Rolling40's vol.41 御縁がありまして

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いよいよ、3月3日より、池袋シネマロサを皮切りに、映画「キリン」を公開することができる。私としてはやっと産まれるなと、大きなお腹を撫でている臨月の産婦さんの気持ちだ。

text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.111 2012年2月号]
Chapter
vol.41 御縁がありまして

vol.41 御縁がありまして

原作者の許諾を得たのは一昨年の夏の終わりだったが、脚本を作り、具体的に準備に入ったのはちょうど去年の今頃だった。その後、まさかの震災という未曾有の不幸に直面し、もしかしたら撮影に入れないかもしれないという危機にも直面した。何が何でも、多少スケールダウンしても撮影してやる。というような決死的な情熱だけが頼りのクランクインだった。
 
撮影の苦労話はたぶん面白くないので割愛するが、この映画はその内容以上に、そこに集まった人たちの「御縁」故に完成した作品であった気がする。出来不出来はお客様の判断に委ねるしかないが、産まれる必要があった作品であるということだけは確信している。
 
まだまだ出だしの一歩手前、の私が言うのもおこがましいが、「映画」っていうものは、役者としての経験からも一ファンとしての思いからも、人の人生を変えてしまう「魔力」を持つことがあると思う。

多少スピリチュアル的ではあるが、作品に関わった人間たちの思いが商業目的を通り越してまでも特別に強いとき、作品にある種の「念」が籠る。すると映画自体が意思を持ったかのように動きだす。そうなると原作者や監督やプロデューサーの意図とは関係なく、映画自体が観客と対話を始める。
 
そして最高の結実としては、そこにお客様の「喜び」が重なり、商業的にも成功することだが、それは簡単なことではない。
 
節目節目の困難な場面で、どうしてかバイクにいつも助けられているというようなことを以前このページで書いたことがある。東京・町田市のお坊ちゃん私立高校をズタボロで退学になって16歳の心が空っぽになった時、その隅に唯一残っていたのはDT200Rというヤマハのオフロードバイクだけだった。30歳になる手前、失われていく若さと次の自分探しに、まるで真綿の中で窒息するような思いに苦しんだ。

そのときに出会ったのが道端で22万円で売られていたボロボロのCB750FBであった。それまで五年間ほどバイクに乗っていなかったが、復活。こいつとの出会いが今にまで至る。
 
監督としての一作目(1995)と二作目(2008)の間には、10年以上の時間が空いている。その理由は単にブレイクスルーできる腕力と運がなかっただけだ。しかし二作品目となる「私のなかの8ミリ」で、桐島ローランド氏とともに、バイクのロードムービーというスタイルで劇場公開映画を低予算で作ることができた。
 
この二作目の監督作品が完成したとき、私は自分がバイクという「存在」に強く助けられていることに気が付いた。もちろんバイクがトランスフォーマーのように変身して私を守ってくれる訳ではない。私のなかに16歳のときから在り続けているバイクへの思いが、特殊な発想のインスパイアになっているのだろう。

またバイクが関わるモノに関してだけは譲れないという自負もある。そして2012、映画「キリン」。バイク乗りのバイブルとも言われるこの原作を映画にするのに「尻込み」はありませんかと聞かれることがある。
 
いつも「ない」と即答する。どうしてか…それは私なりに全開でバイクに乗り続けてきた自負があるからだ。私のなかには私なりのバイブルがある。それを頼りに誠実に作れば、原作の持つ世界観を大きく外してしまうことはないと分かっている。だから原作に対して無用な遠慮をすることはなかった。互いに好きなことは同じだとわかっているのだから。
 
いつしか、映画「キリン」を未来の私が振り返った時、きっと「意味のある曲がり角」であったと思えるなら幸せなことだ。

*映画『キリン』公式サイト
www.kirin-movie.com/
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text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968
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