小林ゆきの一寸法話 vol.2 道路遊びの少女たち

アヘッド 小林ゆきの一寸法話 

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道路に面した窓に向かっていつも仕事をしている。多摩丘陵の真っただ中にある我が家もまた、目の前は坂である。斜め向いの駐車場の出入口も坂になっていて、向いの家の子供たちが三輪車やキックボード、スケートボードなどで滑降を楽しんでいるのを見ては、ヒヤヒヤしていた。あまりクルマが通らない住宅街の袋小路とはいえ、ときおり自動車も配送トラックも通りがかる。そんなとき、事故は起きた。

text:小林ゆき [aheadアーカイブス vol.150 2015年5月号]
Chapter
vol.2 道路遊びの少女たち

vol.2 道路遊びの少女たち

それはまるで、マンガのようなできごとだった。駐車場から滑走し飛び出した自転車を、運悪くちょうど通りがかった車が撥ね、子供がぽーんと空中に投げ出されたのだ。幸い、男の子はかすり傷で済んだが、ドライバーの青ざめた表情は忘れることができない。

そんなこともあって、家の前のクルマや人通りをいつも気にかけていた。ある日、特定の時間になると近所の小学生の女の子たちが歓声を上げて走り回ることに気付いた。始めはみんなでかけっこをしていたのが、やがて自転車やら三輪車やらでグルグルと走り回るようになった。

見守るべきか。一喝するべきか。思案しているところへ、こんな声が聞こえてきた。「気持ちいーー!!」

袋小路と言っても〝6の字〟状になっているこの一角が、格好のサーキットと化していたのである。これ以上、公道上でスピードの虜にさせてはいけない。そこで、〝こうつうあんぜんの先生〟を演じることにした。

坂の上から下ってきた彼女たちに、両手を広げながら「ストォーップ!」と叫ぶ。子供は単純な動作の単語に反応しやすい、という幼稚園の先生の友人の教えを実践してみた。案の定、キョトンとしながらも号令に従う彼女たち。

「こんにちは! お姉さんは、交通安全の先生ですっ!」

〝先生〟という単語の威力は絶大だ。先生、と聞いただけで神妙な顔つきになる彼女たち。

「はいっ集合! お姉ちゃんたちはここ。ボクはあっち」そう言いながら、見通しの悪いT字交差点まで連れて行く。

「ボク、ここからお姉ちゃんたちが見えるかな?」「見えなーい!」だんだんこっちのペースに巻き込まれる子供たち。

「ここに急にクルマが来たら、みんな止まれないよねー? 止まれないとどうなるかなー?」  「ぶつかっちゃうー!」 「そうだねー。ぶつかっちゃったらどうなるかなー?」「痛いー!」

「痛いだけじゃないよね、お母さんやお父さんが悲しむよね。お姉ちゃん、家に帰ってお母さんに、近所のお姉さんがこんなこと言ってたって、言っておいてね!あ、そうそう、あっちの広場あるじゃん? あそこはクルマが来ないからさ、さっきみたいに自転車で遊んでいいんだよ、今度からはあっちで遊びなね!じゃあ、交通安全の先生からのお話はおしまいです! ばいばい!」

乗物とは、人間の身体的能力以上のスピードを出すためのものである。スピードはときに快感を生む。快感とは本能的なもので、理屈ではない。しかし、道路は社会の近代化過程においてルールをもって整備されるようになった。イギリスでは1835年には道路でのボール遊びが禁止されたそうだ。

本能的に快感を覚えてしまった子供たちに、ルールを押しつけ禁止だけ説いても、理解しないだろう。しかし、死角を体感してもらい、代替場所を教えれば理解するのではないか。そんな思いで、プチ交通安全教室を路上で開いたのだった。

果たして、翌日から彼女たちの歓声は聞こえなくなった。

【道路交通法】
第5章 道路の使用等
第1節 道路における禁止行為等(禁止行為)
   第76条 第4項 何人も、次の各号に掲げる行為は、してはならない。
   第3条 交通のひんぱんな道路において、球戯をし、ローラー・スケートをし、又はこれらに類する行為をすること。

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text:小林ゆき/Yuki Kobayashi
オートバイ雑誌の編集者を経て1998年に独立。現在はフリーランスライター、ライディングスクール講師など幅広く活躍するほか、世界最古の公道オートバイレース・マン島TTレースへは1996年から通い続け、文化人類学の研究テーマにもするなどライフワークとして取り組んでいる。
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