Rolling 40's vol.40 全てが「リーチ」の2012
更新日:2024.09.09
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ようやく新しい年になりましたが、皆さんはどんな思いで激震の2011年を見送ったのでしょうか。どの忘年会でも、「こんな御時世」という言葉が「枕詞」のように使われた年の瀬でしたが、泣いても笑っても時間の流れは止められたり巻き戻したりできる訳もなく、新たに2012年を「再生」の年として産み育てていくしかないようです。
text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.110 2012年1月号]
text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.110 2012年1月号]
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- vol.40 全てが「リーチ」の2012
vol.40 全てが「リーチ」の2012
全く信じていませんが、マヤの暦が警告する人類絶滅に怯えることなく、私自身も本年を人生の転機に変えるべく力を尽くす所存であります。
近々、映画に関する取材活動で、福島は南相馬に数日間滞在する予定です。震災後、福島や東北は何度か訪れたのですが、南相馬に足を踏み入れるのは初めてです。色々な感覚を駆使して多くのモノを感じ取ろうと考えています。
本誌aheadは大人と乗りモノの新しい関係を模索するのがテーマですが、今の福島という存在が、私たちと乗りモノの関係に対して新しい肌感覚を与えたというのは否定しようのない事実でしょう。
当然ですが、乗りモノは運動エネルギーの権化であり、産業エネルギーの新たな在り方と使い方を本気で考えなくてはいけない「現在」、乗りモノに乗る者の姿が、そのまま、その人間のエネルギーに対する姿勢やインテリジェンスそのものと言っても良いでしょう。リッター2キロの大排気量車は甘美でもありますが、博物として以外はご辞退してもらう時代かもしれません。
極論では、地球にとって何が一番良いのかは簡単なことです。全ての人類が産業革命以前の時代に戻って自然と共に生きれば良いのです。乳児や幼児の死亡率、寿命そのものも半分くらいになりますが、それで地球は元のバランスのとれた姿に戻ります。
実際にうちの祖母の話では、大正時代でも、品川の浜では海が透き通っていて、白魚やアサリがたくさんいたといいます。その話を思い出すと、人間と文明の功罪を強く感じます。要するに、余計なことをしなければ地球はうまくやれるのです。
では、自然を取り戻すために全てのエネルギー消費をやめることができるか。否、人間は絶対にそんなことはできないでしょう。たとえ地球を見捨て、別の惑星や宇宙コロニーに移住しても己たちの存続を熱望するのが私たちが持っている本能なのでしょう。
しかし、そんな私たちの子供じみた我がままもいよいよ限界で、未曽有の人口増加、グローバル経済の末期的不安定、温暖化と、全てが「リーチ」のようです。
では乗りモノがないと「禁断症状」が出てしまうような私たちは、これからの時代をどう生きればよいのか。徒歩と自転車しかないのか…。
でもそれでもやはり乗りモノとの関係を持ち続けたいと思ってしまう私たち。その答えを探すのが2012年なのかもしれません。
そんな時代にaheadという存在が何を提示できるのか。日々、私も頭を悩ましています。速くて高くてカッコいいメカを見つけて、読者にお披露目するだけで全てがうまくいっていた時代ではありません。
反対に、自然回帰で人間はエネルギーを消費せず、と提唱しても後ろ向き過ぎます。形は変わっても、やはり乗りモノが好きだという気持ちは大事にしていきたいと思います。
人類の中でも、特に我がままな乗りモノ好きな私たちが、多少形は変わっても、乗りモノ好きそのものを諦めなくても良いように、もっと知恵を使わなくてはならないでしょう。我がままを通すためなら、新しいスタイルを受け入れるのではなく、つくり出すということも必要でしょう。
福島に関してですが、筆舌しがたい不幸が前提なのは承知の上で、世界レベルで私たち全員が、エネルギーの在り方そのものについての意識を大きく変えられたのは、言うまでもなく福島が全ての切っ掛けです。
2012年。その気付きをまっとうな行動に変えられるかはどうか、少なくとも、私たち乗りモノ好きが負うであろう責任は大きいでしょう。
近々、映画に関する取材活動で、福島は南相馬に数日間滞在する予定です。震災後、福島や東北は何度か訪れたのですが、南相馬に足を踏み入れるのは初めてです。色々な感覚を駆使して多くのモノを感じ取ろうと考えています。
本誌aheadは大人と乗りモノの新しい関係を模索するのがテーマですが、今の福島という存在が、私たちと乗りモノの関係に対して新しい肌感覚を与えたというのは否定しようのない事実でしょう。
当然ですが、乗りモノは運動エネルギーの権化であり、産業エネルギーの新たな在り方と使い方を本気で考えなくてはいけない「現在」、乗りモノに乗る者の姿が、そのまま、その人間のエネルギーに対する姿勢やインテリジェンスそのものと言っても良いでしょう。リッター2キロの大排気量車は甘美でもありますが、博物として以外はご辞退してもらう時代かもしれません。
極論では、地球にとって何が一番良いのかは簡単なことです。全ての人類が産業革命以前の時代に戻って自然と共に生きれば良いのです。乳児や幼児の死亡率、寿命そのものも半分くらいになりますが、それで地球は元のバランスのとれた姿に戻ります。
実際にうちの祖母の話では、大正時代でも、品川の浜では海が透き通っていて、白魚やアサリがたくさんいたといいます。その話を思い出すと、人間と文明の功罪を強く感じます。要するに、余計なことをしなければ地球はうまくやれるのです。
では、自然を取り戻すために全てのエネルギー消費をやめることができるか。否、人間は絶対にそんなことはできないでしょう。たとえ地球を見捨て、別の惑星や宇宙コロニーに移住しても己たちの存続を熱望するのが私たちが持っている本能なのでしょう。
しかし、そんな私たちの子供じみた我がままもいよいよ限界で、未曽有の人口増加、グローバル経済の末期的不安定、温暖化と、全てが「リーチ」のようです。
では乗りモノがないと「禁断症状」が出てしまうような私たちは、これからの時代をどう生きればよいのか。徒歩と自転車しかないのか…。
でもそれでもやはり乗りモノとの関係を持ち続けたいと思ってしまう私たち。その答えを探すのが2012年なのかもしれません。
そんな時代にaheadという存在が何を提示できるのか。日々、私も頭を悩ましています。速くて高くてカッコいいメカを見つけて、読者にお披露目するだけで全てがうまくいっていた時代ではありません。
反対に、自然回帰で人間はエネルギーを消費せず、と提唱しても後ろ向き過ぎます。形は変わっても、やはり乗りモノが好きだという気持ちは大事にしていきたいと思います。
人類の中でも、特に我がままな乗りモノ好きな私たちが、多少形は変わっても、乗りモノ好きそのものを諦めなくても良いように、もっと知恵を使わなくてはならないでしょう。我がままを通すためなら、新しいスタイルを受け入れるのではなく、つくり出すということも必要でしょう。
福島に関してですが、筆舌しがたい不幸が前提なのは承知の上で、世界レベルで私たち全員が、エネルギーの在り方そのものについての意識を大きく変えられたのは、言うまでもなく福島が全ての切っ掛けです。
2012年。その気付きをまっとうな行動に変えられるかはどうか、少なくとも、私たち乗りモノ好きが負うであろう責任は大きいでしょう。
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text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968
text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968