Rolling 40's vol.45 男子の三権分立
更新日:2024.09.09
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ある有名な親睦団体の中にあるバイク部のイベントに仕事として参加することがあった。一緒に仙台までツーリングをした後、講演で、16歳のバイク好きが、30年近くかけてどうやってバイク映画を撮るまでになったかという話をさせてもらった。
text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.115 2012年6月号]
text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.115 2012年6月号]
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vol.45 男子の三権分立
参加者のほとんどが私より一回り以上も年配のベテランライダーたちで、中には古希というのに馬鹿デカいバイクを振り回しているような猛者もいた。乗っている車種も当然最大で最高級クラスのものがほとんど。聞くと大抵の方は若い時からレース経験などがあり、戦後バイク文化の曙にも触れてきたという。
'80年代バイクブーム残党などと言っては傾いている私だが、そんな大御所の前では、普段のように肩で風はきれなかった。戦後からのバイク文化の大きく激しい流れが辿り着いた最初の頂が、私たちの'80年代バイクブームであるが故に、その以前に彼らが乗り切ってきたであろう激流の荒っぽさもよく知っている。
時代性からも、私たちが絶対に知りえない領域の激しさであり、そこを無事に走り抜けてきたライダーたちに、私たちは絶対的に超えられないものを感じざるを得ない。そんな方たちと一緒にバイクで走り回りながら、久々に「ひよっこ感」を味わった。その時代を全開で走り抜けてきたと否応なしに感じさせる、バイクの上の背中を見つめていた。どこか心地よい敗北感だった。
講演の中で、単なる16歳のバイク好きが、バイク映画を作るまでにこだわり続けた「想い」などを講釈たれながら、同時に身の程知らずな己を恥じたほどである。彼らからしたら、子供が自転車の補助輪を取れたことを誇らしげに吹聴しているようなものだろう。
バイクやクルマに限らず、サーフィンやスノーボードと、人は「乗り物」に没頭することは多いが、大抵は10年もやれば飽きてしまうか、情熱の大半を失うことが多い。ましてや、最も危険であり大きな経済的負担も強いられる「無駄の極み」とも言えるバイクに古希まで現役で乗り続けることが、その裏にどれだけの「情熱」があるかは想像に難くない。
またそれだけの無駄を維持し続けているというのは、実社会での「活動」のレベルを何十年に渡り獲得し続けた「勝ち組」でもあり、単なる「走り屋小僧」とは訳が違う。単なる金持ちや成功者は沢山いるし知ってもいる。そんな連中に対して羨望や劣等感や敗北感を感じはしない。
しかし私と同じようにデカいバイクで走り回る古希のライダーの奥に燃え続けている「バイクへの想い」を知ると、己が同じように古希をバイクの上で迎えられるかと自問してしまった。半分の自信と残りの不安。経済的な問題だけではない、それに加え、情熱と体力を同等に維持し続けなければならないということが如何に困難かを知っているからこその畏怖だ。
もしかすると、私にもそのいずれか二つくらいは維持し続けることが出来るかもしれない。だが三つを均等に持ち続けるということとなると話は別だ。そんなモンスター30人以上に、可愛がってもらった時間の中で気が付いたことがある。「情熱と金と体力」女性の人生を語る知識や経験もないので、男の人生限定で勝手に語らせてもらうが、結局、この三つを「三権分立」で持ち続けるということが、人生の正しい方向性だと確信した。そのいずれかのバランスが崩れてもダメなのだろう。
「暴走族の集会」でそんな人生の奥義に触れてしまうのだから、やはりバイクという存在は単なる乗り物ではないのだろう。少し上手過ぎた例え話ではあるが、日本刀というものは「兵器」と同時に「精神修養ツール」であるという話がある。確かに拳銃や機関銃で精神を高めるという話は聞いたことがない。
ある種バイクの存在意義の中に、それと似たような物を感じる時がある。金持ちの年寄りがフェラーリやベントレーを乗り回していても、そこに崇高さは感じない。富を得続けてきた成功者という「称号」だけだ。だがベントレーに乗りながらも、バイクを乗り続けているような同様な方に対しては、どうしてか富以上の何かを感じざるを得ない。
無駄でしかないものへの飽くなき情熱。智たる者であろうともそうでない者も、大抵の男たちがそれを失っていく。しかし彼らはそれを持ち続けていた。それを成し遂げる秘術の手ほどきを受けることはなかったが、おぼろげながら、44歳という年齢までバイクに乗り続けてきた想いを頼りに、その秘術は少しだけ想像できる。仕事でも遊びでも、それが自分の前に続く「道」と気が付いたら、雨が降ろうが槍が降ろうが、馬鹿にされても嘲られても、妻や子供が泣こうが、進路変更せずに進み続けることだ。
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text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968
'80年代バイクブーム残党などと言っては傾いている私だが、そんな大御所の前では、普段のように肩で風はきれなかった。戦後からのバイク文化の大きく激しい流れが辿り着いた最初の頂が、私たちの'80年代バイクブームであるが故に、その以前に彼らが乗り切ってきたであろう激流の荒っぽさもよく知っている。
時代性からも、私たちが絶対に知りえない領域の激しさであり、そこを無事に走り抜けてきたライダーたちに、私たちは絶対的に超えられないものを感じざるを得ない。そんな方たちと一緒にバイクで走り回りながら、久々に「ひよっこ感」を味わった。その時代を全開で走り抜けてきたと否応なしに感じさせる、バイクの上の背中を見つめていた。どこか心地よい敗北感だった。
講演の中で、単なる16歳のバイク好きが、バイク映画を作るまでにこだわり続けた「想い」などを講釈たれながら、同時に身の程知らずな己を恥じたほどである。彼らからしたら、子供が自転車の補助輪を取れたことを誇らしげに吹聴しているようなものだろう。
バイクやクルマに限らず、サーフィンやスノーボードと、人は「乗り物」に没頭することは多いが、大抵は10年もやれば飽きてしまうか、情熱の大半を失うことが多い。ましてや、最も危険であり大きな経済的負担も強いられる「無駄の極み」とも言えるバイクに古希まで現役で乗り続けることが、その裏にどれだけの「情熱」があるかは想像に難くない。
またそれだけの無駄を維持し続けているというのは、実社会での「活動」のレベルを何十年に渡り獲得し続けた「勝ち組」でもあり、単なる「走り屋小僧」とは訳が違う。単なる金持ちや成功者は沢山いるし知ってもいる。そんな連中に対して羨望や劣等感や敗北感を感じはしない。
しかし私と同じようにデカいバイクで走り回る古希のライダーの奥に燃え続けている「バイクへの想い」を知ると、己が同じように古希をバイクの上で迎えられるかと自問してしまった。半分の自信と残りの不安。経済的な問題だけではない、それに加え、情熱と体力を同等に維持し続けなければならないということが如何に困難かを知っているからこその畏怖だ。
もしかすると、私にもそのいずれか二つくらいは維持し続けることが出来るかもしれない。だが三つを均等に持ち続けるということとなると話は別だ。そんなモンスター30人以上に、可愛がってもらった時間の中で気が付いたことがある。「情熱と金と体力」女性の人生を語る知識や経験もないので、男の人生限定で勝手に語らせてもらうが、結局、この三つを「三権分立」で持ち続けるということが、人生の正しい方向性だと確信した。そのいずれかのバランスが崩れてもダメなのだろう。
「暴走族の集会」でそんな人生の奥義に触れてしまうのだから、やはりバイクという存在は単なる乗り物ではないのだろう。少し上手過ぎた例え話ではあるが、日本刀というものは「兵器」と同時に「精神修養ツール」であるという話がある。確かに拳銃や機関銃で精神を高めるという話は聞いたことがない。
ある種バイクの存在意義の中に、それと似たような物を感じる時がある。金持ちの年寄りがフェラーリやベントレーを乗り回していても、そこに崇高さは感じない。富を得続けてきた成功者という「称号」だけだ。だがベントレーに乗りながらも、バイクを乗り続けているような同様な方に対しては、どうしてか富以上の何かを感じざるを得ない。
無駄でしかないものへの飽くなき情熱。智たる者であろうともそうでない者も、大抵の男たちがそれを失っていく。しかし彼らはそれを持ち続けていた。それを成し遂げる秘術の手ほどきを受けることはなかったが、おぼろげながら、44歳という年齢までバイクに乗り続けてきた想いを頼りに、その秘術は少しだけ想像できる。仕事でも遊びでも、それが自分の前に続く「道」と気が付いたら、雨が降ろうが槍が降ろうが、馬鹿にされても嘲られても、妻や子供が泣こうが、進路変更せずに進み続けることだ。
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text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968