私の永遠の1台 VOL.7 Norton アトラス ローボーイ ドミレーサー 745

VOL.7 Norton アトラス ローボーイ ドミレーサー 745

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このバイクとの出合いは大袈裟にいうと、運命的な何かによってもたらされた…と、今でもそう思っている。

子供の頃からオートバイレーサーになりたいという思いを抱き続けてきたが〝念ずれば花開く〟とはこのことだろうか。あれから34年の歳月が過ぎたある日、そのチャンスが突然やって来たのだった。

この日は友人を介し、ある人物との仕事を兼ねた夕食会が開かれていた。会話が進むに連れ、互いが趣味とするバイクやサーフィンの話しで沸き返っていた。何かの拍子にタイムトンネルへの興味を告げると、先方から「今は暫く走っていないが、タイムトンネルには毎回参戦していた」という。

思わぬ言葉に、レースがしたいという思いが高じ、思わず成功報酬としてのワンレースを申し出てしまった。そして夢は叶えられた。レースが近づきマシンとの初顔合わせを果たそうと、ドミレーサーの育ての親であるメカニック、荒木氏を訪ねガレージ兼作業場に足を一歩踏み入れた瞬間、ある衝撃が身体を貫いた。

なんとそこには、タイムトンネル観戦時に一番イカシタバイクとして写真に収めた、あのノートンが眩しい光を放っていたのだった。この運命的な出合いによって、更にレースへの実感が高まっていった。

レースデビュー当日の筑波は豪雨に見舞われ、コース上は全てのライトが灯され、コース上の至るところに水が溜まり、最終コーナーは川にも似た最悪の状態。しかも、初めて乗るレーサーにして練習無しのブッツケ本番。

「けしからん、無謀きわまりない。レースをなめてる!」と、お叱りを受けるかも知れないが、これが僕のレースデビューだったのだから、今更どうしようも無い。最悪のレースコンディションにベテランライダーのリタイアが続出した。

結果は、数周目に差しかかった第一コーナーでスリップダウン。ノートンはステップから火花を散らし見つめる視線もむなしく、グラベルを目がけて一直線に滑り込んで行く。がしかし、マインドは満たされ、顔には笑みさえ浮かんでいた。

初レースをきっかけにエイ出版・根本 健氏のご好意により、『倍倶人』の連載コラム

〝47歳からの挑戦〟の執筆へとつながっていった。こうして多くの時間を共に過ごしたノートン アトラス ローボーイ ドミレーサーは、ロードレースという一歩踏み込んだバイクの世界への良きガイドであり、心に刻まれた永遠の一台だ。

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▶︎1964年型ノートンアトラスのエンジンとレース用フェザーベッドフレーム、ローボーイのレプリカをベースにチェリアーニのトップブリッジとフロントフォークにフォンタナのビッグドラムブレーキが組み込まれている。ファーストオーナーのリクエストに応え、ノートンのオーソリティーミック・へミングスが制作した究極のプロダクションレーサー。

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text : 江本 陸/Riku Emoto
1956年鎌倉生まれ。子供の頃からスピードに憧れ、16歳で大型二輪免許を取得。20代ではサーフボードと共に海外放浪するなど、バイクとサーフィンをこよなく愛してきた。現在は、ライターとしてサーフィンやバイク、ライフスタイル系情報誌などで執筆するほか、臨床心理カウンセラーとしても活動中。

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