特集 アンティーブの松本葉さんを訪ねて

本誌で「おしゃべりなクルマたち」を連載中の松本 葉さん。遠く、ヨーロッパの南仏に暮らす彼女を若林葉子が訪ねた。

text:若林葉子  [aheadアーカイブス vol.113 2012年4月号]

Chapter
「分かる分かるって肩を叩きあいたい」
「2人でとんちんかんな旅をしましょう」
「わたしの中に日本が生きている」

「分かる分かるって肩を叩きあいたい」

Côte d’Azur コート・ダジュール

私の手帳の2月20日のページに、松本 葉さんから届いた1通のメールの文面をプリントアウトして貼り付けてある。

――あなたの原稿を読むといろんな思いにとらわれることがあって、昔の自分を見る気がしたり、姉のような、時には母のような気持ちになることがあります。

――同性を実感することもあって、分かる分かるって肩を叩きあいたい。――いろんなことに出会って、ねぇ、どう思う? ってあなたに聞いてもらいたいことがしばしばある。

そんなことが綴られていた。

葉さんの気持ちがうれしくもあり、海外に暮らす葉さんの心情が切なくもあり、他のメールに埋もれてしまわないようにと、大切に手帳に貼り付けたのだ。でも本当は、今すぐ飛んで行って葉さんに会いたい、なぜかそんなちょっとせっぱ詰まった気持ちに捉われていたのだった。
 
けれど、フランスは遠い、お金も掛かる。そんな時、「会いに行ってきたら」という編集長の言葉に後押しされ、アンティーブへと旅立った。

*

経由地のフランクフルトから飛び立った小さな飛行機は、ニース・コートダジュール空港が近づくと、海岸線をぐーっと旋回する。夕方の傾きはじめた太陽に、まだきらめきを残した海と、海岸線近くにまで迫る建物の群れに地中海まで来たことを実感する。

日本を発つ前、葉さんに「お土産は何がいいですか?」 とメールで尋ねると、「重くなければ文藝春秋を」という答。文藝春秋か…。3年半に渡るやりとりがあっても、私は松本 葉さんという人のことを何も知らないのだ。果たして、葉さんとちゃんと肩を叩きあえるのか。そもそも、葉さんと肩を叩きあう相手は私でいいのだろうか。ここまできてにわかに不安が頭をもたげる。

――松本 葉さんは1960年生まれ。大学卒業後、新しく創刊された自動車雑誌『NAVI』の女性編集記者となり、テレビ朝日系列「カーグラフィックTV」のキャスターも務める。その後、取材で訪れたイタリアの魅力に取りつかれ、'90年2月にトリノに移住する。

葉さんは、'80年代に、まだ女性の少なかったクルマ業界の第一線で活躍した大先輩なのである。恐れ多い。そう思いつつ、空港を出たら、葉さんが立っていた。グレーがかった細身のパンツに、黒いニットの上着をふんわりと羽織って、手には丸めた雑誌。きりっとした面立ちに笑みを浮かべて、「疲れた?」。それが初めて聞く葉さんの声だった。そしてホテルまで送ってもらうだけで、その日は別れた。

*
 
次の日、葉さんと私は、イタリアのサンレモまで、葉さんの愛車、フィアットの『パンダ』で1泊2日の小さなドライブ旅行に出る計画だった。朝はご主人がホテルまで迎えに来てくれて、アンティーブのご自宅で葉さんと合流する手はず。10時ぴったりに現れた葉さんのご主人は、「最高のお天気で本当にラッキーだね」。そう言って、アンティーブとは逆方向に走り出す。

ニースの旧市街では毎朝、マルシェ(朝市)が開かれている。日によって、花の市だったり、骨董市だったり。花の市が立った日は、花以外にも野菜やチーズ、ハムなどの食糧品から、プロバンスのハーブや石鹸まで所狭しとさまざまなお店が並んでいた。ちなみに切り花は10本で3€(約330円)程度。ただぶらぶらと歩くだけでも、楽しくて時間を忘れてしまう。一本道を隔てると、そこは地中海の青い海…

途中、絶景ポイントでクルマを止めたりしながら、エズ(崖の上に立つ中世の要塞)まで連れて行ってくれた。葉さんと打ち合わせたわけではなかったらしく、遠くから訪ねてきた私への心遣いだった。ちょっとジャン・レノに似たすてきなご主人だ。クルマのデザイナーだというから、なおさらカッコいい。

アンティーブに着くと、ご主人は二人のお子さんと一緒にお出掛け。私と葉さんは、サンレモへ出発する前に、アンティーブの街を、黒い『パンダ』でぐるぐる一回り。

それにしてもさすが、葉さんは運転がうまい! ほぼ左手だけでハンドルをキュキュ。右手は、ギアチェンジするという感じもないくらいに、自然に、チョコチョコチョコとシフトノブを操作する。走り出すのも停まるのも、せわしないくらいきびきびしているのもヨーロッパらしい。

私はここで葉さんの著書の中の一節を思い出した。それはイタリアに渡って1年と少しが経ち、初めて自分のクルマ『チンクエチェント』を手に入れたあと、2カ月で3回もの駐車違反を取られたというくだりだ。「結局のところ――、私には、この国でクルマに乗る人間の“勘”みたいなものが身についていないのだ――」。 

信号を守らないタイミングや、右車線から左折する方法とか、無茶苦茶な中にも暗黙の約束事や了解があり、それらが体に棲みつくようになれば、クルマにスムーズに乗れるだけでなく、人との付き合い方とか、生活のリズムとか、そういうものが掴めそうな予感がする、と。
 
葉さんがそう書いてからおおよそ20年。葉さんはすっかりヨーロッパの生活の(簡単にヨーロッパと括っていいかどうかは置いておくが)すべてが体に馴染んだのだなあと思う。
 
クルマの運転にはそれが一番端的に表れているけれど、例えば食事もそう。どこで何を食べても、私はどうしても全部食べきれない。葉さんはきれいに食べてしまう。でも葉さんはすらっと細身で贅肉の影すら見えない。きっと食べ物と生活のリズムのバランスが取れているんだろう。
 
とはいえ、そんな彼女でさえ、タンクトップ1枚で素肌を太陽にさらしている女性たちを見ると、「あれじゃぁ風邪ひいちゃうわよね」。コート・ダジュールの気候は、3月でも、朝晩はコートが必要なくらい冷え込む。太陽が昇ると一気に気温があがるのだが、それでもタンクトップ1枚は、日本人には少し寒すぎる。


ヨーロッパの人たちは基礎体温が日本人より1度程高いと聞くが、長く住んで、言葉や文化にすっかり馴染んでも、基礎体温まではなかなか、ということなのだろうか。

「2人でとんちんかんな旅をしましょう」

葉さんと一緒に巡ったのは、いずれも海岸線沿いにある街で、葉さんの自宅のあるアンティーブ、イタリアのサンレモ、カンヌ、モナコ。モナコでは、カジノの正面にあるカフェで一休みする間も、グッドサウンドを響かせてフェラーリやマセラーティが行き来する。「まだ時間が早いから数は多くはないけど、もうちょっと日が暮れると、もっといろんなクルマが集まってくるのよ。それを見てるだけでも楽しいわよね」と葉さん。

冒頭のメールや、それ以外にも折々に送られてくる葉さんのメールの文面。そこから私が受け取る、葉さんの感じている“寂しさ”の正体とは何だろう。旅の間もずっとそのことを考えていた。

葉さんの娘さんが通う学校のすぐそばに、日本でいうジムとスパが一緒になったような施設があって、葉さんは娘さんを送って行ったあと、朝7時半くらいからそこの温泉に浸かることがあるのだそうだ。

「そんな時間に温泉に浸かってるとね、暇なおばあさんとかと一緒になるの。それで世間話なんかをするんだけど、彼女は自分の話を聞いて欲しいだけで、私の話とか、私が日本人であるとか、そういうことはどうでもいいのね。だからとっても楽なのよ」。そんな話にも私の胸はちくりと痛む。

「わたしの中に日本が生きている」

イタリアに渡り、イタリアの生活に慣れようと奮闘した若い時代を経て、結婚し、二人のお子さんを生んで家族ができ、長い月日が流れた。葉さんの口からはよく「父が言うにはね…」と、数年前に亡くなられたお父様のことや、「母ならきっと…」と、同じようにすでにもうこの世におられないお母様の話が出た。

長い月日の間にはご両親との別れもあったのである。とてもきちんとしたお母様のもとで育った葉さんは着物の着付けもできると聞いて、「こっちで着物を着たりしたら、喜ばれませんか?」と聞いたら、「でも私、そういうのはイヤなのよ」と少し強い口調で葉さんは言った。「よく子どもたちに言うのよ。着物とか何とかっていうそういうカタチではなくてね、私の中に日本が生きてると思って、てね」。

葉さんらしいと思う。日本人である自分の価値観を捨てて、その国の価値観にただ自分を合わせるのではなく、反対に声高に日本人であることを主張するのでもない。わざわざ着物を着なくても、どこに暮らしていても葉さんは葉さんだ。

「こっちではね、高校に進学するということは、その先、勉学を突き詰めていくんだねというところまで迫られるようなところがあるのよ」と、少し前に高校にあがった息子さんの話を聞いた。同時に、進学しないで仕事に就くということは、周囲からも“そういう人”とみなされていく厳しさがある。10代の半ばでも将来に対して「何となく」ということは許されないのだ。

また娘さんから「ママはなんでもできるのねって言われるのよ」という話も聞いた。「リコーダーを吹けと言われれば吹けるし、分数の計算をしろと言われればできるし、日本人の平均点の高さってすごいわよね」と。でも一方で、長所を徹底的に伸ばしていく向こうの教育の在り方も「すごいわよね」と思うのだ。

日々の暮らしを通じて、彼の地の良さも厳しさも、日本の良さも弱さも、葉さんはよく分かっている。でもそれを簡単に評価したりはしない。大事なのは評価することではなくて、それを知ったうえで自分はどう生きていくか、だからだ。

海外に暮らして、日本に向けて文章を書いている人は葉さん以外にもたくさんいる。その中でもとりわけ葉さんの文章に惹かれるのは、葉さんの描くヨーロッパの暮らしが、どこかの誰かが憧れた日本とは別世界のヨーロッパではなくて、自分の暮らしの延長線上にあると感じるからではないだろうか。葉さんの住むコート・ダジュールという場所で、実際に葉さんと会ってみて、そのことがよく分かった。

葉さんが抱いている“寂しさ”は、これからも消えることはないだろう。その寂しさは葉さんが葉さんであることの裏返しだから。
 
私はヨーロッパで力強く生きる葉さんの生き方から学びたい。そして葉さんと肩を叩きあうにふさわしい人間でいたいと、そう願っている。

1日だけひとりでぶらぶらと出歩いた。絶対乗ってみたいと思っていたトラムで、街のはずれのバスターミナルへ行き、そこからバスで40分ほど掛けて、もう一度エズへ。右ページの写真は、「鷲の巣村」と呼ばれるエズの村。

中世の面影が色濃く残っている。そして、ニースでもカンヌでもエズでもあちこちで咲いていたのが黄色いミモザ。南仏では春を告げる花だという。私はミモザがこんな大きな木に咲くということを初めて知った。そう言えば、サクラの花もちらほらと見掛けた。

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text:若林葉子/Yoko Wakabayashi
1971年大阪生まれ。Car&Motorcycle誌編集長。
OL、フリーランスライター・エディターを経て、2005年よりahead編集部に在籍。2017年1月より現職。2009年からモンゴルラリーに参戦、ナビとして4度、ドライバーとして2度出場し全て完走。2015年のダカールラリーではHINO TEAM SUGAWARA1号車のナビゲーターも務めた。