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vol.4 ギャグから始まったスズキライフ

vol.4 ギャグから始まったスズキライフ

▶︎写真はGSX-R1100H型。油冷エンジンを搭載した18インチモデルである。下の写真はスズキ ギャグ。50ccでありながら本格的なフルカウルを装備。ヨシムラからチューニングパーツも販売されていた。


それでも僕らは誇らしかった。RG-250Γがそうであったように、GSX-R750がそうであったように、50㏄にもいち早くレーサーレプリカを送り込むというその心意気に歓喜したのだ。

以来、スズキにはずいぶんと乗ったと思う。ギャグの後はアドレス50、DR250Sと続き、GSX-R1100には3台乗り継いだ。サーキットを走り始めた頃はスズキワークスから声が掛かることを夢見てRGV-250Γを選び、ライダー人生最初で最後の大勝負になるかもしれないと思ったマン島TT参戦時にはGSX-R600を2台準備し、現地へと運んだ。

そう言えばクルマもだ。レースを始めた頃、一番最初のトランスポーターは軽トラックのキャリィだったし、子どもがまだ小さかった数年前まではジムニーがファミリカーだった。もしかしたらまだあったかもしれないが、ともかくざっと思い返してみてもこんな具合。

かれこれ28年目に突入した免許キャリアの内、その半分くらいの年月、その半分くらいの所有台数をスズキとともに過ごしてきたということになる。それこそ今にして思えば、であるが。なぜスズキ?
なぜだろう。若い頃はスペックの分かりやすさに惹かれたのは間違いない。最軽量、最高速、最大出力……。それがなんであれ「ココはウチが一番」という主張が明らかで、その差がたとえ1キログラム、1キロメートルアワー、1馬力だったしてもスズキを選ぶ後押しになっていたのである。
 
もうひとつは孤高感みたいなものだろう。とりわけモータースポーツの世界にそれは顕著で、ホンダやヤマハをメジャーと言うなら、スズキはその座を狙うマイナー。だからこそプライベーターとしてのヨシムラの意地やシュワンツのライディングの儚さに一喜一憂でき、あの頃所有していたGSX-RやRGV-Γを通して「いつか自分も」という夢が見られたのだ。

今では分別もつくようになり、単純にスペックを追いかけたりはしなくなった。それでもなお、スズキに惹かれるのはここぞという時の絶対的な信頼感があるからだ。最後に乗ったGSX-R600とジムニーもその最たる例だが、前者はどんな速度域でも破綻しないハンドリングに、後者は圧倒的な走破性にそれを感じられた。少し大げさに言えば、いざという時にこの身を預けられるかどうかと言ってもいい。

スズキにはそうした信頼に足るモデルが今も確実にある。派手さも目を引くギミックも少ないかもしれない。しかし、乗れば分かる愚直さがそこにある。この先もまたスズキに乗ることがあるに違いない。その時に「なぜ?」と聞いてもらえれば、今よりももっと明快な答えが返せると思う。

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text:伊丹孝裕/Takahiro Itami
1971年生まれ。二輪専門誌『クラブマン』の編集長を務めた後にフリーランスのモーターサイクルジャーナリストへ転向。レーシングライダーとしても活動し、これまでマン島TTやパイクスピーク、鈴鹿八耐を始めとする国内外のレースに参戦してきた。国際A級ライダー。
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