忘れられないこの1台 vol.52 トヨタ MR2

アヘッド トヨタ MR2

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1984年に発売された量産国産車初のミッドシップカー。高価なイメージのミッドシップを、手頃な価格に仕上げた新しいジャンルのクルマだった。加速性能の良さが好評な反面、コーナリングでは非常に繊細な操作を要求されることも。AW型は’84〜’89年まで製造、モデルチェンジを経て’99年に生産を終了した。

text:加藤彰彬  [aheadアーカイブス vol.130 2013年9月号]
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vol.52 トヨタ MR2

vol.52 トヨタ MR2

これまでに出会ったどのクルマにもそれぞれに思い入れがあるけれど、初めての1台だけは、生涯、決して忘れることはできないと思う。

僕がMR2を買ったのは平成7年。18歳の時だ。当時、僕は全日本カート選手権に参戦していた。その資金を稼ぐために昼も夜も働き詰め。教習所に通うお金もなく、自分で教本を買って勉強し、直接試験場で自動車免許を取得した。本当は遠征用のトランポを運転するために取った免許だったが、当然のごとく愛車が欲しくなった。

どうせぶつけたり壊したりするのだから安い中古車でいいだろうと思っていたが、同じカートチームで中古車屋を経営する先輩が「初めてのクルマはちゃんとしたものがいい。俺が探してあげるよ」と言ってくれた。「マニュアル車、後輪駆動、予算は60万円」僕の条件はそれだけ。

本心を言うと、理想としてはロードスターが欲しかったのだが、予算的に難しく、2週間経って先輩が見つけてきてくれたのはMR2だった。予算内でマニュアル車でおまけにスポーツカー。よく聞くとAW型の最終形のNAで状態もとてもいいというので、現車も見ずに即決した。

周囲からは「MR2はミッドシップで乗りこなすのが難しいんだぞ」と反対された。周囲の予想通り、納車後一週間で道路から10mくらい落下し、友だち10人でクルマを引き揚げた。幸い損傷はフロントが少し潰れただけ。これなら自分で修理できそうと、解体屋をかけずり回り、部品を集めては修理し、また壊しては修理する日々が続いた。

その後、友人から中期型のスーパーチャージャーを1台譲ってもらい、さらには部品取りの解体車も買って来て、一時は3台同時に所有するほどのめり込んだ。

MR2はフロントが軽いためパワーステアリングがついていない。そのため路面の状況が手のひらにダイレクトに伝わって来るし、ステアリングの重さでクルマの姿勢やグリップが分かり、ドライビングやセッティングの勉強にとても役立った。

雨や雪が降れば友人と走りに出かけて感覚を磨き、走りに行けないときは、手に入れたパーツの交換やセッティングの変更を後輩と一緒に徹夜で作業した。また年式によって改良された部品を見つけては交換し、開発した人が何を考えて開発したのか、研究に明け暮れた。

そんな経験が今の自分のドライビング、セッティング、チューニングなどの考え方を形作って来た。そればかりでなく、あのとき親身になってMR2を探してくれた先輩の姿が、今現在、新車や中古車を探しにくるお客様との関わり方の原点となっている。
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text:加藤彰彬/Teruaki Kato
ロードスター、アバルトがメインのチューニングショップ「TCR JAPAN」を経営する傍ら、レーシングドライバーとしても活躍。ロードスターのパーティーレースでは22戦中21回優勝という経歴を持つ。4時間耐久レースに挑戦する若林の先生でもある。http://www.tcrjapan.com
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