日本のオフロード車

アヘッド SUV

※この記事には広告が含まれます

空前のSUVブームが到来したこの数年、世界中の自動車メーカーがこぞってSUVを発売し続けている。

text:まるも亜希子、伊丹孝裕、河村 大 [aheadアーカイブス vol.179 2017年10月号]
Chapter
日本のオフロード車
ジープをルーツに持つSUV 〜三菱パジェロ
プリミティブなアウトドアギア〜スズキ ジムニー
人と命を繋いできた トヨタ ランドクルーザー

日本のオフロード車

ブームの加速によりクロスオーバーが常識となり、サルーンと変わらない内装を装備したクルマや、スポーツカーと同等の動力性能を持つクルマが登場するなど、ひとくちにSUVとくくれないほど、そのラインアップは拡大している。

そういう今だからこそ、未舗装のフィールドに分け入り、雪道をものともしない悪路走破性を誇る日本のオフロード車に注目してみたい。

ジープをルーツに持つSUV 〜三菱パジェロ

text:まるも亜希子


「ミツビシ! マスオカ!」 パリの街角でいきなり年配のフランス人にそう叫ばれ、とても驚いたことを思い出す。興奮した様子でまくし立てるフランス語は、通訳によれば「キミは日本人だろ? 俺はマスオカの大ファンなんだ! 帰ったら伝えてくれ、応援していると。

日本でもマスオカはヒーローか?」 そんなようなことを言っていたらしい。「もちろん! 増岡さんはヒーローよ!」 と笑顔でサムズアップを返すと、男性は満足そうに立ち去って行った。
後ろ姿を見送りながら、三菱自動車が成し遂げた偉業の影響力をひしひしと感じ、日本人として誇り高い気持ちで胸が熱くなった。その偉業とはもちろん、世界一過酷と言われるダカールラリーに挑み、数百台の頂点に何度も立ってみせたことである。

今でも〝パリダカ〟という通称が残る通り、ダカールラリーは1979年の第1回大会からしばらくの間、パリの街で盛大なスタートセレモニーが行われていた。三菱がパジェロで初参戦した1983年の第5回大会も、総走行距離1万2千㎞、競技日数20日間に及ぶ命がけのレースに、385台もの競技車両がパリの街をスタートした。

市販車とほとんど変わらない仕様の市販車無改造クラスにエントリーしたパジェロは、容赦なく牙を剥くサハラ砂漠にも果敢に立ち向かい、改造クラスのマシンさえ打ち負かして総合11位でゴール。完走した競技車両はわずか90台、完走率20%という厳しいレースで、初出場にしてクラス優勝を果たしたパジェロは、一躍世界にその名を知らしめたのだった。
 
そして参戦2年目にして総合3位、3年目には総走行距離が1万4千㎞にまで延び、550台もの競技車両がしのぎを削ったダカールラリーで、日本車として初の総合優勝を飾る。ランドローバー、メルセデス・ベンツ、プジョーやシトロエン、ポルシェと、世界中の老舗メーカーがワークス体制で渾身のマシンとドライバーを送り込んでくるなか、その後もパジェロを筆頭とする三菱チームはズラリと上位入賞を果たしていく。

1997年に日本人ドライバーでの初優勝を勝ち取ったのも、篠塚建次郎氏が駆るパジェロだ。そして1987年から参戦し、メキメキと頭角を現してきた増岡 浩氏は2002年、2003年と日本人初の2連覇を達成。2007年を最後に三菱が参戦を終了するまで、7年連続・通算12勝という輝かしい軌跡に大きく貢献したのが増岡氏である。
●MITUBISHI PAJERO
車両本体価格:¥4,951,800
(SUPER EXCEED/LONG クリーンディーゼル車、税込)
エンジン:DOHC 16バルブ・4気筒
インタークーラーターボチャージャー
排気量:3,200cc
最高出力:140kW(190ps)/3,500rpm
最大トルク:441Nm(45.0kgm)/2,000rpm

日本人を見ただけで、「大ファンだ」と伝えてくるフランス人がいるとは、きっと増岡氏本人も驚くことだろうが、それくらい、パジェロの圧倒的な強さは人々の心にインパクトを残し、今なお「日本車といえば三菱、四駆といえばパジェロ」というファンが根強いことを裏付けている。
 
なぜ、そこまでパジェロは強かったのか。その歴史を紐解くと、パジェロが誕生する前に三菱がアメリカからの委託生産をしていた「ジープ」にたどり着く。生産を始めた1953年当初は部品の組み立てのみだったが、すぐにライセンス契約が交わされて国産化が図られ、アメリカ軍や自衛隊などに向けた三菱ジープが完成。

軍用ながら、多用途に使えるジープはしだいにキャンバストップ、メタルトップ、ワゴンとバリエーションを増やし、70年代になるとファッショナブルな外観や高級感を求めたインテリアなども登場した。45年間で約20万台が生産されたこのジープこそが、三菱の四輪駆動技術の礎となったと言えるだろう。
 
そして1982年、四輪駆動車の市場が拡大し、とくに個人ユーザーからのニーズが高まりを見せるなか、華々しくデビューしたのがパジェロだ。南米に生息する野生の猫「パジェロキャット」に由来するその名には、野生味と美しさを調和させるという願いが込められ、ジープで培ったタフなオフロード性能を持ちながら、乗用車感覚の扱いやすさを実現した画期的なモデルとして注目を集めた。

リヤサスペンションにコイルスプリングを採用するなど、すでにその開発理念には既成概念を打ち破る三菱のチャレンジ・スピリットが垣間見えるが、まさにパジェロはここから、常に一歩先ゆく四輪駆動車であるために数々の挑戦を続けることになる。
 
自身も入社以来3台のパジェロを愛車として乗り継いできたという、三菱自動車のプロダクト・プランニング・マネージャーである鴛海尚弥氏は、パジェロの魅力をこう語ってくれた。

「パジェロらしさを象徴するエピソードといえば、1991年に登場した2代目に採用した、世界初のスーパーセレクト4WDシステムではないでしょうか。当時、パートタイム4WDが当たり前だった時代から、しだいにフルタイム4WDに移行していくなかで、パートタイムの良さを切り捨てるのではなく、どうにかして双方の良いところを融合させられないか、と試行錯誤したのです。スーパーセレクト4WDの特徴は、それまで一度停車して2WDから4WDにギアを入れてバックする、という手間があった切り替えが、走りながらできるようになったことでした。乗る人がより簡単に、乗用車ライクに4WDの良さを味わえるようにしたところに新しさがありました。デフの進化もモノコックボディもそうですが、パジェロが搭載してきた技術には、どうやったらお客様にもっと使いやすい四輪駆動車を提供できるだろうか、という想いが常にあったと思います」
 
さらに鴛海氏は、増岡氏にもパジェロについてのコメントを聞き出してくれていた。

「パジェロの開発でいちばん難しいのは、やはり走破性と快適性の両立なのだと言っていました。とくに足まわりのジオメトリー、つまりサスペンションの取り付け位置や角度などを指しますが、それがパジェロの肝とも言えるようです。フレーム構造だった時代に、サスペンションを付けては走り、また違う位置に付け替えては走り、というテストを繰り返して積み重ねてきたノウハウが、今も生きているということでした」
 
こうした、世の中の流れに逆らってでも良いものを生み出そうとし、効率が悪くてもコツコツと納得がいくまで突き詰める。そうした〝妥協しない〟という開発姿勢が、パジェロには脈々と受け継がれていると感じる。

「パジェロは現在、世界中どこでも同じ仕様で販売されていますので、最も過酷な環境でも耐えられる性能が、日本で走るパジェロにも備わっています。私も乗るたびに実感しますが、ちょっとくらいの雪なんかじゃビクともしない。普通に快適に走れるんです。そうした安心感、限界の高さ、そしてそれによって〝今度はあそこへ行ってみよう〟とアクティブな気持ちが生まれること。それがパジェロの大きな魅力ではないかと思います」
 
だが、日本をはじめ世界各地で厳しさを増す排ガス規制や、ルノー/日産とのアライアンスを結んだ三菱の企業戦略など、パジェロを取り巻く状況は決して楽観はできない。今後もずっと日本で販売されるのかどうか、明言はできないという。ただひとつ名言できるのは、三菱に深く根付いている志、社員の意識の中には、この先もずっとパジェロがあり続けること。

そして4WD技術の核としても、ずっと残っていくだろうということだ。その言葉に希望を重ねて、これからも三菱、そして三菱の四駆の未来にエールを送り続けたい。

●初代(1982年〜)
三菱フォルテ4WDをベースに、本格的クロスカントリー車として発売。当初は4ナンバーのみだったが、のちにハイルーフ化されたロングが登場し5ナンバーが主力に。デビュー時はオフロードファンから支持されていたが、1987年に本革シートなどの見栄えを重視した高級グレード「エクシード」が追加されると、時代の需要とあいまって、ファン層が一気に拡大。RVブームの牽引役となった。
●2代目(1991年〜)
RVブーム真っ只中でのモデルチェンジ。他社からもRV車が続々と発売されたが、支持を集めたのはやはりパジェロだった。高価格帯ながら、国内の新車車種別月間販売台数の首位を普通車から奪うなど、その人気ぶりが伺える。特に人気が高かったのがロングボディのハイルーフ車。パジェロでスキーに出かけるのが、当時のステイタスだった。世界初のスーパーセレクト4WDシステム採用。
●3代目(1999年〜)
RVブームが去った後に掲げられた開発テーマは「新世代の世界基準パジェロ」。高級&快適なSUV志向に沿うべく、乗用車並みの快適性とランクルに迫る車格を備えた。ボディサイズが一回り大きくなったことで、室内空間が飛躍的に拡大。シャシーはラダーフレームから、モノコックに変更された。クロスカントリー色が薄まり、スマートな印象となった。
●4代目(2006年〜)
足回りやパワートレインなど、定評のある基本メカニズムは先代から踏襲。成熟さを増したプレミアム感の高いオールラウンドSUVへと成長した。一方でスタイリングは原点回帰。曲線的な造形が特徴だった先代に対し、一見してパジェロとわかる直線を基調としたデザインへと戻った。2008年には、先代で廃止したディーゼル車が復活している。
三菱の四駆技術が存分に活かされたデリカD:5。世界で唯一のオールラウンダーのミニバンである。「デリカでなきゃだめ」という根強いファンも多い(写真は特別仕様車のアクティブギアです)。

●MITUBISHI DELICA D:5
車両本体価格:¥3,534,840
( D-Power package/クリーンディーゼル車、税込)
エンジン:DOHC 16バルブ・4気筒 
インタークーラーターボチャージャー
排気量:2,267cc
最高出力:109kW(148ps)/3,500rpm
最大トルク:360Nm(36.7kgm)/1,500〜2,750rpm

------------------------------------------------
text:まるも亜希子/Akiko Marumo
エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集者を経て、カーライフジャーナリストとして独立。ファミリーや女性に対するクルマの魅力解説には定評があり、雑誌やWeb、トークショーなど幅広い分野で活躍中。国際ラリーや国内耐久レースなどモータースポーツにも参戦している。

プリミティブなアウトドアギア〜スズキ ジムニー

text:伊丹孝裕


クルマを買い換える必要性にかられて近所の中古車屋へ行った時、たまたまバックヤードに置いてあったジムニー1300シエラ(JB31)を見つけた妻が「なんかカワイイね」と言った。

その瞬間、僕は心の中でガッツポーズをしていた。「いつか欲しいなぁ」と漠然と思っていたジムニー購入のチャンスが思いがけないタイミングでやってきたからだ。

「でもちょっとせまそうだね」とか「やっぱり壊れるんじゃない?」と心配する妻に、「これくらいの大きさの方が運転しやすいと思うよ。それに頑丈さが取り柄みたいなもんだから大丈夫」とかなんとか言いくるめ、結局そのジムニーは我が家へ迎え入れられることになった。10年ほど前のことである。

3速ATは決して高速巡航を得意とせず、車内はもちろん広くはないものの、妻には悪いがそんなことは百も承知である。高速道路でうなるエンジンはむしろ健気だと思えたし、週末のスーパーで買い貯めする1週間分の食材と、大人ふたり子供ひとりが乗れる室内スペースは最小限ながら許容範囲。パワーも車格もこれ以上は望まないけれど、これ以下はちょっと困るというギリギリ感が心地いい、足るを知るクルマだった。

そんなジムニーのことを、娘は「こまめちゃん」と呼び、好んで乗りたがった。あずき(小豆)色の外装だったことがその由来で、まるで自分の兄弟かペットのように接していたのである。歴代のどのクルマに対してもそうだったわけではなく、名前をつけていたのは後にも先にもそれ1台きりだ。

オフロード性能に特化していながら、どこか愛嬌のあるジムニーは、サバイバルのためのツールとして絶大な信頼を集めてきた一方、人の気持ちを和ませるホビーにも成り得る稀有な存在である。そして、その狭間を自由に行き来しながらある種の文化と歴史を作ってきた。

初代ジムニーが登場してから今年で47年が経過しているにもかかわらず、その期間をたった2回のフルモデルチェンジで乗り切って累計販売台数は280万台に到達。生産年数を踏まえるとその台数は決して多くはないが、スズキはそこに採算や効率を求めず、じっくりと育てることをユーザーに委ねたのだ。そうすることで日本発の4駆文化を世界中に拡散させていったのである。
「ジムニーというクルマがここまで継続し、受け入れられてきたのは時代がユルくなってもそれに合わせようとしなかったからだと思います。4駆界における〝ユルい時代〟というのは、SUVという言葉がひとり歩きし始めた頃ですが、それらの多くはオフロード性能が軽視され、スタイルやイメージありき。

ところが、ジムニーは災害や大雪に直面した時のサバイバル能力がリアルに高く、そこは一貫してブレなかった。もしも世の中の流れに従って右往左往していたら、今頃ラインアップから消えていたでしょうね」

そう語るのは、ジムニー専用のパーツメーカー「アピオ」の代表を務める河野 仁さんだ。アピオの前身となった尾上自動車が本格的にジムニーを手掛けるようになったのは、'81年に登場した2代目ジムニー(SJ30)がきっかけである。

550㏄の2ストロークエンジンを搭載するそのモデルを創業者の尾上茂会長が手に入れたものの、至るところが不便もしくは不完全だった。それを解決しようと大手サスペンションメーカーに直接掛け合うなど、持ち前の行動力で様々なパーツを商品化し、やがその名が知られるようになったのである。
「ジムニーは今も完成形ではなく、いい意味で乗り手が自分で補ってあげたくなるようなスキがあります。もちろん狙ってそうしているわけではなく、一般的なユーザーやコアなファン、競技指向の人など、それぞれの立場によって求める理想のジムニー像が違い、必要な機能もスタイルも様々。

とはいえ、目的に応じたカスタムやチューニングをすればそのいずれにもきちんと応えてくれる懐の深さが魅力でしょうね。完全ではないかもしれないけれど、いかようにも変われる素性のよさを備えていること。ジムニーはそういうクルマだからこそ、様々な趣向の人に愛されてきたのだと思います」

2輪に例えるなら、ヤマハ・SRがそうだろう。空冷の単気筒エンジンをセミダブルクレードルフレームに搭載し、装備も性能もそこそこ。スペックよりもバイクらしいシンプルな佇まいと鼓動感を大切に守ってきたからこそ、40年に渡って多くのライダーに愛され、カスタムの素材として世界中に熱烈なファンが存在している。

排ガス規制の関係で今年の夏に一度生産を終えたものの、ヤマハは早々に、そして異例にも後継モデルが存在することを発表。一方のスズキも20年振りとなる新型ジムニーの発表を示唆するなど、ユーザーを不安にさせない生真面目なスタンスでも両モデルは似ている。
▶︎ブルーのジムニーを所有するのはaheadのウェブデザイナーでもある山口圭司さん。昭和61年(1986年)製ジムニーJA71で、ジムニー550cc初の4サイクルエンジン搭載車。山口さんが知り合いから譲ってもらったのは10年ほど前。実はエンジンを一度載せ替えている。エンジンだけでなく、いろんなところを直しつつ、手を入れつつ今も大事に乗っている。小さいが故に工夫が満載で、シンプル故に乗る人のセンスが活かせるのもジムニーの魅力。(撮影:長谷川徹)

「実際、ジムニー乗りにはバイク乗りが多く、さらに言えば波乗りとの親和性も高いんです。いずれにも数値化できない官能性があり、それを操った時に五感を通して得られる刺激や快楽の種類が似ているんでしょうね」

 速過ぎず遅過ぎず、大き過ぎず小さ過ぎず、人がごく自然に操れるスピード感やスケール感が共通しているからこそ、ライダーやサーファーの多くはジムニーにシンパシィを感じる。

「楽器にも言えるんですよ。ジムニーに近いのはウクレレで、あれって音楽に馴染みがない人が適当に鳴らしても心地いい音が響くでしょう? コードをいくつか覚えさえすればかなり多くの音楽をカバーできる万能性といい、気軽に扱える大きさやカタチといい、共通項が少なくありません。

楽器に心地いい音域があるように、クルマにもそれぞれ心地いいスピード域があって、どれが自分にしっくりくるのかを人は本能的に選んでいるのだと思います」

本能という意味では、ジムニーなら自分の身を守れるという心理的な安心感があると河野さんは言う。少なくとも日本の道路は大半が舗装され、自ら悪路に分け入ったり、大雪にでも見舞われない限りは4駆が必要になる場面すら実際にはほとんどない。

しかしながら、いざという時にいつでもそれが使えるという、ある種の防衛本能をジムニーは満たしてくれる。もう少しプリミティブなモノに置き換えるなら、火やナイフを持つと心が落ち着くのと同じで、とりわけ男子のマインドにはそれが深く刻まれているのだ。

言わば本能を呼び覚ますスイッチと言ってもいい。それがジムニーに感じられる限り、このモデルのファンがいなくなることはないだろう。

「そのためにはこれからのジムニーにも圧倒的なオフロード性能があり、軽量コンパクトであってほしい。よく日本の軽自動車はガラパゴスだと言われますが、例えばオリジナルのミニやチンクエチェントの方が今の軽自動車規格よりも遥かに小さいですよね。

ここ数十年で人間の体格が急激に大きくなったわけでもなく、道幅だってほとんど変わっていないのだから、本来ジムニーくらいの大きさで充分こと足りるはずなんです。それでももしなにかを望むなら、航続距離が長い5ドアのロングボディがあるといいですね。

というのも、そういう仕様があるとインフラが整っていない発展途上国の山岳地域でも移動手段として役立ち、そこでの暮らしに貢献できるためです。古来から〝移動〟は人間の本能であり、田畑を耕すにしても狩猟をするにしても、町や国家を作るにしても常に人は土地から土地へ移り住むことによって種族を守ろうとし、それを快楽に感じてきました。

だからいざという時に未開の土地へ踏み出せる動力性能があるかどうか。DNAに訴えかけるそういうたくましさが世界に誇るべきジムニーの魅力ではないでしょうか」

80年代のヤマハのキャッチコピーに「人間にいちばん近い乗りもの」という文言があった。もしもそれを4輪に当てはめるなら、ジムニーがまさにそれだ。複雑な電子デバイスも豪華な内装も上質な音響も必要とせず、ステアリングを操作し、シフトレバーとブレーキを駆使し、アクセルをただ踏み込んだだけで得られた快楽を今も時折思い出す。

家族3人が移動するために手に入れた「こまめちゃん」は手放してしまったが、子供も成長した今、自分ひとりのためにもう1度ジムニーを手に入れてもいいかなと思い直し、最近また中古車サイトを見ながら探している。型式はJA12か22で、今度は僕が乗れればいいのでミッションはマニュアル。それでオフロードバイクを載せたトレーラーを牽引しながら時々旅をするのだ。

「もしもジムニーを手に入れたなら…」そう考えるだけどんどんイマジネーションが広がり、気持ちが満たされる夢のギアでもある。

●初代ジムニー(1970年)LJ10
軽自動車初の本格四輪駆動オフロード車として発表される。空冷直列2気筒。2サイクルの359ccで4速MTであった。
●初代第2期(1972年)LJ20
エンジンが空冷から水冷に変更された。水冷になったことにより温水式ヒーターを得るなど、寒冷地を中心に販売台数を伸ばした。
●2代目第1期(1981年)SJ30
11年ぶりにフルモデルチェンジされた2代目。オフロードとオンロードの両立を謳い、女性ユーザーも意識するように。水冷直列3気筒2サイクル539cc。
●2代目第2期(1986年)JA71
2サイクルエンジンにかわり、電子制御燃料噴射装置及び4サイクルターボエンジンを搭載。550cc4サイクルターボと5速MTの採用によって高速性能にも余裕が生まれた。
●2代目第3期(1990年)JA11
軽自動車の規格拡大によって排気量が110ccアップされた。サスペンションとダンパーの見直しによって、乗り心地と操縦安定性が向上したと言われている。
●3代目(1998年〜) JB23
軽自動車規格の改正に伴ってフルモデルチェンジ。角形から丸みを帯びたデザインに大きく変更され、車体も大きくなった。幌モデルも廃止された。水冷直列3気筒4サイクルIC付きターボ658cc。

-------------------------------------------
text:伊丹孝裕/Takahiro Itami
1971年生まれ。二輪専門誌『クラブマン』の編集長を務めた後にフリーランスのモーターサイクルジャーナリストへ転向。レーシングライダーとしても活動し、これまでマン島TTやパイクスピーク、鈴鹿八耐を始めとする国内外のレースに参戦してきた。国際A級ライダー。

人と命を繋いできた トヨタ ランドクルーザー

text/photo:河村 大


その日、僕はウユニに向かう途中で道に迷っていた。ボリビアの首都ラパスから380㎞。舗装路から分岐した未舗装路の先で氾濫した川に阻まれてしまったのだ。迂回路を探すうちに日が暮れ、今夜は野宿か、と諦めていたその時、1台のランドクルーザー70が通りがかった。「ついておいで。僕らもウユニの町へ行くんだ」。天佑だった。
 
でもそこから150㎞続いたオフロードが地獄だった。折からの雨で道路は泥沼化。飛び跳ねる泥水がヘッドライトにこびりつき、視界も暗い。油断すればスタック間違いなし。前を走るナナマルのテールランプだけが頼りだった。途中、轟音が聞こえてくると渡河の合図。水流の勢いと下流すら見えぬ恐ろしさに足がすくんでくる。

でも道である以上、渡れるはず! 借りてきたランドクルーザープラドの副変速機をローレンジに入れ、まずは深呼吸。慎重に足を踏み入れつつ、速すぎず、遅すぎず、川底をしっかり捕まえられる速度で渡り切った。後ろに、スタックから助けたジムニーがついてきていたが、彼は渡河を諦めた。車重の軽い車では流されると思ったのだろう。僕も同じ判断をしたと思う。
 
その夜、僕らは深夜3時頃にウユニの町へ到着した。極悪オフロードを共にした彼とはその後のラパスで再会、互いに一生忘れられぬ5時間の旅を肴に酒を酌み交わし、今でも親交を深めている。
 
そして翌朝。僕の目はふたつとも開かなくなってしまっていた。前車を見失わぬよう、瞬きもせず走り続けていたからだろう。コンタクトをした目が悲鳴をあげ、目ヤニでコーティングされてしまったのだ。流水で洗うも開けようとすると激痛が走る。夢にまでみた塩湖には雨水が溜まり、鏡のように輝いていたというのに。でも記録に残すことはできる。その日は薄目を開け、カメラのシャッターを切り続けた。
 
記録されたのは無数のランドクルーザー達。塩湖のツアーはほぼ全てランクルで行われていたのだ。ツアー客を6人乗せ、極悪な塩害に耐え、雨期のオフロードを「ヘ」とも思わぬクルマ。そんなクルマはランクルしかいない。ざっと見て80系が7割、100系が2割、その他のランクルが0・5割くらい。湖面は文字通りランクル天国になっていた。
この時走った150㎞の道は、今は乗用車でも走れるほどキレイに整備されている。が、ウユニより南、チリとの国境へ至る道は未だオフロードのまま。ガレた山道を越えると道の両脇に、赤、青、エメラルドの湖が次々と現れる「宝石の道」と呼ばれる場所がある。ウユニから往復750㎞、ガソリンスタンドすらないその道では「走破できる」のは当たり前、「壊れず帰ってくる」信頼性こそが大切になる。

だから、ここでもランドクルーザーの独擅場。すれ違ったクルマはほとんど全てルーフキャリアに燃料を積んだ80系と100系だった。おそらく今世紀中にこの国からランドクルーザーが消えることはないだろう。
 
同じ想いはオーストラリアでも味わうことができる。国土の内陸に「アウトバック」と呼ばれる荒野が広がっているのだが、そこで出会うクルマもランクルだらけなのだ。この地では幹線道路以外ほとんど全てが未舗装路。その総延長は凄まじく、全てにアスファルトを敷くのが無理なことくらい誰でもすぐに理解できる。

2013年にはアリススプリングスから北西に延びる1000㎞のタナミロードを走ったが、ここもほとんどが未舗装路。やはり700㎞近くスタンドのない道があり、この時ほど純正でサブタンクの付く70系が頼もしく思えたことはなかった。

途中、星空の下でキャンプしながら走ったが、その間携帯の電波が入ることは一度もなくすれ違うクルマもごく僅か。日中は気温が高く、夜は寒く、クルマが故障すれば命にすら関わることを思い知らされた。
アウトバックでは牧畜で使うクルマも、鉱山で働くクルマも、鉄道を保守するクルマも、国立公園のレンジャーもそのほとんどがランドクルーザー。このクルマがいかに信頼されているのか、生産国の日本にいても分からなかった事実に僕は驚き、嬉しくなり、次第に誇りに思うようになった。オーストラリアは国を挙げてランクルに恋している、と言っても過言ではないかも知れない。
 
その恋は昔も今もとても熱い。1989年にステーションワゴンの80系が100系にモデルチェンジした時、前輪がリジッド式コイルサスから独立懸架式に変わったことをご存じだろうか。ところが発売前に現地で行った評価テストで、80系が登れた坂を100系が登ることができず、現地スタッフからも不安の声が上がり出す。

そしてこのままでは新型の売れ行きにも影響が出る可能性を考慮。急遽、フレームから下を80系で作った前後リジッド車「105系」を豪州限定で併売した。他の国ではあり得ない対応だったのだ。
 
それだけではない。2016年末、トヨタは豪州に出荷する70系のシングルキャブピックアップにのみ、フレームの再設計を含む大改修を施した。外観はほとんど変えずに…。これにも理由があった。豪州では鉱山の労働組合が強い発言力を持っているといわれている。

彼らが「安全上ANCAPという乗用車の衝突安全基準を最高ランクでクリアするクルマしか導入を認めない」と決めた時、ランクルはその候補から外れることとなった。やむなく鉱山会社は他メーカーのクルマを購入するも故障ばかり。それまで使っていた70系がいかに頑丈だったか思い知らされる結果になった。

「頼む、70系を5つ星にして欲しい」。鉱山会社はトヨタへ直訴した。ラダーフレームのリジッド車で衝突安全基準最高ランクなど、トヨタにも経験のない領域だ。それでも技術者達はクリアしてみせた。豪州のユーザーとトヨタと。彼らがいかに互いを必要とし、信頼し合っているか、よく伝わるエピソードだと思う。
ランドクルーザーは不思議なクルマだ。日本のクルマではあるが、日本の常識から大きくかけ離れてしまっている。それもそのはず、中東オマーンでは漁師が積む過積載の水槽でサスの実証実験を行い、アフリカ用には粗悪な燃料に対応するため四半世紀以上使われる古いエンジンを出荷する。

サウジアラビアでは王族がフルエアコンで鷹狩りに使っているかと思えば、国境警備隊が日々その命を預け、砂漠や土漠をフルスピードで走らせる。国内とは要求される性能が全く違うのだ。
 
でもこれら世界中から集まってくる要求にトヨタの技術者達はひとつひとつ耳を傾け、対応してきた。耐久性と信頼性はこのクルマの大きな武器だが、それだけではここまで愛されなかったに違いない。本当に大切なのは、こうやってユーザーと一緒になって作り上げてきたからこそ今のランクルがある、ということ。

この姿勢を忘れぬ限り、今後どんな世の中になろうとも、ランドクルーザーはランドクルーザーであり続けると思う。

1951
1955
1960
40系。'60 年から'84 年まで生産されたヘビーデューティモデル。ラダーフレームに前後リーフリジッドのサスと副変速機付きパートタイム4WD を組み合わせた。写真は'74年に追加されたディーゼルモデル。経済性に優れ、人気を博した。
1967
1980
1984
'84年登場のヘビーデューティーモデル。通称ナナマル。5種類のホイールベースを備え4ドアからピックアップまで多彩なラインナップを持つ。ボディー外板は0.7㎜と極太。複数回の鈑金に耐える強度がある。(70 系)

1989
80系(通称ハチマル)。'89年登場のステーションワゴン。ラダーフレームに前後コイルリジッドの足回り。フルタイム4WDを採用し、前後およびセンターデフロックが可能。高い走破性と快適性を両立させていた。
1996
2017
'07年に登場した最新のステーションワゴン。先進の電子デバイス「クロールコントロール」やリアリジッドのキネティックサスペンション、あるいは車高調整機能により、歴代最高、世界最高の走破性を誇っている。(200 系)

●TOYOTA LAND CRUISER (現行車)
車両本体価格:¥6,836,400(ZX、税込)
*北海道地区、沖縄地区は価格が異なります。
エンジン:V型8気筒 総排気量:4,608cc 
最高出力:234kW(318ps)/5,600rpm
最大トルク:460Nm(46.9kgm)/3,400rpm

---------------------------------------
text:河村 大/Dai Kawamura
1969年生まれ。早稲田大学第一文学部中退。元フォーバイフォーマガジン編集長。現在はフリーランスとして活動中。
【お得情報あり】CarMe & CARPRIMEのLINEに登録する

商品詳細