性同一性障害を乗り越えて FIMから表彰されたレジェンドライダー 井形とも

性同一性障害を乗り越えて FIMから表彰されたレジェンドライダー 井形とも

アヘッド 井形とも

2016年は日本GPを含む5戦を制したスペイン人のマルク・マルケスが3度目の年間チャンピオンに輝いた。が、全19戦で優勝したライダーは実に9名。特に昨年はレギュレーションの変更によって誰が勝ってもおかしくないレースが続いた。

そのモトGPをはじめ、FIM(国際モーターサイクリズム連盟)が主催するレースの年間チャンピオンを表彰するセレモニーが、2016年11月27日、ドイツのベルリンで開催された。

FIM主催のレースには、前述のモトGPに代表されるロードレースだけでなく、モトクロス、エンデューロ、スノーモビルなどのカテゴリがあり、表彰式の会場には溢れんばかりの関係者が集まった。

前述のマルケスをはじめ、モト2クラスの覇者であるフランス人のヨハン・ザルコ、モト3クラスを若干21歳で制した南アフリカ人のブラッド・ビンダーなど、世界中のトップライダーが居並ぶ受賞者リストに、ひとりの日本人が名を連ねていた。

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井形とも。「FIMウーマンズ・レジェンド・ライダー」を受賞したからだ。「レジェンド・ライダー」とは、過去にモータースポーツに貢献したライダーに贈られる賞。往年のレースシーンをわかせたケニー・ロバーツやケビン・シュワンツも、その名を刻んだプライズだ。ウーマンズはその女性版というわけである。いわずもがな日本人ライダーとして初の快挙だ。

いわば「伝説」となった井形の活躍は、約20年前にさかのぼる。'85年、20歳でロードレースデビュー。その3年後には、女性4人目となる国際A級に昇格。'91年、全日本選手権125ccクラス年間ランキング6位の成績により、翌年に日本で開催される世界選手権・鈴鹿大会の出場権を得て、日本人女性初のスポット参戦。そして、'94~'95

年には何と世界選手権GP125にフル参戦を果たしている。その間にチェコGPでの最高位7位を含む、シングルフィニッシュ2回。昨年の、岡崎静香選手の日本GPスポット参戦は、井形以来、実に21年ぶりとなり話題になったが、井形の「日本人女性初」というタイトルは、今も消えていない。

また、世界選手権ロードレースに参戦した女性ライダーの歴史において、井形が残した最高位7位と年間獲得ポイント数は現在も破られていない。彼女は紛れもなく、世界のトップライダーのひとりであった。

「7位を取った時のこと? はっきり覚えてますよ。6位入賞を逃したのは悔しかったけど、チェッカーを受けた時は『ヤッター!』と、素直に嬉しかったです」

日に焼けた顔に皺が浮かぶことも気にせず、まるで少年のような笑顔でバンザイのポーズをして見せながら、井形は当時を懐かしんだ。

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そうした功績に対する受賞の打診として、FIMから連絡があったのは昨年の5月。

「びっくりしました。何かやらかしたか、と。20年前のペナルティーを今さら取られる、なんて話だったらどうしようと…」

それがレジェンド受賞の話だとわかった時、井形に降りてきたのは、喜びとは違う感情だった。

「確かに女性ライダーは私ひとりでしたが、男女混走のレースの世界で育ってきた私にとって、多くのライダーの中のひとりという感覚。私より速く走り活躍していたライダーは他にたくさんいた。それを女性ということで特別に表彰されることに躊躇いがありました」

女性のモータースポーツ振興も積極的に支援している現在のFIM主催レースでは、主にオフロードで女性だけのカテゴリも設定されている。だがサーキットレースは、当時も今も男女混走だ。

「体格や筋力の男女差があっても、バイクという道具を使うことで、他の競技よりもハンディを補えるんです。男女一緒にヨーイドン!と走って、男でも女でも一番始めにチェッカーをうけた者が勝ち、という単純明快さも魅力でした」 戸惑いの理由はもうひとつ。井形の心と身体にあった。レース引退後に認識し、理解し、治療に至った自身の性同一性障害がそれである。

「当時は自分の障害を知らなかったとはいえ、現在は認識している私が受賞して良いものかと悩みました。私の障害については、昔のレース関係者の中には知らない人も多いと思いますし、FIMとしてもウーマンとつくからには、やはり華やかなドレスを着た女性らしい姿の登場を期待しているのではなどと、色々考えてしまって…」

それでも授賞式に参加するためにベルリン行きの飛行機に乗ったのは、FIM女性委員であるモリワキエンジニアリングの森脇 緑さんの励ましと周囲の力強い支えがあったから。

森脇氏からは「今がどうであれ、女性ライダーが何ひとつ優位なことのなかった当時の競技の世界で素晴らしい結果を残したのだから、胸を張って行くべき」というメッセージをもらったという。

性同一性障害は、身体の性別を心の性別に合わせる治療が一般的だ。'09年から男性ホルモン投与の治療を受け始めた井形は、あらためて男女の身体の差を実感する。

「当時は筋トレにも励んでいましたが、当然ながら他の選手のような筋力はつきませんでした。125ccという小排気量車ながら最高速度が240キロも出るこのクラスでは、体重が直線スピードに影響するので、筋トレによって体重が重くなることを嫌う人もいます。筋力があれば速く走れるわけではないんです。

でも今考えればブレーキング競争や左右の切り替えしでは筋力差で劣っていたことは否めません。現役当時は苦労した筋力アップでしたが、ホルモン治療を始めたら、何もしなくても体つきが変化し筋肉がついて驚きました。

生まれつきの男性の筋力からは程遠いかもしれませんが、男女の差を身をもって感じました」 かつては確かに女性の身体でレースに参戦していた。だったら真摯に誠実に、「ウーマン」のための賞を受け取ろう。そう思うに至ったと話す。

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この、治療の過程で得た男女の性差に対する実感は、筋力をベースとした物理的なパワーの違いにとどまらないのだと井形は言う。俊敏さ。頑張りきれる精神力。恐怖感へのハードルの高さ。そうした違いを肌で理解できたことは、現在の活動にも大いに役立っている、と付け加えた。

'98年にレースを引退した井形は、参戦中から加わっていた「チームマリ」の活動に取り組んできた。チームマリとは、日本人女性2人目の国際A級ライダーとしてロードレースで活躍していた井形の姉、井形マリが発足させた団体だ。

女性ライダーの育成を大きな柱とし、全国各地で主に女性インストラクターによる女性ライダーのためのスクールなどを開催している。現在は姉からバトンを受け継ぎ、代表として井形が率いている。

「男と女は、身体も心も別もの。たいていの男性は見よう見まねでも何とかバイクに乗れるようになってしまうもの。ちょっとバランスを崩しても、判断の俊敏さや、立て直せるだけの腕力があるので、リカバーできるんですね。だから女性がバイクに乗りたいのなら、腕力や体力に頼らずに乗るためのコツを得ておく必要があるんです」

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チームマリは、それを研究し、レッスンに反映しているのだ。

「駐輪から取り回しまですべて男性にやってもらうような、上げ膳据え膳の姫ツーリング、大いにけっこう。事故もケガもなく、楽しく乗ることに意味があるんです。それに男は頼られたら頑張るようにできてるんだから、そこ、活用してあげたらいいじゃないですか」

女性と男性の狭間で生きる井形の言葉には、絶妙な説得力がある。

「けれどどんなお姫様も、集合場所までは一人で行くでしょう? 走行中にバイクを操作できるのは、自分しかいない。だからどんな女性も、事故を起こさない、自分も相手も怪我をしない。そして何より、自分でバイクを操る楽しさを味わえるようにテクニックを身につけましょう、というのがチームマリの理念です」と語る。

「意義のある活動と思っています。必要としている女性がたくさんいます。レッスンを受けたからバイクを手放さずに済んだ方、ケガや事故をせずに済んでいる方、もっと言えば死なずに済んだ方も。今後もずっと続けていきたいですね」


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ガラセレモニー形式で行われたFIM表彰式のドレスコードは、ブラックタイ。タキシード姿の男性と、イブニングドレスを身にまとった女性で華やぐ会場の中、名前を呼ばれた井形はゆっくりと登壇した。称賛の拍手に、片手を上げて応えながら。

かつてはウーマンとしてレースに挑み、レジェンドとして称えられるべき活躍をした井形ともが、授賞式にふさわしいとして選んだ服は、細身の体にぴったり合った黒のパンツスーツ。その胸元には、まるでリボンのようにふんわりとしたシャツの襟元が、真っ白に揺れていた。しなやかに。鮮やかに。

井形とも/Tomo Igata

アヘッド 井形とも


1965年10月30日、東京生まれ。チームマリ代表。 日本ロードレース界において4人目の女性国際A級ライダーであり、全日本選手権で上位の結果を残して、日本人女性として唯一、世界選手権フル出場を果たした元グランプリレーサー。

2010年に、実姉で同じロードレーサーの井形マリの後を引き継ぎ、チームマリの代表に就任。世界GP参戦の経歴に加え、長年培った女性ライダーへの指導経験を活かし、女性ライダーへの安全運転普及活動と、二輪車の女性指導者の育成・指導をライフワークとする。

2008年には女性ライダーへの指導の貢献に対し「MFJ功労賞」を受賞。また2016年11月、FIMウーマンズ・レジェンド・ライダー賞を受賞した。2017年度もチームマリ モーターサイクルレッスンは開催されている。詳しくはHPヘ。www.t-mari.net

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text:岡小百合/Sayuri Oka
大学卒業と同時に二玄社に入社。自動車雑誌『NAVI』で編集者として活躍。長女出産を機にフリーランスに。現在は主に自動車にまつわるテーマで執筆活動を行っている。愛車はアルファロメオ・147(MT)。40代後半にして一念発起し、二輪免許を取得した。

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