違いに驚きました。4輪は趣味というより移動の道具になりつつあった為、悪く言えば無機質になりがちです。2輪のように雑談しにディーラーへ行くことなど、まずありません。逆に2輪はそれが普通で、販売はもとよりツーリングやサーキットでお客さまと一緒に遊ぶ。
そんなアクティビティも求められます。これは4輪も取り入れるべき手法です。一方、店構えやマナー、接客面では2輪は4輪に学ぶべきところが多い。まずは、こうした内的改善に取り組みました」。
こうして、4輪出身のトップが長年染みついた2輪ディーラーの慣習を変えようとする。そこには相当の抵抗があったのではないだろうか。 「私も覚悟していましたが、実際には、そのようなことは、ありませんでした」。ディーラーの方々も閉塞感の中で、ビジネスを学ぶことに飢えていたのだと思います。
ですから、むしろ〝教えて欲しい〟という声が多かった。私たちとしても、2輪ならではのいい面は尊重しつつ、サービス業として受け入れるべきところはお願いしますよと。そういうスタンスで信頼関係を構築してきました。
当初よく言われたのが「政策が見えない」ということでした。そして、メーカーとディーラーの間の距離感です。ですから、イベントにしても会議にしても、あらゆることをリポートして、情報を共有した結果、お互いの温度差が埋められたと考えています」。
一方で、加藤社長がこだわったもうひとつの改善策がある。それがオートバイ業界全体の活性化と社会的な地位向上だ。こうした問題に、ドゥカティジャパンはこれまでにないスタンスで臨んでいる。それが数々のブランドとのコラボ企画や、クラブイベントをはじめとした〝バイクとは一見無縁とも思える業界〟との連携である。
「ドゥカティに参加して、間近にバイクを見た時、工業製品としてこんなに美しいものがあるのかと感銘を受けました。クルマと異なり、バイクはパーツのひとつひとつがすべて剥き出し。それゆえ、すべてがデザインされたアートと言えます。だからこそ、サーキットやディーラー以外のフィールドでもっとアピールするべきだと考えました。
そのひとつがファッションイベントやクリエイターの方々へのPRだったのです」。そうした場でも、加藤社長は単に車両を飾るだけではなく、誰もが写真を撮ったり、触れたりできるようにした。すると、若い女性たちが興味を持ち、SNS等で積極的に情報を発信してくれたという。ブランドイメージの向上には女性の力が大きい。BMW時代の経験上、加藤社長はそれをよく知っていたのだ。
そして、今こそバイクの可能性を解き放とうと、あらゆる方法に打って出ようとしているのだ。
「私自身、バイクを知ることができて本当に良かった。健康的で、人との繋がりが濃密で、しかも文化的。ある種のアナログですが、だからこそ忘れてはいけない世界観でしょう。
今後、ゴルフのような広がりを見せてくれるといいですよね。かつてのゴルフはお父さんの趣味でしたが、それがいつの間にかファッションになり、若者にも浸透しました。ああいう流れは理想的です。
バイクにはその資質が十分あると思いますし、私たちとしてもバイクそのものの他、例えばアパレルやカフェ、イベント等を通して、バイクのある生活をトータルで提案していきたい。ドゥカティなら、それが可能だと信じています。バイクをたしなむ時間をごく普通のことにしていきたいのです」。
本来は、オートバイ大国であるはずの日本に、今こそ、その文化を根付かせる。ドゥカティから発信される情熱や美意識が、その最初の一歩になろうとしているのだ。
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text : 伊丹孝裕/Takahiro Itami
1971年生まれ。二輪専門誌『クラブマン』の編集長を務めた後にフリーランスのモーターサイクルジャーナリストへ転向。レーシングライダーとしても活動し、これまでマン島TTやパイクスピーク、鈴鹿八耐を始めとする国内外のレースに参戦してきた。国際A級ライダー。
text : 伊丹孝裕/Takahiro Itami
1971年生まれ。二輪専門誌『クラブマン』の編集長を務めた後にフリーランスのモーターサイクルジャーナリストへ転向。レーシングライダーとしても活動し、これまでマン島TTやパイクスピーク、鈴鹿八耐を始めとする国内外のレースに参戦してきた。国際A級ライダー。