目指せ!カントリージェントルマン VOL.14 懐かしさに変わる頃

目指せ!カントリージェントルマン VOL.14 懐かしさに変わる頃

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今日も“群サイ”は雨と深い霧に包まれていた。微かに勾配のついたホームストレートの真ん中に立ってみると、今でもやっぱり膝から下の筋肉がしびれたようになって、力が入らなくなる。

text/photo:吉田拓生 [aheadアーカイブス vol.190 2018年9月号]
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VOL.14 懐かしさに変わる頃

VOL.14 懐かしさに変わる頃

僕の記憶の中にある群馬サイクルスポーツセンターは自転車レーサーの聖地だったのだけれど、最近は自動車を走らせることが主のワインディングコースになっている。かつて競技用の自転車で疾走したコースで、僕は2年ほど前から時おりクルマの試乗をすることがある。

今でこそクルマに関わって生きている僕だけれど、免許を取るまでは乗り物酔いが酷かった。クルマなら交差点をひとつ曲がったところでクラッと来て、電車なら、ひと駅で降りたくなることもしばしば。そんな10代の頃の僕が乗り物酔いしない唯一の乗り物が自転車だった。

だから当時は海や山はもちろんのこと、横浜駅に行くのも渋谷駅に行くのも自転車。高校生になると、チームに属して自転車のロードレースに没頭することになる。
レースが開催される日はさすがに群馬あたりまで自走して行ったら体力が尽きてしまうので、しかたなくチームのワンボックスカーに乗せてもらっていた。酔いに耐えるため後席の足元に寝転ばせてもらい、死体のように運ばれるのだ。目的地に着いてしばらく横になっていると酔いが醒めはじめ、自分のいる場所が霧深い群馬の山奥であることに気づく。

群サイはホームストレートの部分こそそれなりの道幅だが、タイトな1コーナーの手前で漏斗のように道幅が絞られはじめ、曲がる頃には片側1車線程度の狭い道幅になってしまう。だからレースの1周目は肩を寄せ合うようにして走ることになり、たいてい下りのヘアピンコーナーで大落車が発生する。

クルマのレースだと、前のクルマがスピンしても結構な確率で切り抜けられるが、自転車はそうはいかない。目の前に人と自転車が折り重なる地獄のような光景がワッと広がり、気づくと自分もその中にいるのだ。

スタートライン上で号砲を待つ間、数分後に起こるかもしれない大落車のことを思い浮かべるたびに恐怖で足がすくみ、いつも通りに力が入らず、リスクの高い大集団の後方に沈んでしまう……。

30年前に“狭い!”と感じた群サイの路面を現代の自動車で走ろうとすると、輪をかけて狭く感じる。しかもブラインドコーナーの先に濡れた落ち葉が固まっていたりするから、ホームストレート以外にちゃんと“踏める”場所なんてありゃしない。
かつてココで1200psのGT-Rを走らせた時は、よっぽど普通の公道を走らせた方が安全だと感じられたほどだ。ガードレールのない山道は撮影には向くが、ドライビングミスを許容しない。

幸いなのはクルマの試乗はレースではないということである。文章を書くヒントを得られればいいだけなので、スロットルを踏みたくなければ踏まなくていいのだ。といっても、実際にそうと思えるようになったのは40代になってからのことで、昔は当たり前のように飛ばして、しょっちゅうヒヤリとしていた。

20~30代の頃に群サイを走る機会があったら、ヤバいことになっていたかも。

悪い記憶しかなかった群サイだが「踏まなくたっていい」と思えるようになった今は、少し懐かしさも感じられるようになってきた。ホームストレート上でいまだに足がすくんでしまうことだって、いくつかある強烈な思い出の中の、少し笑えるひとつなのである。

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text:吉田拓生/Takuo Yoshida
1972年生まれのモータリングライター。自動車専門誌に12年在籍した後、2005年にフリーライターとして独立。新旧あらゆるスポーツカーのドライビングインプレッションを得意としている。東京から一時間ほどの海に近い森の中に住み、畑を耕し薪で暖をとるカントリーライフの実践者でもある。

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