マツダの全車種を紹介!マツダ徹底解説!(1920年~1979年)

マツダ・ルーチェロータリークーペ

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「魂動デザイン」に基づいたエクステリア(外装)やスカイアクティブテクノロジーなど、特徴的なクルマづくりで国内外から支持されているマツダですが、戦前は3輪トラック(オート三輪)を製造するなど実用的なクルマを製造するメーカーでした。

2020年には設立から100周年を迎えるマツダはどのようなメーカーだったのでしょうか。トラックや特殊車両を除いた乗用車に注目し、車種とともにその歴史を紹介します。

文・PBKK
Chapter
マツダ R360クーペ(1960年)
マツダ キャロル(1962年)
マツダ ファミリア(1963年)
マツダ ルーチェ(1966年)
マツダ コスモスポーツ(1967年)
マツダ カペラ(1970年)
マツダ ファミリアプレスト(1970年)
マツダ サバンナ(1971年)
マツダ グランドファミリア(1971年)
マツダ シャンテ(1972年)
マツダ コスモ(1975年)
マツダ ロードペーサー(1975年)
マツダ サバンナRX-7(1978年)

マツダのはじまり

マツダのはじまりは1920年。東洋コルク工業株式会社からスタートしました。その名の通り、当初はコルクを生産していましたが、1927年に東洋工業株式会社に改称。持ち前の技術力を活かし、工作機械やバイク用のエンジンを試作。そして、1931年にマツダのクルマづくりの原点とも言えるマツダ号が誕生しました。

日中戦争・太平洋戦争…そして終戦へ

東洋工業の本社があった広島は海軍の街として栄えていました。そのため、東洋工業は1928年から海軍の指定工場となり、日中戦争中の1939年には97式側車付二輪車と呼ばれるサイドカーを製造、太平洋戦争中の1941年には戦時標準型3輪トラックの試作命令も受けました。

1945年に太平洋戦争が終結すると東洋工業は軍需会社指定を取り消され、本社施設の一部を広島県に貸与するなど日本の復興を支えます。そして同年11月に民需転換が認可され、それまで製造してきた3輪トラックの製造を再開。自動車メーカーとして新たなスタートを切ることとなりました。

マツダ R360クーペ(1960年)

戦後から1950年にかけて、東洋工業は「K360」「T1100」などのオート3輪と呼ばれる3輪トラックを製造していました。

1950年代後半になると日本は戦後復興を果たし、人々の間でもマイカーの購入意欲が高まるものの、依然としてクルマは一般人にとっては高価で購入しにくいものでした。

R360クーペは、その常識を打ち破るクルマとして登場しました。また、この時から社名として「マツダ」が使われるようになり、トラックメーカーだった東洋工業にとって、転換点となるクルマでした。

マツダ キャロル(1962年)

R360クーペの成功を受け、マツダが開発した軽乗用車がキャロル360です。4人が快適に乗れる室内を実現するために「クリフカット」と呼ばれる大胆なルーフ後端のデザインを採用しています。

軽自動車としては珍しい4輪独立懸架方式が採用され、4気筒エンジンが搭載されるなど、後心地や静粛性も優れていました。同年12月には排気量を拡大させたキャロル600がラインアップに加わり、マツダの乗用車拡大路線を後押ししたモデルでもあります。

マツダ ファミリア(1963年)

ファミリアは、1963年に商用モデルの「ファミリア バン」が登場し、良く1964年に乗用車モデルとして4ドアセダンの「ファミリア 800セダン」が発売されました。

質感はキャロル360などの軽自動車よりも高められ、直線的なデザインや当時最新鋭のエンジンによって好評となり、マツダを代表するロングセラーモデルとなっています。

マツダ ルーチェ(1966年)

キャロル、ファミリアに続き、マツダは乗用車のラインナップを拡大。上級車種として登場したのがルーチェでした。エクステリアデザインは、現在のマツダにも続くなめらかな曲線を描いています。

登場から3年後の1969年には、ロータリーエンジンを搭載したルーチェ ロータリークーペが追加され、このモデルは当時としては驚異的な最高速度190km/hを誇り、「ハイウェーの貴公子」と呼ばれていました。

マツダ コスモスポーツ(1967年)

ルーチェ ロータリークーペに先立ち、ロータリーエンジンを搭載したクルマとして登場したのがコスモスポーツです。マツダはコスモスポーツの発売にあたり連続高速耐久テストを繰り返し、テスト走行距離は70万kmにも達しました。

コンパクトでハイパワーなロータリーエンジンを搭載したコスモスポーツはモータースポーツでも名を馳せ、ロータリーエンジンの強さを印象づけたクルマでした。

マツダ カペラ(1970年)

カペラはファミリアの上位車種として登場し、ルーチェと同じくレシプロエンジンとロータリーエンジンの2種類が設定されていました。

ボディは4ドアセダンと2ドアクーペがラインナップ。「風のカペラ」というキャッチコピーが示すとおり、斬新で空力を重視したデザインは当時の若者を中心に人気を集めました。

マツダ ファミリアプレスト(1970年)

1967年に2代目へフルモデルチェンジしたファミリアにもロータリーエンジンが搭載されます。そしてロータリーエンジンを差別化するため、レシプロエンジンモデルを「ファミリアプレスト」の名前で発売します。

エンジンは1Lと1.3Lの2種類の排気量を設定。ロータリーエンジンを搭載した2代目ファミリアには、コスモスポーツと同じ2ローターエンジンが採用されていました。

マツダ サバンナ(1971年)

ロータリーエンジンならではのコンパクトさとハイパワーなメリットを活かしたクルマとして登場したのがサバンナです。

最新の「12A型」ロータリーエンジンのパワーによって、レースでは当時格上とされた日産 スカイラインGT-Rと激戦を繰り広げ、単一車種としては圧倒的な、国内レース通算100勝を誇るなど、モータースポーツのために生まれたとも言えるクルマです。

マツダ グランドファミリア(1971年)

グランドファミリアは、サバンナと共通のシャシーを持つクルマです。

ロータリーエンジン専用のサバンナに対し、レシプロエンジン専用のモデルという位置づけて登場しました。ボディはサバンナと同じ2ドアクーペに加え、4ドアセダンと5ドアバンラインナップされていましたが、エンジンは排気量1.3Lの1種類のみの設定となっています。

マツダ シャンテ(1972年)

キャロル360の登場以降、マツダは乗用車やロータリーエンジン開発に力を入れ、軽自動車では他メーカーの新型車に後れを取っていました。その事態を打開する車種として登場したのがシャンテです。

ボディは2ドアのみでしたが、ホイールベースを長く取ったことで乗り心地や室内空間に余裕があったとされています。

マツダ コスモ(1975年)

1967年に発売されたコスモスポーツの名を引き継ぐ車種として生まれ変わったのがコスモです。

エンジンはコスモスポーツの2ローターから3ローターへと進化し、1977年には革製のルーフを備えた「コスモL」が追加されるなど高級車としての立ち位置を確立しました。

マツダ ロードペーサー(1975年)

ロードペーサーはマツダの最高級フラッグシップモデルとして登場したクルマです。

高度経済成長とともに高級乗用車の需要が見込まれたことで、トヨタ センチュリーや日産 プレジデントなどのライバル車種に対抗、高級車市場への参入を図り開発されました。

マツダ サバンナRX-7(1978年)

1971年に登場したサバンナの後継車として登場したのが、サバンナRX-7です。

エンジンを前輪車軸よりも運転席側に近い場所に搭載した「フロントミッドシップ」と呼ばれるレイアウトによって、コーナリング性能をさらに高め、空気抵抗の低減を狙ってボディ形状をシャープにするなど、スポーツカーとしてさらなる磨きがかけられたモデルでした。

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戦前から戦後初期にかけて、マツダは耐久性に優れた3輪トラックなどの商用車を主力としていたメーカーでした。しかし、高度経済成長にさしかかりクルマのニーズが変化していったことで、マツダは乗用車市場へ進出します。

そんな中で登場したR360クーペや、コンパクトでハイパワーなロータリーエンジンを搭載したルーチェなどのクルマは、現在のマツダの源流をつくったエポックメイキングな存在と言えるでしょう。
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