小林ゆきの一寸法話 vol.3 自転車を巡る無知の知

vol.3 自転車を巡る無知の知

アヘッド 小林ゆきの一寸法話 

わたしの地元横浜は、自転車がまったく生活の足にならない、山坂きつい地区だった。駅前の駐輪場には自転車が皆無で、原付がずらりと並ぶ。だから、自転車を乗り回していたこの記憶は、補助輪が外れて運転するのが楽しくなってきたほんのいっとき、小学校低学年のころだったと思う。

最寄りの警察署はひと駅隣まで行かねばならず、めったに警察官もパトカーも見かけない。そんな住宅街に突如あらわれたパトカーと、制服姿の警察官たち。郊外の小学生たちには少々ものものしく感じられ、一同神妙に身構えたが、彼らは警察官というよりおまわりさんと呼ぶに相応しい説教で、車輪という名の翼を得た小学生たちをやさしく諭すのだった。

交通安全教育は年に一度、警察官が小学校にやってきて開かれる程度。マンモス校ゆえ、校庭で行う実技教室では各学年数名の選ばれし児童だけが誇らしげに自転車の模範走行をする。それ以外は、実践的な経験がまったくできなかった。

教室で教わる交通安全と言えば、信号機の意味。歩行者は右側通行。クルマは急に止まれない。手を挙げて、右を見て左を見てもう一度右を見て横断歩道を渡りましょう……。学校で教わる交通安全は試験などなかったから、みんな理解できたかどうか。もちろん、これらの記憶は何十年も前の話だから、今はもっと実勢に沿ったやり方をしているとは思う。

本格的な交通教育が各家庭に委ねられるのは今も昔も同じだ。どの親も、子供の命を守ることが先決だから、自転車はなるべく歩道へ、そう教育する家庭が普通ではないだろうか。子供に要求される自転車の通行方法は、ほとんど歩行者のそれに近く、最終的にクルマにぶつからなければいい。

そのような認識のまま、若者は運転免許を取得するまで自転車の正しい通行方法を能動的に学ぶ機会がほとんどない。16歳で原付や普通二輪免許を取る若者もいまやまれな存在であり、道路交通法を学ぶのは18歳以降となってしまう。

かくして、免許のない自転車の運転者はあいまいなる理解で道路を、歩道を、するという状況が蔓延してしまう。

あるとき、経済学者でドイツ人の友人に、ドイツの免許制度を尋ねたことがある。彼はライダーだし、自転車の歴史研究もしていて詳しいと思っていたのだが、その答えは無下なものだった。

「ワタシは道路交通法の専門家じゃないから現在の状況は詳しくワカリマセン。法律は法律の専門家、医療は医師、そういう人に聞かなきゃ本当のところはワカラナイでしょう?」

研究者ならではの誠実な答えだった。確かに、〇〇人だからといって誰もがその国の法律に詳しいはずがない。

6月1日より、違反を繰り返す自転車運転者に安全講習を義務づける改正道路交通法の一部が施行された。自転車公害という社会問題に、駐輪だけでなく自転車の走り方も含まれて久しい。これに対して自転車免許必要論が出てきがちだが、自転車は国民国家の中で最後に残された自由な移動手段であると私は思う。

それは、公共の福祉の中で担保されるべきだ。だからこそ、16歳から筆記試験だけで取得できる原付免許は道路交通法を最低限理解している証としてもっと評価されるべきだし、すでに免許を所持している者は、子供たちへの周知の役割を自覚して改正道交法の情報に敏感であるべきだ。

【道路交通法】
自転車運転者講習の受講命令
第百八条の三の四 公安委員会は、自転車の運転に関し、この法律若しくはこの法律に基づく命令の規定又はこの法律の規定に基づく処分に違反する行為であつて道路における交通の危険を生じさせるおそれのあるものとして政令で定めるもの(次条において「危険行為」という。)を反復してした者が、更に自転車を運転することが道路における交通の危険を生じさせるおそれがあると認めるときは、内閣府令で定めるところにより、その者に対し、三月を超えない範囲内で期間を定めて、当該期間内に行われる第百八条の二第一項第十四号に掲げる講習(次条において「自転車運転者講習」という。)を受けるべき旨を命ずることができる。

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text:小林ゆき/Yuki Kobayashi
オートバイ雑誌の編集者を経て1998年に独立。 現在はフリーランスライター、ライディングスクール講師など幅広く活躍するほか、世界最古の公道オートバイレース・マン島TTレースへは 1996年から通い続け、文化人類学の研究テーマにもするなどライフワークとして取り組んでいる。

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