イタリア車を考える vol.2「快」編

イタリア車を考える vol.2「快」編

アヘッド イタリア車

いや、イタリアは元々が都市国家で、19世紀半ばにイタリア王国として統一されるまでは小さな国々が複雑な歴史を辿りながら戦ったり同盟を結んだりを繰り返してきたわけで、今もその名残りか地方ごとに文化や風習などが結構異なってたりするし、北と南では気候も歴史的背景も大きく異なることから基本的な気質も違ってはいる。

ある知り合いのイタリア人からは「皆が皆、楽天的で暢気だなんて思わないでくれ。よく働くイタリア人だって時間を守るイタリア人だって神経質なイタリア人だっているんだ」といわれて〝そりゃそうだろうな〟と納得もした。

でも、これまで20回近く現地に行き、イタリア人達と仕事を通じて接してきた経験の範囲内で述べるなら、まぁ、大筋、そうハズレてはいないんじゃないかなぁ……と思う。出逢ったイタリア人それぞれから、基本的な性質としてのそうした一面(もしくは全部)を感じ取れることが多かったからだ。何だかとても人間的なのである。

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とりわけ〝ストレート〟で〝楽しむことに長けてる〟ところ辺りは、クルマとのつきあい方にも反映されてるようなところがある。

信号が変わった瞬間に全開で加速していくフィアットに乗ったじいさん、みたいな光景はどこの街でも当たり前のように見掛けるし、田舎町のラウンドアバウトに〝あっ、ヤバイ!〟と思えるオーバースピードで飛び込んできて、多少ヨタつきながらも自然にカウンターステアをあてて抜けていったおばちゃんに唖然とさせられたこともあった。

山越えの道ではいつの間にか追いついてきた若い女の子にピタリと背後を取られ、少しペースを上げたけど不満だったようで、視界が開けた途端にプオーンと追い越しにかかられたこともある。

こっちが260psのアルファ・ロメオで、彼女はたった60‌psの小さなランチアだったのに……。押し並べてドライビングには活気があり、総体的には運転が巧み。一事が万事じゃないのは百も千も承知だが、そうした印象がとにかく強い。

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10年近く前、あるイタリアン・ブランドの国際試乗会で現地に行き、エンジニア氏と話してたときの彼のセリフが忘れられない。

「イタリア人はみんなクルマが好きなんだ。でも、走って楽しかったり気持ちよかったりするクルマじゃないと、彼ら全員にあっさり見捨てられちゃうんだよね」

なんとなく解っていたけど、やっぱそういうことか、と思ったものだ。

イタリアが誇るスーパーカーだとか、あるいはスポーツカーは当然だけど、イタリア生まれのクルマには、たとえ実用車であっても、走らせたら妙に楽しかったり気持ちよかったりするクルマが多い。

現行のフィアット500は速いクルマじゃないけど、ステアリングを切って前のタイヤが曲がり始めると同時に後ろのタイヤも反応しはじめるような味付けで、曲がることがワクワクするほど楽しい。

そのフィアット500の世界観をSUVに落とし込んだ日本導入直前の〝500X〟も、車体は少し大きく背も高くなってるのに、爽やかに加速して気持ちよく曲がる、全く退屈のないクルマだ。

それらのルーツといえるルパンでおなじみのヌォーヴァ・チンクエチェントだって、今となっては絶望的な遅さではあるけど、コーナーを曲がるときには意外な速さでゴーカートみたいに楽しい。

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アルファ・ロメオはその昔、スポーツカーのエンジンをチューンを変えて実用サルーンや実用ワゴンに積むことを当たり前にしていて、好きにエンジンが作れない時代になるとハンドリングを一級品まで磨きに磨き抜き、スポーツカーにも負けないほど気持ちよく曲がる実用車をまんまと作り出した。

この辺りは、まぁ一事が万事である。たっぷり体験してきたから自信を持ってまくしたてられる。

そう、イタリア車には十中八九、〝快〟があるのだ。それが不意に気持ちの心拍数とピタリ合ってしまう。知り合ったヤツにいきなり友情を感じちゃうみたいに。何だかとても人間的なのである。

だから、はまると長い。人懐っこい友達を簡単に縁切りできないのに似て。……厄介な存在である。


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text:嶋田智之/Tomoyuki Shimada
1964年生まれ。エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集長を長年にわたって務め、総編集長として『ROSSO』のフルリニューアルを果たした後、独立。現在は自動車ライター&エディターとして活躍。

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