松本 葉の自動車を書く人々 第2回 渡辺敏史

アヘッド 渡辺敏史

※この記事には広告が含まれます

現在、日本の〈自動車を書く人々〉のなかで連載も含めて自動車雑誌への執筆量がもっとも多い、そのひとりが渡辺敏史氏。2014年まで9年!に渡って週刊誌にも、とても楽しい連載を持っていたから、一般レベルの知名度も高い、それがナベさんである。

text:松本 葉 [aheadアーカイブス vol.172 2017年3月号]
Chapter
松本 葉の自動車を書く人々 第2回 渡辺敏史

松本 葉の自動車を書く人々 第2回 渡辺敏史

■Toshifumi Watanabe
1967年福岡生まれ。企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)で二輪四輪誌の編集を経て独立。軸足を「市井」に置き、ジャンルを問わず、自動車の性能、技術、コンセプトなどを幅広く解説。今、もっとも”忙しい”自動車ライターと言われている。


私は渡辺さんの原稿が大好きだが、そこにはこんな面白さがある。たとえば砂漠。何にもない、誰もいない砂丘の上に渡辺さんが記した数本の原稿が置いてあったとする。誰が置いて行ったんですか? ってそういうことはよろしい。風に飛ばされないんですか? ってそういうこともよろしい。

あくまでイメージ。私は砂漠でその原稿を拾い、ラクダの上で1本ずつ読む。するとそれぞれの原稿がどの媒体に向けて書かれたものか、当てることが出来るような気がするのだ。「これはル・ボラン用ですね」「あちらは週刊文春」といった具合に。

渡辺さんの原稿は媒体によってレトリックから主語、語尾にいたるまで書き方が異なる。ここが渡辺流だが、異なる書き方のなかに常に彼が潜んでいる。

真面目で社会派の渡辺さんがいて、理科系に強い『少年ジャンプ』好き(かどうか、聞いたわけではないが)の弟キャラがいて、尿酸値と野菜不足を気にする50歳がいて、幼い頃からクルマが好きでたまらぬナベさんがいる。

がっちり掴んだズレぬ評価軸を持つ毅然とした彼の脇に、お酒好きで沢口靖子(みたいな美人)に弱い彼が時折、顔を出す。それぞれの自分を媒体ごとに〝振っている〟、そんな印象を持つ。

渡辺敏史という自動車ライターは日々、〈自動車〉をアップデートして、それを全方向から見ることが出来る〈自動車を書く人〉、同時に伝える相手を強く意識している。

『自動車の分野は技術用語やカタカナ言葉もあり、知識が豊富なマニアの方も多いため、媒体の属性を鑑み、読む側が一体何を求めているかを察しつつ言葉を選ぶことになる』【渡辺敏史「言葉のチカラ」より一部抜粋】。

渡辺敏史氏は1967年、福岡に生れた。あの世代、いわゆるスーパーカー世代で幼い頃からのクルマ好き。お父さんの乗り換えるクルマに上昇気流のニッポンを重ね合わせたひとり。彼もまた前回、取り上げた小林彰太郎氏の原稿を愛読、自らを〝小林 チルドレン〟と呼ぶ。

ちなみに現在、自動車メディアに関わるヒトの中で人数が多いのがこの世代。岡小百合氏、小沢コージ氏、岡崎五朗氏、『NAVICARS』河西啓介編集長、森 慶太氏、『CAR GRAPHIC』渡辺慎太郎編集長など、みな同世代。

若い世代が空洞化して年齢の底上げが進む昨今の自動車を書く人々のなかで唯一、〝混み合っている〟。岡崎氏、河西氏、渡辺氏以外は自動車雑誌を経てフリーの書き手となったが、ナベさんもそんなひとりだ。

企画室ネコ(現在のネコ・パブリッシング)でバイク/自動車雑誌の編集者をへて〈自動車ライター〉となった。
クルマを取っ替え引っ換え乗っては原稿を書く、小生のヘンテコな仕事にとって、自分のクルマに乗るヒマもない……というのは有り難い話でもある。


彼はこれほどたくさんの自動車インプレッションを記しながら、評論家でもなくジャーナリストでもなく、自らをライターとする。

「ジャーナリストと呼ばれればそれはそれでいいんですけど、自分からは言わないですね」

ライターを彼らしく定義するとこんなふうになるようだ。

『ご察しの通り、自動車ライターの仕事というのは誰よりも遠く、血へどを吐くまで走り続けた者こそが星になれるという、今どき痛々しいほどの体育会系だ』【 〝ハイエース〟という名のホテル 『カーなべ・上』 CG BOOK】

今どき痛々しいほどの体育会系にこだわるのは、彼が決めている立ち位置によるものではないかと思う。

「自分の立ち位置は市井のなかです。自分は大衆のなかにいる」

渡辺さんが指定した東京・三軒茶屋の「ジョナサン」で彼はきっぱりこう言った。ファミレスのハンバーグ定食(ご飯無し)をちょっと恥ずかしげにかきこむ彼は誠実で優しいタイプ。照れ屋と見た。その彼が持ち前のちょっと掠れた声で言う。

「ニューカマーはこれが市井の人の暮らしに入ってきて、いいものかどうか、そういう視線でいつも判断します。普通に乗ってちゃんと走るか否かにこだわってます。今は動かないクルマはないですから、微妙な速度域が変わって行くなかでその速度が調整し易いのかどうか。

ブレーキを掛けたとき唐突な利き方をしないとかハンドルを切った時にどういう曲がり方をするのか。もうひとつはメーカーがそれぞれのクルマにたてたコンセプトが達成されているかどうか、ですね」

これがナベさんの立ち位置であり評価基準だ。クルマに乗る。見極める、それを伝える。伝え方を媒体によって変えるのは前述の通りだが、変えるココロはもちろん〝伝わる〟ようにするため。

たとえば『CAR GRAPHIC』は年配の病院長、『ル・ボラン』はドイツ車盲信者で年齢は『CAR GRAPHIC』よりは低め、こうイメージしているそうだ。読者層の広い『週刊文春』の連載では「美容院や銀行で週刊誌を読む50代のおばちゃん」にターゲットを絞ったという。

そういえば文春の連載を一冊に集めた『カーなべ 上/下』【渡辺敏史著 CG BOOK カーグラフィック社刊】は50代のおばちゃんの私の愛読書、笑いたい夜の友である。

渡辺さんが影響を受けた自動車を書く人は下野康史氏。シモノと書いてカバタと読む彼は私のかつての上司で、自動車雑誌に席を置いた時代からその文章力が高く評価された。自動車を日常使いの視線で記したが、リアルなレトリックが読むものを魅了する。

下野さんもナベさん同様、かつて週刊誌(『週刊朝日』)に自動車にまつわる連載を持った。このアプローチもよく似ている。ふたりの立ち位置も似ている印象を受けるが、渡辺さんの自身を描いた文章からは、日常にちょっと不器用な男の匂いがする。

下野さんの原稿から漂ってくるのは遊びながらも羽目を外さない男の匂い。こういう違いが自動車を記した原稿に出てくるところが、私には面白い。書き手の背景の違い(これがそれぞれのアイデンティティになっていると思う)が異なった自動車の顏を引き出している。

ジョナサンで渡辺さんはもうひとつの役割についても明言している。それは必要と感じた時に自分の評価を自動車メーカーに伝えること。

「市井の人とメーカーの仲介人の意識があります。自分にはメーカーと話す機会があるわけですから。クルマの粗相を口汚い言葉で書くことが僕の仕事ではないと思う」

納得できない挙動を示すクルマがあればメーカーの開発陣に伝え、話し、アドバイスするが、読者に向けてはどんなクルマでも切り捨てない姿勢、これもナベさんが大切にしていること。

「こんなクルマを買わない方がいいと書くのは簡単です。瞬発的なウケもいいし」 でもそれを彼はしない。しないのは「一台も売れなかったクルマはないですから」

私はこの話を聞いて右手と左手のバランスが取れたような気がした。360度で自動車を記す彼がひとつだけ手をつけないファクター、それがデザインで、カタチの説明はあるが、彼がスタイリングを評価することはない。どうして書かないんだろう。

この〝不思議〟を私は右手に載せていつも眺めていた。1台も売れなかったクルマはない、という発言を耳にしたとき、それが私の左手に載った。これで右と左のバランスが取れた気がした。

バランスが取れたのは、一台も売れなかったクルマはないということを、ヒトの好みはさまざまだ、と取ったからである。

「合ってます?」と尋ねると「いやー、ハハハ、ええ、まあ、そう、ですっかねぇ ハハハ」とナベさん。クルマの評価同様、同意するしないにかかわらず相手の言うことを否定せず、いったんイーブンに持って行ってから、自己の考えを述べるのが渡辺さんだ。

「デザインに良否はつけません。自分なりの美の基準はありますけど、社会的には ないんじゃないかと思うから。黄金のプロポーションはありますけど、そこに何の価値があるのかということ。デザイン(の判断)は私見だから極力、触れないようにしてます。自分の好き嫌いと評価は違うから。どんな不細工な男でも…」

私は大泉 洋のことをイケメンだと思う。好みの顔立ちだが、明石家さんまは彼のことをかっこいい男のカテゴリーには入らないと言っていた。コレを思い出した。
渡辺さんが影響を受けたのは前述の下野康史の他には渡辺和博氏、テリー伊藤氏。一緒に仕事をしたこの3人からモノの見方を学んだという。2000年代に一般誌で男性向けブランドの執筆をしたことで現実と虚業の狭間を見た。

これが立ち位置を決めるきっかけとなった。メインストリームや体制的なことは嫌いだが、クーデターを起こす気持ちはない。大上段に構えることも自分の趣味を押し付けることもしたくない。

「常に考えていることはこのクルマに乗るヒトは幸せになれるか、ということです。風が吹く日、御殿場のアウトレットに行くときに安心して走って行けますか? そういうことを判断することが自動車メディアに身を置く自分の使命だと思っています」

自動車を知りたいと思ったとき、私は誰かが記した評価を必要とする。乗らぬクルマは誰かに教えてもらわなければわからない。それどころか、乗ったところで私にはわからない。

好きか嫌いか、それくらいは言えるけれど、それは印象であり、相性であり、勘であり、見た目である。私が知りたいのは、性能も含めて好き嫌いを越えたところにある〝クルマの人柄〟。

「自分がわからぬことは、自分が尊敬するヒトの言うことを信ずる」、こう言ったのは絵本作家の佐野洋子氏だったと記憶するが、私も同じ気持ちだ。私は自分で自動車を評価することが出来ない。であれば信頼を置くヒトの評価を信じる。

渡辺さんに会って、いつも相手に居場所を与えるその人柄に魅せられた。「このクルマに乗るヒトは幸せになれるか」、これを考えることを使命とするナベさん、ステキです。

---------------------------------------------
text:松本 葉/Yo Matsumoto
自動車雑誌『NAVI』の編集者、カーグラフィックTVのキャスターを経て1990年、トリノに渡り、その後2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を続ける。著書に『愛しのティーナ』(新潮社)、『踊るイタリア語 喋るイタリア人』(NHK出版)、『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)ほか、『フェラーリエンサイクロペディア』(二玄社)など翻訳を行う。
【お得情報あり】CarMe & CARPRIMEのLINEに登録する

商品詳細