埋もれちゃいけない名車たち VOL.19 遊びが広がる若者のスポーツモデル「日産チェリー・クーペ」

アヘッド 日産チェリー・クーペ

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今回の特集のテーマに〝文学〟という文字が入るかも…と聞いた僕が、その特集の実際の内容とは全く関係なしに連想したのは、クルマが登場する小説→大藪春彦さんの『東名高速に死す』→昭和のGTスポーツカー→ほとんど絶滅しちゃった→代表選手はチェリー・クーペ…。

text:嶋田智之  [aheadアーカイブス vol.135 2014年2月号]
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VOL.19 遊びが広がる若者のスポーツモデル「日産チェリー・クーペ」
日産チェリー・クーペ

VOL.19 遊びが広がる若者のスポーツモデル「日産チェリー・クーペ」

大藪さんは1968年に〝チーム・マグナム〟というレーシングチームを作って日本グランプリなどに参加するほどのクルマ好きで、自らチューンナップしたスカイラインGT-Rを足にするほどのクルマ好き。

当然、その作品には国産のGTスポーツカーの名前がよく登場する。『東名高速に死す』は1970年の上梓で、ブルーバードSSS、スカイラインGT-R、マークⅡGSS、ベレットGTRといった名前を見ることができる。

が、チェリー・クーペの名前は出てこない。そのベースとなるセダンがその年にデビューしたばかりだからだ。

作品を再読しながら「日産のGT-Rを除くと、もう名前すら残ってないんだなぁ…」と寂しくなり、まだ日本の自動車メーカーが積極的にスポーツカー、スポーティカー、GTカーを作っていた'70年代、'80年代といったよき時代を偲ぶ気分となったとき、不意にチェリー・クーペの姿が浮かんできた。

チェリー・クーペは、軽自動車からの乗り換え需要を狙う大衆車カテゴリーの最も下のクラスに位置づけられたチェリーのスポーツモデルとして、セダンに遅れること1年後に登場した。

最大の特徴は、その砲弾型のスタイリング。こんな極端なカタチをしたクルマは、当時の日本には他に存在しなかった。

大きく開くテールゲートを持っていたのもひとつの売りで、リアシートを倒せば小さなワゴン代わりにも使える広大な荷室を得ることができ、そこに色んなモノを積んで遊びに出掛けることができた。当時の若者が何を欲していたか、ちゃんと解っていたのだ。

だから当然ながら走りもスポーティに仕立て上げられていた。チェリーは前輪駆動ながら、ひとつ上のサニーですら採用されていなかった4輪独立懸架サスペンションを持ち、高性能版にはサニーのスポーツグレードから持ってきた名機A12型エンジンを搭載。

たった80‌psではあったが車重が650kg少々と軽く、瞬発力に優れていた。乗り味には〝昔のFF〟らしく強いくせがあったものの、そこさえドライバーが克服できれば、車格を超える速さを楽しめた。

チェリー・クーペはたった3年少々でモデルチェンジとなり、それなりの人気を誇ったが、短命だった。昔はそういうメーカーとユーザーの双方の夢を乗せて生まれた、けれど刹那だったスポーツモデルがたくさん存在したのだ。もう二度とそんな時代は来ないと解っているだけに、なおさら切ない気分になる。

日産チェリー・クーペ

日産チェリーは、ベストセラーのサニーのひとつ下のクラスを担う小型大衆車として1970年にデビュー、1974年に後継のチェリーFⅡが登場するまで生産された。エントリー・クラスのクルマであることもあり、若者を強く意識。

当初は2ドアと4ドアのセダンという設定だったが、遅れること1年後、スポーティで遊びの幅も広がる大きなテールゲートを持ったクーペが登場。3年間で9万台ほどを売る、当時としてはそこそこの人気モデルとなった。オーバーフェンダーを持つモータースポーツ志向のX1-Rというモデルも存在する。

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text:嶋田智之/Tomoyuki Shimada
1964年生まれ。エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集長を長年にわたって務め、総編集長として『ROSSO』のフルリニューアルを果たした後、独立。現在は自動車ライター&エディターとして活躍。

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