伊丹孝裕のリベンジPIKES PEAK(パイクスピーク)への挑戦

アヘッド 伊丹孝裕のリベンジ

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「そういえば、伊丹さん以外は全員表彰台ってことですよね?」 パイクスピークの決勝が終わってひと段落していた頃、現地にいたジャーナリストのひとりからそう言われた。その時までまるで気がついていなかったが、確かにそうなのだ。

text:伊丹孝裕 photo:山下 剛 [aheadアーカイブス vol.142 2014年9月号]
サイドカークラスの渡辺正人&大関政広組は優勝(総合115位)、エキシビションクラスの新井泰緒選手と高野昌浩選手はそれぞれ2位(総合55位)と3位(総合66位)、そしてエレクトリックモディファイドクラスの岸本ヨシヒロ選手は2位(総合104位)。つまり、今年の2輪部門にエントリーしていた僕を除く4組5名の面々は、いずれもそれぞれのクラスで3位以上を獲得していたのである。

オープンクラスに出場していた僕はと言えば、9位。総合では34位(130台中)だったため、タイム的には日本人最速というわずかな慰めは残されていた。とはいえ、このページに掲げている「日本人初表彰台を目指せ!」というタイトルの結末を、寄りによって僕以外の全員にかっさらわれるというあまりの皮肉さに「こんなことってあるんだなぁ」と、ただそう思うより他なかった。
「山をリスペクトしなさい」昨年同様、今年もこの言葉を様々なシーンで聞いた。山への感謝、山への謙虚さ。そういう心の持ち様が、時にレースの結果を左右することがある。そう解釈している。

ただし、それもやるべきことをすべてやり終えてレースに臨んでいることが大前提であり、最善を尽くしてグリッドに立った者だけがすがれる心の拠りどころのようなものだとも思う。にもかかわらず、今年の僕はそこに至るプロセスで妥協してしまった。というのも、本来エンジンに備えておくべきマッピングの調整システムがどうしても間に合わず、致し方なく簡略化。要するに準備不足が招いた身から出た錆なのだが、それでも「なんとかなる」と考え、現地に臨んでいたのだ。

しかし、標高4300mに達する高地では薄い酸素濃度に対してインジェクションの補正が追いつかず、終始パワー不足に悩まされることになった。当然それはタイムに直接影響し、初挑戦となった昨年の予選タイムも更新できないまま決勝のスタートを切ることになったのだ。

無論誰のせいでもない。心身の状態もさることながら、まずは物理的な用意を徹底して挑む、その姿勢こそが山へのリスペクトに他ならなかったはず。そんな至極当たり前のことを痛感させられたのである。

それでも救いはチェッカーを受け、ひとまずリザルトを残せたことだ。タイムは10分58秒580。スタート早々クラッシュし、なんのデータも残せなかった昨年とは違い、来年に向けてなにをすべきか、なにが必要か。それらすべてをこのタイムや区間タイムに照らし合わせ、短縮するための手段を積み重ねていけることの意味は大きい。

今のモチベーションはタイムをあと1分短縮することにある。なぜなら、パイクスピークには決勝タイムの10分切りに成功したライダーとドライバーの功績を称える「ナイン・ミニッツ・クラブ」というものがあり、その仲間入りを果たしたいと思っているからだ。
この数年、こうしてモータースポーツの一端に身を置くことができている。それは同時に、「果たして自分の活動が誰かのために役に立っているのだろうか」と、そんな自問自答にもつながっていた。実際、バイクに乗ることやレースを続けることにどんな意味があるのか? と問われれば、今も答えに窮するからだ。

ただひとつ言えることは、バイクとモータースポーツは43歳になろうしている僕に、いまだ伸びしろを与えてくれているのも確かだ。コンマ1秒でも速く。それ自体は取るに足りないことでも前回より速いのなら自分の限界が少し広がったということ。自分の可能性をあきらめなくていいということ。レースの継続はそれを教えてくれるのだ。

それにマン島TTを目指して走り始めた頃はひとりで何かに立ち向かっているような気分だったが、今は共感してくれる人がひとり、またひとりと増え、様々な形で活動をサポートしてもらえるようになった。そして、その輪がどんどん広がっていることも実感している。車体に貼られているステッカーはそのひとつであり、誰かになにかを託されていると思えるからこそ僕は走れるのだ。

この目を通して伝えるモータースポーツの一片が後押しとなり、バイクの世界に魅力を感じてくれる人がいたならうれしい。あるいは誰かの心に火を点け、なにかに挑戦するきっかけになったならそれ以上の歓びはない。

僕はこの素晴らしい世界の可能性を信じている。だからこそ来年もまたパイクスピークの山頂に立ち、そこで見て感じたものを綴りたい。
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text:伊丹孝裕/Takahiro Itami
1971年生まれ。二輪専門誌『クラブマン』の編集長を務めた後にフリーランスのモーターサイクルジャーナリストへ転向。レーシングライダーとしても活動し、これまでマン島TTやパイクスピーク、鈴鹿八耐を始めとする国内外のレースに参戦してきた。国際A級ライダー。
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