松本 葉の自動車を書く人々 第6回 徳大寺有恒

第6回 徳大寺有恒

アヘッド 松本 葉の自動車を書く人々

■Aritsune Tokudaiji
1939〜2014年。成城大学経済学部卒。レーシングドライバーとして活躍後、自動車評論家に転身。1976年『間違いだらけのクルマ選び』がベストセラーとなる。『ぶ男に生まれて』(飛鳥新社 のち集英社文庫)『駆け抜けてきた : 我が人生と14台のクルマたち』(東京書籍)他著書多数。


70台とも言われる数のそれを買い、レース参戦したほどの腕前を持ち、自動車をとてつもなく面白く語り、雑誌、本にかかわらずたくさんの素晴らしい原稿を記した。

自動車メーカーに苦言を呈し、ユーザーに自動車との付き合い方のヒントを与えたのも彼。徳大寺有恒ほど日本車の成長を望んだ人は少ない。全ては自動車がとてつもなく好きだった、ここに始まりここに終わる。彼は自動車と共に生きそして亡くなった。

2014年11月7日、彼が亡くなった日のことは忘れられない。東京に住む私の姉がこんなメッセージを送って来た。

「徳さん、亡くなったね。なんかまたひとり、大切な人がいなくなった気がする」

姉は免許は持っていたが今に至るまでステアリングを握ったことは一度もない。自動車学校を卒業するとき校長先生に「あなたは生涯、運転しない方がいい」と言われたそうだ。

彼女は教師で常識的な人間、スポーツも普通に楽しむが、左を見て右を見て、こういう動作が出来ない。左を見て右を見るとまた左を見て右を見る。だから永遠に信号のない脇道から本道に出ることが出来ないのである。

もしこの世に運転能力に関する致命傷を負って生まれて来た人間がいるとすれば、そのひとりは彼女だと思う。姉が通った自動車学校の校長は同時に教官として教習車に乗る彼女の横に座った。それで 〝致命傷〟を理解した。免許を与えたことはともかく彼のアドバイスは的を射たものだった。こんなドライバーが運転しては危ない。

彼女は免許を身分証明証として使っている。運転することに今や興味などカケラもない。もともとなかったのかも知れない。姉も私も自動車免許が就職の必需品であった時代に育った。それで教習所に通った。

今の彼女はクルマとはまったく無縁の世界に生きている。にもかかわらず徳大寺さんの書き物の大ファン。新聞に掲載されたエッセイを読んで好きになったと記憶する。美しくて男らしい文章を書く人だと絶賛した。クルマって楽しそうだと思えてくると言ったが、それは運転への未練ではない。存在としての自動車だ。

彼女は一度、私にこう尋ねた。

「徳さんって業界でも凄い人なんでしょ」

彼女は徳大寺有恒の自動車メディアでの活躍も功績も知らない。想像が付かないのである。加えて『間違いだらけのクルマ選び』も読んだこともない。(自動車を)選ばないから読む気にならないのだ。

私は自動車雑誌に勤務していた時代に徳大寺さんと一緒に仕事をした。いや、仕事をしたという言い方はおこがましい。巨匠と呼ばれた徳大寺さんのカバン持ちを務めた程度。海外にも何回か一緒に出掛け、数え切れないほど食事をご馳走してもらったが、彼を徳さんと呼ぶことはついぞなかった。

彼は私には巨匠であり、物理的に近くて精神的に遠い人であり、徳大寺さんだった。しかし、姉は彼を親しみを込めて徳さんと呼ぶ。徳大寺さんは彼女にとってクルマを切り口にして人間を、人生を語る、現代の語り部なのではないかと思う。

自動車雑誌を開くこともカタログを眺めることにも無縁な人間を自動車に寄せることが出来た唯一の〝自動車関係者〟が彼だった。残念ながら徳大寺さんの後ろを歩く〝関係者〟は今の日本にはいない。

アヘッド 徳大寺有恒

1976年に出版されベストセラーとなった『間違いだらけのクルマ選び』(草思社)で彼は本名の杉江博愛から徳大寺有恒となった。この過程についてはネットでも多く語られているからここでは省くが、徳大寺有恒を世に知らしめたこのシリーズの他にも彼は実に多くの本を出版している。

ホームグラウンドであった『ベストカーガイド』(三推社)はじめ、私が彼と出会うことになった『NAVI』(二玄社、現在は休刊)など自動車雑誌、一般誌への執筆も多く、『NAVI CARS』(ボイス・パブリケーション)2014年3月号では「徳大寺有恒、という生き方。」という特集が組まれている。

好みはそれぞれであろうが、私がもっとも好きなのは、何と言っても最後の書き下ろしとなった『駆け抜けてきた』(東京書籍)だ。まずは<徳大寺有恒>が出来るまでが語られているから徳大寺ワールド入門書としてもお薦め。

この本に集約されているのは、誰の人生でもそうであるように彼の人生もまた困難と苦労と落ち込みと喜びと幸せと成功と失敗がぎゅう詰めだが、彼の場合はそれらがすべて自動車によってもたらされたものであること。

金太郎飴の金太郎の顔のごとく、徳大寺さんの人生は何処を切っても自動車が出てくる。人生をたい焼き、クルマを餡子とするなら、彼のたい焼きには隅々までが詰まっている。

本の中には徳さんがいてその徳さんを徳大寺有恒が描いている。長い時間のなかに身を置いた自分自身を振り返りながら、時にノスタルジックに若い自分を顧み、時にこ奴は何をしているんだと小さな苛立ちを自分自身に持ちながら、共に歩いたクルマたちを追って行く。

見栄も肩肘もはらず威張らず気取らず。お金の話をしても品のなさが感じられないのはすべて彼が自分の腕1本で得たものだからだろうか。

これだけの成熟さをもし年齢が与えたなら歳を重ねることは素晴らしいことだと思う。塩も醤油も後付けの味が何も加えられていないのにこの文を噛み締めるといい味が滲み出ることに感嘆を覚える。

徳大寺有恒はジャガーはジャグァー、メルセデス・ベンツはメルツェデスと記した。シトロエンはシトローエンでベントレーはベントリィ、ツインカムはツウィンカムでミニバンはミニヴァン。

『ジャグァーのこのスポーティなキャラクターは決して偶然できたものではない。その歴史に負うところと、その歴史を育んだイギリスの社会によるものであろうと思う』 

こういう書き方が〝公認〟されたのは彼だけだった。現在はメーカー日本支社や媒体が用いる表記に従うことが通例化している。

いつだったか、どうしてジャグァーと書くのかと本人に尋ねたことがある。持ち前の掠れた声で彼は笑ったものだった。

「ボクにはジャグワーって聞こえるけどなぁ」

これだけのことだと言わんばかりのシンプルな返答だったが、こういう、〝彼のもの〟となった表記が文に奥行きを与えていることは間違いない。ジャグァーという文字は背後に控える広い世界を読み手に予感させる。

表記統一に従うことは徳大寺さんにとって自動車を均一化することを意味したのだと思う。 彼が大切にしたのはクルマが持つ物語だった。これを名車の条件とした。

『物語を持つクルマー。/私はこれが名車の条件であるように思う。/では、物語を持つクルマとは、どういうクルマだろう。/クルマの背後にひかえる「世界」があるということだ。「世界」とは、そのクルマを所有することによって、あたかも自分が人生の主人公のように感じられる〝ドラマ喚起力〟と言ってもいいかもしれない』

自動車が持つ物語に、耳で聞こえることに従った表記は大きな力を与える。

アヘッド 徳大寺有恒氏

彼は生涯、ダンディズム、スタイル、クラス(彼流に言えばクラース)、男らしさを追求した。これらへの姿勢は一貫しており、ブレもズレもない。年齢と経験がどんどん、それぞれに深みを与えたが、ひとつだけ、彼が〝見直した〟ことがある。

それは自動車を駈る者が感じ取る死の匂いだった。これを晩年、彼は生への渇望と見極めたのである。この本の刊行を追うように亡くなった彼の最後の著書、『駆け抜けてきた』のなかにこんな記述がある。『以前、私は「フェラーリは死の匂いを持っている」と書いた。

自動車ジャーナリズムにおいて、「死」という言葉はタブーであったとしても、どうしてもフェラーリが持つ官能性は、この言葉を使わないと説明しきれないと書いた。

それは今でも変わらない。しかしジジイになって、自分の死が現実味を帯びてくると、フェラーリの魅力とは、さらにもう一歩深く「生への渇望」だと気づかされる。それも「官能的な生への渇望」である』

彼の死後、この一文に出逢い、徳大寺有恒はなんと素晴らしい人生を送った人なのだろうかと思わずにはいられなかった。彼はこういうカタチで自動車乗りに、いやすべての読み手、いや自分が立ち去った後も生きる全ての人々にエールを送ったのだと思う。

気鋭の哲学者、若松英輔氏は著書『生きる哲学』(文藝春秋社)のなかで、我々がしばしば素朴に考える、心と体は一体であるという思いに疑問を投げ掛けている。

『逆に、心と身体が別な秩序に基づいているなら、死者として生きる可能性は十分にある、ということになる。古代の人々はそう考えた。彼らにとって死は、存在の終わりでなく、新生の契機だった』

徳さんは今も多くの人々のなかに生き、そして彼の著書にあらたに生かされる人が出ることだろう。自動車を巡るさまざまな物語を残したのが、徳大寺有恒だった。多くの人々に手に取ってもらいたい。

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text:松本 葉/Yo Matsumoto
自動車雑誌『NAVI』の編集者、カーグラフィックTVのキャスターを経て1990年、トリノに渡り、その後2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を続ける。著書に『愛しのティーナ』(新潮社)、『踊るイタリア語 喋るイタリア人』(NHK出版)、『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)ほか、『フェラーリエンサイクロペディア』(二玄社)など翻訳を行う。

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