ピニンファリーナを手に入れる

ピニンファリーナを手に入れる

アヘッド ピニンファリーナ

イタリア語で車体を意味するカロッツェリアは、自動車ボデイをデザイン、製作、架装する工房のこと。もとは馬車を手掛けたが、移動手段の進歩に伴い自動車を扱うようになった。

1800年代終わりの話。当時、自動車メーカーはエンジンとシャシーのみを製作、顧客はメーカーからこれを買い入れ、被せ物をカロッツェリアに発注した。

中心は貴族を筆頭とする裕福な層、とくれば今も昔も遊びはクルマ。自分だけの自動車。彼らの抱く〝イメージ〟を、叩いて〝カタチ〟にしたのがカロッツェリアだ。

その後、メーカーがボディまでトータルで大量生産するようになると、カロッツェリアはカブリオレやスポーツタイプなどシリーズ生産車以外のクルマを請け負うようになる。これがワンオフモデルで、イタリアン・カロッツェリアの名を世界に広めた。

さて、ここからがピニンファリーナのお話。現在でも残る、もっとも古いカロッツェリア、ピニンファリーナはフィアットのお膝元、トリノでバッテイスタ 〝ピニン〟ファリーナが1930年に創業した。

この世にないものを生み出したヒトを天才と呼ぶのであれば彼は間違いなく天才カーデザイナー。

1946年発表の『シチタリア』は、それまで機能に合わせて独立していたボデイとフェンダーを一体化したカタチが特徴で、ニューヨーク近代美術館に動く芸術として永久展示されているが、高い芸術性をシンプルなラインで表現する手法はフェラーリを例に上げずともこのカロッツェリアが手掛けたすべての自動車に継承されている。

バッテイスタの後を引き継いだのは息子のセルジョ。彼がピニンファリーナを世界的な企業に育て上げた。セルジョは'80年代に入ると3人の子供を傍らにおき、采配を振るったが、時代の変化の風は工房からグループ企業に膨らんだ老舗にも容赦なく吹き付ける。

2008年にセルジョの後継ぎとされた長男アンドレアが交通事故で亡くなったことで、苦境に追い討ちをかけられた。

それはまさに老舗を襲った悲劇だったが、それでもほとんどのカロッツェリアが廃業を余儀なくされたなかで、ピニンファリーナは事業内容をワンメイクを含めた自動車デザインとエンジニアリング、そしてインダストリアル・デザインにしぼり、再生を始めた。

アンドレアに代わって会長に就任した末っ子のパオロはお父さんが生きていた時代、インダストリアル・デザイン専門のピニンファリーナ・エクストラを率いたが、それもあってか、現在のピニンファリーナは自動車以外にも手の中に入る小物や衣類から住宅設計まで対象物を広げている。

クルマのみならず小さなオブジェの中にもやっぱりピニンファリーナの世界が在る、これがイタリアでの評価だ。世界を築いたのは長い時間。続くっていい。続いたモノには伝統と革新、何よりドラマがあって、それがヒトを惹きつける。

アヘッド ピニンファリーナ
アヘッド ピニンファリーナ

ピニンファリーナはフェラーリのデザイン会社として有名。ディーノ206/246 GTクーペ 1/10ウッドモデル。¥129,600(税込)/イタリアのジュエリーブランド「バラカ」社とのコラボレーションアイテム、専用ケース付キーホルダー。各¥86,400(税込)/「F」のロゴが敷き詰められたカンビアーノ タイ。各¥17,280(税込)/ピニンファリーナ社のある町、カンビアーノの名前がついたウェア。カンビアーノ・ジャケット ¥39,960(税込)、カンピアーノ・スウェットシャツ¥25,920(税込)/アニバーサリーキャップ。コットン100% ¥4,320(税込) 

問い合わせ:モトーリモーダ銀座
TEL:03(5537)8567
www.motorimoda.com

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text : 松本 葉/Yo Matsumoto
自動車雑誌『NAVI』の編集者、カーグラフィックTVのキャスターを経て1990年、トリノに渡り、その後2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を続ける。著書に『愛しのティーナ』(新潮社)、『踊るイタリア語 喋るイタリア人』(NHK出版)、『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)ほか、『フェラーリエンサイクロペディア』(二玄社)など翻訳を行う。

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