特集 Bow。クルマとバイクと、そして絵と

アヘッド 池田和弘さん

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「カーグラフィック」や「カーマガジン」、「サイクルワールド」や「クラブマン」。クルマ、バイクの専門誌にとどまらず、ホンダやマツダ、スバルなどの広告も手掛け、ヨットとボートの専門誌「KAZI」にも連載を持つBow。こと池田和弘さん。今回は、彼の描く世界に憧れた人たちのための特集です。

text:まるも亜希子、嶋田智之 photo:長谷川徹、桜間 潤 [aheadアーカイブス vol.115 2012年6月号]
Chapter
その時の心地良さを絵にしたい。
Bow。さんは “あの頃”のままです。

その時の心地良さを絵にしたい。

text:まるも亜希子 photo:桜間 潤
細い路地を折れ、坂道を下って歩いていくと、シャッターが少しあがって丸い目玉がふたつのぞいていた。2階建てのその建物は、Bowさんこと池田和弘さんのガレージ兼アトリエである。なとど書くと「そんなカッコいいもんじゃない、仕事小屋だよ」と訂正が入るだろう。『カーグラフィック』『カーマガジン』『クラブマン』『KAZI』といった著名なメディアや、広告などを手掛けるアーティストでありながら、自らを「絵描き」だと言うのがBowさんである。

シャッターからのぞく丸い目玉の持ち主は、しばしばBowさんのエッセイに登場する愛車、トライアンフTR-3Aだった。そして隣にはグリーンのストライプが入ったロータス47GTが。隅の方にかろうじて立っているのは、ノートン・コマンド・プロダクションレーサーである。壁際にはピアノがあり、山と積まれるジグソーパズルの箱、ヘルメット、ステアリング、タイヤ、そしていつの間にか集まったというハンバーガーのミニチュアが、クルマを囲むようにゴチャッと存在している。でも、そのひとつひとつにどこかBowさんの愛情が感じられる空間だ。

Bowさんの絵が好きだという人に理由を聞くと、ほぼ全ての人が「温かみがある」「ストーリーがある」「共感できる」と答える。例えばライダーを描いた絵は、ライディングの癖など、本当にそのライダーを理解していなければ描けないという。動かないはずのその絵が、写真よりも動画よりも、強く本物感を伝えてくる。音や匂いが甦ることさえあるのがBowさんの絵なのだ。

Bowさんは、1946年生まれ。幼い頃、甲州街道は進駐軍が乗ったアメ車がひっきりなしに通っていた。大きく豪華なアメ車は憧れの的で、クルマ好きだった父親から名前を教わり、クラスの友達と描いた絵を見せ合った。中学生になると、『モーターマガジン』や自動車年鑑を買ってさらにクルマに興味を持つようになる。朝は父親が出かける前に、Bowさんが暖気運転をしていたという。

いつしかBowさんは、ピニンファリーナやミケロッティといったクルマのデザイナーに憧れるようになる。しかし、どうしたらなれるのか分からない。自動車関係なら工業高校だろうと入学してみたが、そこはクルマの製造技術を学ぶ場だった。

「自動車デザイナーになりたいと言っても、なんだそれって誰も分かってくれないんだよ。親には学校辞めたら勘当だって言われてたからさ。だから不良になっちゃった。違うなと思いながらも毎日悶々としてケンカばっかりしてたな」。

そんなある日、Bowさんはテストの答案用紙を全て白紙で出すという暴挙に出た。落第すれば辞められると思ったからだ。そして思惑通りに高校を中退したあと、当時のファッション界をリードする長沢 節が創設した、「セツ・モードセミナー」に通いはじめる。ここがBowさんの人生にとって大きな転機になった。
「高校では誰も分かってくれない、家じゃ親に怒られる。そんな僕を、何も言わずに受け容れてくれた場所だったね。みんな年上だったから可愛がってくれて、居場所を見つけられたと思えたよ。それに、運良く穂積和夫先生がいてね。穂積先生はクルマ好きで、ファッションだけじゃなくてクルマの絵も描いてたんだ」。

セツ・モードセミナーでは、1日数時間ひたすらクロッキー(速写画)を繰り返す毎日だったが、終わってから節先生のもとに集まり、パリや映画やいろいろな話を聞くのが楽しみだった。そこには当時の流行や文化の最先端があった。ファッションデザイナーやイラストレーターを目指していた仲間たちと一緒にいたことで、カッコいいものを描くということ、そしてそのためのモノの見かた、感じ方を学んだのだとBowさんは振り返る。ペンネームのBowも、その当時に「ボーっとしてるから」と友人につけられたニックネームだ。

そしてファッションの絵を描きつつもクルマの絵を描きたいと思っていたBowさんは、自らの絵を携えて『カーグラフィック』に売り込みに出掛けた。小林彰太郎さんや大川悠さんが見てくれて、すぐに「じゃ、来月から描いてよ」と連載が決まったという。「毎月好きなクルマの絵を描かせてもらえるなんて幸せだよね」とBowさん。これが、クルマの絵描きとしてのスタートだった。

1979年に創刊した『カーマガジン』は、1号からずっとBowさんの絵が表紙を飾り続けている。

「車種の指定くらいでほとんど注文はないの。だから、このクルマだったらどこ行くかな、どんな人が乗るかな、なんてのを一生懸命考える。例えば、これは秋に出る号だから高原へ行くといいかなぁ。女性が運転してるクルマにしようかなぁ。どこかにちょっと、イタリアっぽい感じがあるといいなぁ。なんてイメージしながら、ボーっと写真を見たり、ピアノを弾いてみたり。でも頭の中ではずっと考えてるんだよね。そうしてるうちに構図が浮かんでくるんだけど、もう、何日も掛かるよ」。

こうしたイメージを膨らませる要素には、幼い頃から培ってきたクルマの知識や体験が、総動員されていることは間違いない。愛車でクラシックレースに参加する時でさえ、Bowさんの目線はプロの絵描きだ。

「ノートンで筑波とか走ってると、後ろからゴールドスターとかが並んできて抜いていくわけ。倒れ込みながらも、そのマシンの挙動とか、草がバーッと流れる光景とかを見ちゃうんだよね。ロータスでもてぎを走った時なんて、後ろから佐藤琢磨がF1で抜いていってくれてさ。釘付けだよ。ノートンやロータスは、最高の観客席なんだ。そういう体験を心や瞼に残しておいて絵を描くんだ」。

描き始めたスケッチは、ラフの段階で少し色を置いてみる。そしてクルマの向きなどすべてが決まると本格的に色を入れていく。筆は何十種類も使い分けるが、好んで使うのはナイロンの安い筆だ。値段ではなく自分に合っているかどうかが大事だという。色を入れている間は、山のように写真が散乱し、メッキやガラスやタイヤなどの質感を頭の中に叩き込んでひとつひとつを思いを込めながら描いていく。そこから完成まで『カーマガジン』の表紙で5日はかかる。さぞかし細かい作業が好きなのだろうと思いきや、「実は緻密な絵を描くって性格的に向いてないんだよね。なんでこれが商売になっちゃったんだろうっていつも思ってる。だけど、自分が生きていることで、誰かに喜んでもらえてるってことが、生きている権利になるんじゃないかな。一生懸命やるのは、そう思うからなんだよ」と柔らかな表情を見せた。

「昔、『カーマガジン』に読者から手紙がきてね。その人は『カーマガジン』を本屋に買いに行って、レジのおばあちゃんに〝あんたもこの本好きなの? あたしもね、クルマなんてわかんないんだけど、この表紙の絵が毎月楽しみなんだよ〟と言われたっていうの。これはもう、僕にとって最高の褒め言葉だったよね。ひとりでも楽しみにしてくれている人がいる間は頑張ろうって思いながら40年くらい続けてるんだ。だからいつも描いてて、あのおばあちゃんに〝なんか最近つまんない〟とか言われたらハズかしいよなって考えると手が抜けないの。会ったこともないおばあちゃんなんだけどね」。
Bowさんの絵が、どこか温かさや優しさ、懐かしさを伝え、見る人を惹きつける力を持つ理由が、少し分かった気がした。Bowさんの絵にしかできないことがある。テクニックを見せつけるのでも、描いたシーンを押し付けるのでもない。

「絵を見た人がそれぞれに、何かを想ってくれればいい。それぞれの思い出のスイッチになってもらえればいい」。Bowさんは、哲学みたいなこと言うのいやなんだけどと照れる。

写真や動画があふれる現代でも、人の傍らにクルマやバイクがあり、心を寄せている限り、絵でしかたどり着けない世界が確実にあるのだ。

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text:まるも亜希子/Akiko Marumo
エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集者を経て、カーライフジャーナリストとして独立。ファミリーや女性に対するクルマの魅力解説には定評があり、雑誌やWeb、トークショーなど幅広い分野で活躍中。国際ラリーや国内耐久レースなどモータースポーツにも参戦している。

Bow。さんは “あの頃”のままです。

text:嶋田智之 photo:桜間 潤
それがいつのことだったのかハッキリと覚えてはいないのだけど、僕がまだスクランブル・カー・マガジン(現カー・マガジン)の編集部で下っ端として小突かれはじめて1年も経ってないときだから、おそらく22歳。今から25年ほど前のことだろうと思う。

デスクから使いっ走りを命じられ、マニアックなスタッフ揃いの編集部の中でも極めつけだったデスクが英国から買ってきた、他の誰もこんなモノ持ってないだろうなと思えるような分厚い洋書を、資料としてお届けしにいったのだった。

憧れて辿り着いてやっと関われるようになったばかりの雑誌の、その表紙絵を描いている方に初めてお会いする。しかも、これまで御本人にもお話ししたことはなかったが、その雑誌を初めて手にしたキッカケは、それまで一度も見たことのないような、それでいてどこか懐かしいような、何ともいえない光と空気を二次元の中に広げていた、その方の描いたクルマのある風景だったのだ。

めちゃめちゃに緊張した。後になってそうした言い方を御本人が少しも喜ばれないことを知ることになるのだが、当時、40歳そこそこにしてすでに大御所と目され、クルマ好き達の中に数多のファンを抱えたスターであり、僕にしてみればようやく関われるようになった雑誌の売上を大きく左右する〝顔〟を創造する偉い人である。

そういえば瞬間着火装置付きの爆弾みたいだった編集長ですら、かなりの敬意を抱いている。粗相あらば自分の自動車雑誌編集者としての未来はない。

ドキドキしながら、そのネームバリューからすればだいぶ庶民的な雰囲気のアトリエの扉をノックする。

見上げるばかりの長身。蜘蛛のように長い手足。その上にある無精髭と、穏やかな眼差しに柔和な笑顔。

「やあ。いらっしゃい。キミがシマダくん? どうぞ。さぁ入って」。

まるで旧知の友達でも迎えるかのように自然な仕草と言葉。御挨拶して洋書を渡したら即おするものだと考えていたのに、つい招き入れられてしまう。魔法の世界を生み出すはずの作業台の上、そして書棚のひとつひとつには、無数の書籍や雑誌、モデルカー、それに何のモノやら想像もつかないパーツ類が、本人にだけ判る法則で雑然と並べられている。

「ん? 何か珍しいものでもある? キミはどんなクルマが好きなの?」

2分で終わった用件の後のひと言めがそれ。そこから、ついうっかり2時間近くもクルマ談義に興じてしまった。というか、僕の話に楽しそうに耳を傾けてくださり、仲間との雑談のようにさり気なく色々なことを教えてくださった、が正しいか。
──僕の想い出話? そうなのだけど、そうじゃない。一度でもお会いしたことがある人はニヤリとして頷いてくれると思うが、これがそのままBowさんの人物像なのだ。

その初対面の日から今日の今日まで、Bowさんは全く変わらない。僕の方の関わる雑誌が変わり、仕事の上では断続的にお世話になりつつ、ヒストリックカーのサーキットイベントでバッタリお会いしたりしつつ、四半世紀。先日、だいぶ久しぶりにお会いしたときにもビックリしたのだけど、まるであの頃のままなのだ。

どこまでも自然体で、伸びやかで、穏やかで、フラットで、温かくて、ほどよくまっすぐで、押し付けがましさも偉ぶったふうも微塵もない。クルマとオートバイが大好きで、その周りにあることが大好きで、クルマとオートバイが大好きな人のことが大好きで、美しいものが大好き。

そして、僕のようなシロートが恐縮ながら、そうしたすべてがそのまままるごと、描かれる絵に表れてるのだと思う。Bowさんを知る僕の周りの人達ほぼ全員の共通認識だから、きっとそれは間違ってないのだろう。Bowさんの描く絵は、Bowさん御自身の分身なのである。

Bowさんの絵の何より素晴らしいと僕が感じてるところは、1枚1枚が紛れもなく〝ひとつの世界〟を創造しているところだ。イラストというよりも絵画なのだと思う。

──あれ? この2CVのここ、少し凹んでないか? 凹ましたばかりで直してないけど、どうしてもデートに乗って出たかったから走ってきたっていう感じ。でも、持ち主はきっと大好きなんだろうな、このクルマのこと。そんな雰囲気あるもん。

観ているそばから頭や心の中で自然にストーリーが広がっていくような。観る人の数だけ幸せなストーリーが生まれて育っていくような。

僕達は自由にそのストーリーの中に遊ぶことができる。しかも、Bowさんが描いた絵の数だけ世界があり、シチュエーションがある。Bowさんの絵は、深く広く明るい夢の世界への美しい入り口なのである。

だから僕は、タペストリーだとかポストカードだとかカレンダーだとか、プレゼントで贈られたものもあれば買ったものもあるけど、ときどき引っ張りだしてたっぷり楽しませてもらうことはあるものの、基本的には目に入るところには飾っていない。もったいないなぁと感じるのも確かだけど…仕事にならないから。

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嶋田智之/Tomoyuki Shimada
1964年生まれ。エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集長を長年にわたって務め、総編集長として『ROSSO』のフルリニューアルを果たした後、独立。現在は自動車ライター&エディターとして活躍。
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