特集 Bow。クルマとバイクと、そして絵と

その時の心地良さを絵にしたい。

text:まるも亜希子 photo:桜間 潤

アヘッド 池田和弘さん

細い路地を折れ、坂道を下って歩いていくと、シャッターが少しあがって丸い目玉がふたつのぞいていた。2階建てのその建物は、Bowさんこと池田和弘さんのガレージ兼アトリエである。なとど書くと「そんなカッコいいもんじゃない、仕事小屋だよ」と訂正が入るだろう。『カーグラフィック』『カーマガジン』『クラブマン』『KAZI』といった著名なメディアや、広告などを手掛けるアーティストでありながら、自らを「絵描き」だと言うのがBowさんである。

シャッターからのぞく丸い目玉の持ち主は、しばしばBowさんのエッセイに登場する愛車、トライアンフTR-3Aだった。そして隣にはグリーンのストライプが入ったロータス47GTが。隅の方にかろうじて立っているのは、ノートン・コマンド・プロダクションレーサーである。壁際にはピアノがあり、山と積まれるジグソーパズルの箱、ヘルメット、ステアリング、タイヤ、そしていつの間にか集まったというハンバーガーのミニチュアが、クルマを囲むようにゴチャッと存在している。でも、そのひとつひとつにどこかBowさんの愛情が感じられる空間だ。

Bowさんの絵が好きだという人に理由を聞くと、ほぼ全ての人が「温かみがある」「ストーリーがある」「共感できる」と答える。例えばライダーを描いた絵は、ライディングの癖など、本当にそのライダーを理解していなければ描けないという。動かないはずのその絵が、写真よりも動画よりも、強く本物感を伝えてくる。音や匂いが甦ることさえあるのがBowさんの絵なのだ。

Bowさんは、1946年生まれ。幼い頃、甲州街道は進駐軍が乗ったアメ車がひっきりなしに通っていた。大きく豪華なアメ車は憧れの的で、クルマ好きだった父親から名前を教わり、クラスの友達と描いた絵を見せ合った。中学生になると、『モーターマガジン』や自動車年鑑を買ってさらにクルマに興味を持つようになる。朝は父親が出かける前に、Bowさんが暖気運転をしていたという。

いつしかBowさんは、ピニンファリーナやミケロッティといったクルマのデザイナーに憧れるようになる。しかし、どうしたらなれるのか分からない。自動車関係なら工業高校だろうと入学してみたが、そこはクルマの製造技術を学ぶ場だった。

「自動車デザイナーになりたいと言っても、なんだそれって誰も分かってくれないんだよ。親には学校辞めたら勘当だって言われてたからさ。だから不良になっちゃった。違うなと思いながらも毎日悶々としてケンカばっかりしてたな」。

そんなある日、Bowさんはテストの答案用紙を全て白紙で出すという暴挙に出た。落第すれば辞められると思ったからだ。そして思惑通りに高校を中退したあと、当時のファッション界をリードする長沢 節が創設した、「セツ・モードセミナー」に通いはじめる。ここがBowさんの人生にとって大きな転機になった。

「高校では誰も分かってくれない、家じゃ親に怒られる。そんな僕を、何も言わずに受け容れてくれた場所だったね。みんな年上だったから可愛がってくれて、居場所を見つけられたと思えたよ。それに、運良く穂積和夫先生がいてね。穂積先生はクルマ好きで、ファッションだけじゃなくてクルマの絵も描いてたんだ」。

セツ・モードセミナーでは、1日数時間ひたすらクロッキー(速写画)を繰り返す毎日だったが、終わってから節先生のもとに集まり、パリや映画やいろいろな話を聞くのが楽しみだった。そこには当時の流行や文化の最先端があった。ファッションデザイナーやイラストレーターを目指していた仲間たちと一緒にいたことで、カッコいいものを描くということ、そしてそのためのモノの見かた、感じ方を学んだのだとBowさんは振り返る。ペンネームのBowも、その当時に「ボーっとしてるから」と友人につけられたニックネームだ。

そしてファッションの絵を描きつつもクルマの絵を描きたいと思っていたBowさんは、自らの絵を携えて『カーグラフィック』に売り込みに出掛けた。小林彰太郎さんや大川悠さんが見てくれて、すぐに「じゃ、来月から描いてよ」と連載が決まったという。「毎月好きなクルマの絵を描かせてもらえるなんて幸せだよね」とBowさん。これが、クルマの絵描きとしてのスタートだった。

1979年に創刊した『カーマガジン』は、1号からずっとBowさんの絵が表紙を飾り続けている。

「車種の指定くらいでほとんど注文はないの。だから、このクルマだったらどこ行くかな、どんな人が乗るかな、なんてのを一生懸命考える。例えば、これは秋に出る号だから高原へ行くといいかなぁ。女性が運転してるクルマにしようかなぁ。どこかにちょっと、イタリアっぽい感じがあるといいなぁ。なんてイメージしながら、ボーっと写真を見たり、ピアノを弾いてみたり。でも頭の中ではずっと考えてるんだよね。そうしてるうちに構図が浮かんでくるんだけど、もう、何日も掛かるよ」。

こうしたイメージを膨らませる要素には、幼い頃から培ってきたクルマの知識や体験が、総動員されていることは間違いない。愛車でクラシックレースに参加する時でさえ、Bowさんの目線はプロの絵描きだ。

「ノートンで筑波とか走ってると、後ろからゴールドスターとかが並んできて抜いていくわけ。倒れ込みながらも、そのマシンの挙動とか、草がバーッと流れる光景とかを見ちゃうんだよね。ロータスでもてぎを走った時なんて、後ろから佐藤琢磨がF1で抜いていってくれてさ。釘付けだよ。ノートンやロータスは、最高の観客席なんだ。そういう体験を心や瞼に残しておいて絵を描くんだ」。

描き始めたスケッチは、ラフの段階で少し色を置いてみる。そしてクルマの向きなどすべてが決まると本格的に色を入れていく。筆は何十種類も使い分けるが、好んで使うのはナイロンの安い筆だ。値段ではなく自分に合っているかどうかが大事だという。色を入れている間は、山のように写真が散乱し、メッキやガラスやタイヤなどの質感を頭の中に叩き込んでひとつひとつを思いを込めながら描いていく。そこから完成まで『カーマガジン』の表紙で5日はかかる。さぞかし細かい作業が好きなのだろうと思いきや、「実は緻密な絵を描くって性格的に向いてないんだよね。なんでこれが商売になっちゃったんだろうっていつも思ってる。だけど、自分が生きていることで、誰かに喜んでもらえてるってことが、生きている権利になるんじゃないかな。一生懸命やるのは、そう思うからなんだよ」と柔らかな表情を見せた。

「昔、『カーマガジン』に読者から手紙がきてね。その人は『カーマガジン』を本屋に買いに行って、レジのおばあちゃんに〝あんたもこの本好きなの? あたしもね、クルマなんてわかんないんだけど、この表紙の絵が毎月楽しみなんだよ〟と言われたっていうの。これはもう、僕にとって最高の褒め言葉だったよね。ひとりでも楽しみにしてくれている人がいる間は頑張ろうって思いながら40年くらい続けてるんだ。だからいつも描いてて、あのおばあちゃんに〝なんか最近つまんない〟とか言われたらハズかしいよなって考えると手が抜けないの。会ったこともないおばあちゃんなんだけどね」。

Bowさんの絵が、どこか温かさや優しさ、懐かしさを伝え、見る人を惹きつける力を持つ理由が、少し分かった気がした。Bowさんの絵にしかできないことがある。テクニックを見せつけるのでも、描いたシーンを押し付けるのでもない。

「絵を見た人がそれぞれに、何かを想ってくれればいい。それぞれの思い出のスイッチになってもらえればいい」。Bowさんは、哲学みたいなこと言うのいやなんだけどと照れる。

写真や動画があふれる現代でも、人の傍らにクルマやバイクがあり、心を寄せている限り、絵でしかたどり着けない世界が確実にあるのだ。

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text:まるも亜希子/Akiko Marumo
エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集者を経て、カーライフジャーナリストとして独立。ファミリーや女性に対するクルマの魅力解説には定評があり、雑誌やWeb、トークショーなど幅広い分野で活躍中。国際ラリーや国内耐久レースなどモータースポーツにも参戦している。

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