クルマやバイクを芸術に高める

クルマやバイクを芸術に高める

アヘッド バイク

また芸術は、それが個人的な活動であるにも関わらず、他人によって評価され、互いに影響されていくものでもある。クルマやバイクそのものが芸術か否かという課題は別として、今回はクルマやバイクを通した表現活動を行っているふたりの男に注目してみたい。

カスタムの潮流を変えたオレンジ色のBMW

アヘッド バイク

text:伊丹孝裕


バイクのシートにまたがり、エンジンをかけ、スロットルをひねる。その瞬間瞬間に湧き起こる心の昂ぶりを雑誌で表現するという仕事を始めて間もない頃、その誌面を見た先輩編集者から「まだちゃんとカタチにはなってないね。でもやろうとしていることは分かる。だからがんばって」と言われたことがあった。

カタチ、形、容。

それが何気なく口から出たものだったのか、意図的なものだったのかは分からなかったが、その「カタチ」という言い回しが妙に印象に残り、しばらく心のどこかに引っ掛かったままになっていた。

そんなある日、それをスッと飲み込ませてくれた一篇のコラムに出会った。そこにはモノのカタチには良し悪しがあること、とりわけバイクはまずカタチが大切で性能はその次であること、なぜならカタチが良ければ中身もほぼ例外なく素晴らしく、そういうカタチの集合体であるバイクには美学や哲学が宿り、芸術にも成り得ること。

そんなようなことがロックとリーゼントとの関係性、ホンダCR110に搭載されていたエンジンの美しさなどを通して書かれていた。

アヘッド バイク

コラムの書き手は'86年にバイク専門誌『クラブマン』を創刊した初代編集長の小野かつじさん。僕に声を掛けてくれた先輩編集者というのがその創刊メンバーのひとりでもあった池田 伸さん(現『ホットバイクジャパン』編集長)である。

カタチにまつわるそのコラムに触れた時、なんとなく池田さんに言われたことの断片が分かった気がした。

当時の僕は『クラブマン』の編集長になったばかりで、素晴らしい知識と経験に基づくライターの原稿とカメラマンが切り撮ってくれる美しいバイクの写真、それらをより印象的に見せようとレイアウトしてくれる誌面デザイナーのアイデアを持て余し、自分が思い描くクラブマンの理想像の中で上手くバランスさせることができずにいた。

カスタムで言えば、ひとつひとつのブランドは一流なのに目的が異なるパーツを揃えてしまったのと同じ。それを「カタチになってない」という言葉で気づかせてくれたのだと思う。今から十数年前のことである。

俯瞰して見れば、その頃のバイク業界とバイク雑誌そのものも混迷の時代に入っていた。'80年代には熱狂のレースブームがあり、'90年代には国産大排気量モデルのカスタムブームが到来。'00年代に入ってからそれらに取って代わる大きなムーブメントが巻き起こったかと言えば起こらなかった。あるいは作れなかった。

台頭する輸入車メーカーを前にして国産メーカーが右往左往していたのと同様、雑誌自体も迷走し、その真っただ中にいた僕はカッコいいモノだけを追求しようと'80年代に立ち上がった小野さんや池田さんの世代を眩しく、そして羨ましく思い、華飾にまみれた4気筒カスタムで'90年代を荒らした次の世代の無粋さを疎ましく思いながら過ごしていた。

だからといってそれを打破するなにかを思いつかないまま、バイクの世界から徐々に大人の粋や品のようなモノが失われていくのを感じていたのだ。




そんな中、新しいスタイルが徐々に芽生えていることを知った。それがBMWやモト・グッツィ、ドゥカティの中でもごくありふれたモデルをベースに選び、そこに秘められたスポーツバイクの資質を引き出そうとするカフェレーサーの新潮流で、その先駆けになっていたのが横浜のスタンホープ、そして当時は吉祥寺にショップを構えていたリトモ・セレーノだった。

そんなふたつのショップに共通していたのは切り捨てられるモノはすべて切り捨てようとする削ぎ落としの美学であり、'90年代の華飾のスタイルとは真逆。そこに高い美意識を感じた僕はそれぞれのカスタムを積極的に誌面で展開することで新しい流れが加速することを期待したのである。

アヘッド バイク

とりわけリトモ・セレーノの名が広く知られるようになったきっかけが、鮮やかなオレンジ色のカウリングとゼッケン46を纏ったBMWのR80レーサーの存在だろう。

その製作記を『クラブマン』にて連載してもらっていたわけだが、ボロボロの不動車だった車両がいつしか美しいレーサーへと姿を変え、しかも多くのレースで優勝するに至った過程にBMWフリークの多くが溜飲を下げ、BMWというブランドを気にも留めていなかったライダーはそのポテンシャルに目を見張った。

いつしか「オレンジのR80レーサー」はリトモ・セレーノとその代表を務めていた中嶋志朗さんの名刺代わりになり、この数年の人生において急激な転機をももたらしたのである。

予兆は'13年5月にあった。その時、BMWモトラッドのドイツ本社は創業90周年を記念したコンセプト90と呼ばれるモデルを発表。オレンジに彩られたハーフカウルを持つそれは明らかにリトモ・セレーノのR80レーサーを彷彿とさせるもので、実際本社でチーフデザイナーを務めるオラ・ステネガルド氏は「シロウのバイクに影響を受けた」と公の場で認めたのだった。

アヘッド バイク

▶︎写真の車両はBMW R100Sの1976年型がベース。前後フェンダー、ラムエアダクト、シートベース、マフラー、スイングアーム加工によるモノサス化、エンジンのフルオーバーホールまで、塗装とシート製作以外は中嶋氏自身の手による。タンクはヘインリッヒのリプロ品を加工装着。


以来、中嶋さんの人生は目まぐるしさを増していった。それからほどなくリトモ・セレーノの代表を辞し、都内を離れて八ヶ岳で新たなファクトリー「46Works(ヨンロクワークス)」を設立することになるのだが、そこへ今度はBMWジャパンからR nine Tをベースにしたカスタムバイクプロジェクトへの参加オファーが届き、これを快諾。

徹底して走りを追求したクラブマンレース仕様へと変貌を遂げたそれは瞬く間に世界に拡散して話題を集め、さらにはKTMジャパンの依頼でRC8Rをベースにしたショーモデルを完成させると「ベストヨーロピアンモーターサイクル」アワードを受賞するなど、次々と大きな成果を残し続けている。

アヘッド バイク

▶︎写真はスーパースポーツのKTM RC8R(2012年型)をベースにしたカスタム車両。タンク、シートカウル、ラジエターシュラウドは、中嶋氏自らがアルミ板から叩き出したワンオフ品。エキパイの等長とバンク角を考慮したチタン製のマフラーも手曲げと輪切りにしたチタンパイプの溶接によって製作。クラシカルさを醸し出すアルミパイプを使ったシートレールも手曲げで成形されている。


そんな中嶋志朗というビルダーは才能とセンスと運に恵まれた成功者なのだろうか? それに答えを出すなら半分正解で半分は誤りかもしれない。

確かになにかを生み出すスキルとセンスが備わっていることは間違いなく、20代の頃はギタリストとして生計を立てていたかと思えば、その一方でバイクにまつわる技術をどこのショップに勤めることもなくほぼ独学でマスター。エンジンや車体の整備はもちろん、旋盤、溶接、板金に至るすべてをひとりでこなすまでになったというから驚かされる。

誰に師事するわけでも強制されたわけでもないのにそれをひとりでやろうと決め、失敗と経験と研究を重ねて今に至っていることを思えば、器用と言われる裏でどれほどの努力を要してきたのか。それを推し量ることは難しいが、RC8Rの細部を見ればその一端を窺うことはできる。

アヘッド バイク

例えば5枚のアルミ板で構成された燃料タンクの継ぎ目のない滑らかさ、等長になるように取り回し、巧みに溶接されたエキパイの躍動感、見事なアールで叩き出されたアルミのシートカウル、シンプルに整然と左右対称であるべきところはその通りに配されたコードやホース類など、そのカタチに至るまでに掛けられた手間と時間を少し想像すれば、決してそれを才能やセンスのひと言で片付けることなどできない。

いずれにしても、そこに貫かれているのは虚飾の一切を切り捨てていく引き算の手法だ。それは中嶋さんが若かりし頃に傾倒していたジャズにも通じるもので、一小節の中に音を詰め込んでいくハードロックとは対称的に、ジャズの美学は音をいかに間引き、1音に意味を持たせられるか。ある意味、それと同じことをバイクの世界で表現しようとしているのだ。

小さく、軽く、シンプルに。もうこれ以上を削ると正立しないというギリギリまですべてを追い込む機能美のカタチは、同時にスロットルを開けた時の心地よさを追求したピュアな走りのカタチと言ってもいい。今、その世界観に多くのバイクフリークが魅了され、そこに新しい芸術性を見い出しているのである。

アヘッド バイク

中嶋志朗/Shiro Nakajima
1973年埼玉県生まれ。2001年にBMWや、モトグッツィなど’70〜’90年代ヨーロッパ車を扱うカスタムショップ「リトモ・セレーノ」を設立。2014年4月に八ヶ岳南麓に自身のファクトリー、「46ワークス」を立ち上げた。フルオーダーのカスタムバイク製作とメンテナンスを中心に、クラシックカーのパーツ製作などの創作活動を展開している。

-----------------------------------------
text:伊丹孝裕/Takahiro Itami
1971年生まれ。二輪専門誌『クラブマン』の編集長を務めた後にフリーランスのモーターサイクルジャーナリストへ転向。レーシングライダーとしても活動し、これまでマン島TTやパイクスピーク、鈴鹿八耐を始めとする国内外のレースに参戦してきた。国際A級ライダー。

次ページクルマの芸術性を引き出す 「Octane」日本版

関連キーワード

この記事をシェアする

最新記事

アヘッド Car & Motorcycle Magagine ahead archives