Rolling 40's vol.49 諦めと希望の狭間

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ここ数年自虐的に「アラフォー」などと言っていたが、いよいよ来年からは「アラフィフ一年生」であるということに気が付き、思わず凍りついた。私は歳を重ねることは気にしていない、ただ、年下が増えていくことに少し気を砕くことはある。それは自分がちゃんと彼らに対して何かを正しく「発信」できるかということを気にしているからだ。

text:大鶴義丹  [aheadアーカイブス vol.119 2012年10月号]
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vol.49 諦めと希望の狭間

vol.49 諦めと希望の狭間

年上が「発信」しない社会ほど嘆かわしいものはない。年上は可能な限り「脅威」であり「やっかい」な存在であり続けるべきなのだ。行き過ぎると「老害」ということもあるが、それだって年上が沈黙している社会よりは幾分かマシであろう。

そんな年上たちに一大ブームになっている「山」というものを、某企画でけっこう本格的に体験した。

正直、その手のジャンルは好きとは言えない側であった。詳細は省くが、2日間に渡りかなり上級者向けの山奥まで分け入り1泊し、2000メートル近い場所で、澄み渡る天空に囲まれながら夜を明かした。星空の美しさは当然ながら、空気感が下界のモノとは全く違う。

それは空気がきれいとか静寂だとか冷たいなどというレベルではなく、本能レベルで感じる、ここは人間が居てはいけないエリアだという警戒感だった。またそれが「厳かさ」のようなものを間接的に錯覚させる。

山登りにハマってしまうと、とにかく山での時間を過ごしたがる「登山ジャンキー」がいると聞く。社会生活や雑多な人間関係よりも山に戻りたがるらしい。

どこか似ている気がした。クルマではなくバイクに乗る気持ちにだ。

私は以前から、クルマとバイクの決定的な差異は、社会性があるかないかだと言っている。フェラーリだろうがパガーニであろうが、四輪という機械は自分以外の他人様を乗せる運命を担っている。これは馬車に始まるシステム故に仕方ないことであり、自分以外が乗れない四輪は、厳密にはそれらしきものも探せば売っているが、四輪という形を借りた「別」のものになってしまう。

反対に二輪は2人乗りもできるが、それをした瞬間に、二輪という機械本来の良さが七割削がれると言って過言ではない。それはまた危険が増すということでもある。これは馬車に対して、乗馬と似たシステムに近い故なのかもしれない。実際の馬も2人乗せると馬への負担が激しく、当然、馬の怪我も増えるという。

そんなバイクと付き合い続けているからなのか、「山の世界」なんていうものを、少しどころではなく、かなり理解ができた気がした。簡単な登山からでもいいから、そのジャンルを始めてみようかとも思ってしまった。

人生のチャンネルというものは、こうして増えていくのだなと思った。中途半端な体験ではなく、いきなり上級なものを知ってしまう方が、そのジャンルの「真髄」に近づくことができるのだろう。

趣味の嗜みでは釣りだって同じだ。釣れない場所でジッとしていて釣りが好きになる訳がない。やはり大海原で巨大魚といきなりご対面すれば、それを好きにならない訳はない。

仕事にかこつけて色々な「道楽」を体験したり、そのまま自分の人生に取り込んでしまっているが、そのような人生が良いのか悪いのかは分からない。

それとは対照的に、仕事が趣味で、その求道を死ぬまで邁進しているような方も知っている。

昔、ある大の釣り好きの文豪のことを批判的に思っていたことがある。王道的小説を書かないで、釣りのことばかり考え、その随筆ばかり書いていることを堕落的と思っていた。才能が枯れたのだと。

しかし今はそう思わない。それは至って簡単な理由だ。 

「好きなことをしている人がイチバン」

王道的小説を書き続け、世界一の賞を貰っても自殺してしまった昭和の大文豪もいる。

自分は19歳の時に、今の「活動」を親のトラブルから否応なしというタイミングで始めた。そんな時代の写真を久々に見る機会があった。デビューしたばかりの時に、ある雑誌に「新人」としてインタビューしてもらったときのモノだ。変な色のジーンズに白ティーを中に入れて着ていた。

インタビューの内容を見ると将来は芝居だけではなく、本を書いたり裏方の仕事もしたいと、とんでもない生意気なことを言っている。きっとそれを読んだテレビのプロデューサーは、「くそ勘違い二世」などと吐き捨てていたかもしれない。

その時の「初志」の己が今の自分を見たら、決してすべてにおいて「貫徹」はしていないだろう。多少は評価されるかもしれないが、若さゆえにこっぴどく酷評されるかもしれない。酒を飲んで論争になったら最後に殴りかかってくる可能性だってある。だが「アラフィフ」になりそうな今の自分は全く動じるつもりはない。

お前はお前、俺は俺と、一言いうだけだろう。

世界一になった昭和の大文豪のことを改めて調べると、神奈川県の某マリーナマンションで、動機は謎の自殺だと言う。世界一の文学世界を構築したのかもしれないが、決して素晴らしいエピローグじゃないと思う。

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text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968
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