人生で初めての愛車はもう26年も前のこと...人生を変えたクルマ、スバル・ヴィヴィオGX-Rを振り返る...オーナーズレビュー
更新日:2024.09.09
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今回は、ワタクシの人生初の愛車「スバル・ヴィヴィオGX-R」についてのことを思い出させていただきます。納車されたのは1993年7月8日。新車で購入しながら、わずか半年しか乗らなかったのですが、自分の人生が大激変するきっかけにもなった思い出深いクルマです。
文/写真・マリオ高野
文/写真・マリオ高野
贅沢な設計がもたらした、走りの良い軽自動車、それがヴィヴィオ
写真:スバル ヴィヴィオRX-R 4WD (1992)
スバルのヴィヴィオというと、軽自動車ながらWRCでクラス優勝したトンでもない実績が語り草になっているなど、いまだに多くのクルマ好きから名車として讃えられ、人気がありますね。
四輪独立懸架式のサスペンションや4気筒エンジンなど、当時の軽自動車としてはスバル以外に採用例のない、贅沢な設計がもたらす走りの良さに惹かれて購入した・・・と言いたいところですが、そうではありません。実はヴィヴィオを選んだのは、ほとんど偶然の成り行きでした。今では自動車ライターという職業に就いているワタクシも、幼少期にスーパーカーブームの末期を経験したはずの1973年生まれながら、なんとクルマにまったく興味を持つことなく大人になってしまいます。
全くクルマに興味のない当時ハタチの青年は、必要に迫られてクルマを購入した
生まれてから19歳まで生活していた大阪では、公共の交通手段に大きな不足はなく、また大阪平野は文字通り土地が平らで坂が少ないため、自転車(ママチャリ)でも20~30km程度の移動は難なく行えたので、原動機の必要性も感じずに過ごします。それゆえに免許の必要性も一切感じず、自分でクルマを運転することは一生ないだろうと思っていました。
そもそも、ただ免許を取るだけで20数万円もの費用がかかり、毎年多額の税金や保険料を支払い、最悪事故を起こして人生をパーにしてしまうリスクが高いなど、クルマに乗るということに微塵も魅力を感じていませんでした。むしろ、クルマを運転したり所有することはなるべく避けて生きるのが賢明だと考えていたのです。いわば「若者のクルマ離れ」のパイオニアだったといえるでしょう。
そんなワタクシも、諸事情により土地が平らな大阪から、起伏の激しい奈良県へ転居したことに伴って原動機の必要性を感じるようになり、止むを得ず、交通手段としてクルマを買うことにしました。
まずは、当時勤めていた会社の冬のボーナスを全額つぎ込んで教習所に通い、サラリーマンとして普通に働きながら免許を取得。今と違ってインターネットもなく、徒歩でアクセスできる範囲に自動車ディーラーがなかったので、電話帳で調べた近隣のディーラーに電話をするという手法でクルマ探しをスタートします。
いくつかのディーラーに電話をかけて「クルマを購入したいがどうすれば良いのか?」と伝えますが、自分の言い方が悪かったのか、何故かどこからも相手にされず途方に暮れました。そんな中、唯一マトモに対応してくれたのがスバルのディーラーだったので、「もはやここで買うしかない」と思い、スバルの軽自動車ヴィヴィオを買うことに。ヴィヴィオを選んだのは、実に消極的な理由だったのです。
その時点ではまだクルマ好きではなく、知識も乏しかったので、値段の安い実用グレードで良いと思いながらも、カタログを見ていると、NAエンジン搭載グレードはどこか女性向きっぽいクルマで微妙だなと感じます。一方、スーパーチャージャー搭載車はスポーティな雰囲気が気に入りました。
デザイン的にはボンネットに穴があってフォグランプが丸いぐらいの違いしかないものの、その差が大きく感じたので、グレードごとにデザインを差別化したことは奏功したといえます。
普通の「GX」で十分だと思いながらも、「特別仕様車」として装備がより豪華な「GX-R」が設定されたということで、どうせならより豪華な方が良いとの欲が出て、最終的には「GX-R」で決定。「特別仕様車」という言葉の響きも刺さりました。特別仕様車とは、本当に特別な仕様でまたとないレアな商品だと勘違いしていたことも選んだ理由のひとつに。「GX-R」は、その後普通のカタロググレードになるわけですが。ちなみに購入資金は、比較的ローン金利が安かった労働金庫より融資。頭金なしの7年フルローンです。
そんな感じで、一応自分の好みでクルマを選んだものの、購入動機は「移動手段としてやむを得ず買った」という消極的なものだったので、特にワクワクすることもなく納車の日を迎えました。
担当のリオラレディ(当時のスバルディーラーでは女性セールスのことをリオラレディと呼んでいた)から一通りの説明を受け、とりあえず自宅へ乗って帰ろうと、ディーラーをあとにします。
小さな軽自動車とはいえ、教習所で乗ったクルマ以外を運転するのは初めてだったので、猛烈に緊張しました。そもそも、教習所での路上教習のときから運転という行為に楽しさを感じたことは微塵もなく、この時点ではまだ、クルマの運転は苦痛や苦行でしかありません。
この先も、クルマの運転に楽しさや喜びが得られるとは一切思わなかったので、とても憂鬱な心境でヴィヴィオGX-Rを走らせました。「どうか人をはねたりしませんように」などと、頭にあるのは、事故を恐るなどのネガティブな心配要素ばかり……。
しかし、その時、歴史が動きます。ディーラーの出入り口から左折して道路にでた瞬間から、教習所で乗ったクルマとはまったく反応が違うことにハッと驚きました。教習所で乗ったクルマは、ATでも最後まですべての運転操作に四苦八苦していたというのに、このクルマは初めてでも何故かすごく乗りやすい!
加減速をしたり、車線変更をしてみても、自分の思いのままに動いてくれる感覚は衝撃的でした。「えっ!?ナニコレ!?クルマって、こんな風に動かせるものなの!?ウソでしょ!?」などと戸惑いながら興奮したことは今も忘れられません。生まれて初めて「運転が楽しい」と感じた刹那でした。まさに、目から大きなウロコがボトリと落ちたような感覚で、この「ヴィヴィオによる運転の喜びへの目覚め」は、自分の46年の人生における最大級のビックリ事件となっています。
市街地の道路を普通に走らせるだけでも感動と驚きの連続でしたが、幸か不幸か、当時暮らしていた自宅の周辺はワインディングやそれに近いレイアウトの道だらけ。アップダウンも多く、スーパーチャージャーによる余裕のある動力性能やハンドリングの良さを四六時中満喫できる恵まれた環境で、覚えたての猿のように、時間さえあればヴィヴィオを走らせていました。ヴィヴィオGX-Rは、まさに水を得た魚のごとく、奈良大和路の峠を駆け抜ける喜びを教えてくれたのです。
単なるA地点からB地点への移動手段として事務的に走らせるはずが、目的地の有無に関係なく走らせたくなるという自分の心境の激変ぶりに驚くばかり。クルマ興味ゼロの若者が、ほぼ瞬間的に「クルマが生き甲斐!」と感じるまでになったのですから、ヴィヴィオ恐るべしというほかありません。
こんなにもクルマが好きになると思っていなかった...AT車を購入したことに後悔...
ヴィヴィオ納車以来、クルマへの興味が劇的に高まったことで、そこからクルマ雑誌を読み漁るようにもなり、月に10冊ほどのクルマ雑誌の購読を始めます。まだハタチと若かったせいか、クルマに関する知識をどんどん吸収していく感覚も忘れがたい思い出です。自分の人生では唯一の、知識習得のゾーンに入ったという感じでしょうか。
クルマの知識が増えるにつれて、ヴィヴィオというクルマの理解度も増し、自分の選択が正しかったことをあらためて実感する日々を送るようになります。とりわけ、エンジンのトルクの太さとボディ剛性の高さに感動の連続。たとえば、友人が親から借りて乗ってる他銘の軽自動車に乗せてもらうと、誇張抜きで「このクルマのボディは木かダンボールでできてるのか?」などと感じたものです。
また、他銘の軽自動車のターボエンジンはパワフルさでは互角でも、高回転域の振動の大きさに閉口。4気筒のアドバンテージに優越感を抱いたりしていました。
乗れば乗るほど、知れば知るほど「俺の買ったヴィヴィオはなんて素晴らしいんだ」と悦に浸ります。同時に、スバルという自動車メーカーのすごさにも感服させられるようになりました。
そんな感じで、ヴィヴィオGX-Rというクルマそのものの満足度はすこぶる高く、一生乗り続けても良いとさえ思いましたが、幸か不幸か、ヴィヴィオを買ってから「WRC(世界ラリー選手権)」の魅力にもハマるようになります。そこから、ヴィヴィオ購入後わずか半年で「インプレッサWRXに乗り換えずにはいられなくなる」のですが、その顛末については、当サイトに別稿がアップされているので、ここでは割愛します。
ヴィヴィオGX-Rというクルマそのものに対する不満はほぼなかったものの、唯一後悔したのは、MTではなくATを選んしまったことでした。前述した通り、免許を取得した当初はAT車しかありえないと考えていたのですが、「クルマの運転の楽しさに目覚める」という予想だにしない状況に陥ったことで、MTが運転したくてたまらなくなったのです。
当時のECVTそのものに対する不満ではなく、3ペダルのMTを駆使してスポーティに走らせたいとの願望の高まりによる後悔です。CVTというミッション特有の、エンジン回転が一定のまま速度だけが上がっていく感覚はとてもスムーズであり、クリープ現象がないのも従来のATより安全だと思いました。構造的な難点のひとつであるベルトの金属音は加速時に大きくなりますが、特に不快に感じる音ではなかったです。ただ、渋滞など低速で加減速を繰り返すような場面では、電磁クラッチの断続ショックが出ることはあり、微低速域ではギクシャクして円滑さに欠ける点はネガ要素として挙げられました。その後、スバルのCVTはトルコンを備えることでこの問題を解消しています。
蛇足ながら、CVTに関しては今のスバル車でも不満点として挙げる人が少なくなく、CVT特有のエンジン回転が一定のまま速度だけ上下する感覚に違和感を覚えるという声は、今も耳にすることがあります。しかし、ワタクシの場合は生まれて初めて買ったクルマが旧世代のCVT車だったので、CVT特有の感覚に違和感や抵抗を覚えることは今もありません。それどころか、今のスバルのCVTはATのミッションとしては理想形のひとつだとさえ思っています。
ヴィヴィオGX-Rに搭載されていたSOHCのスーパーチャージャー、低速トルクは良かったけども...
ただヴィヴィオGX-Rの場合、アクセルを全開にしてもエンジン回転が5000回転以上にならないのは情緒的に残念でした。SOHCのスーパーチャージャーはとにかく低速トルクが厚く、660ccながら2000~3500回転も回せば十分なトルクを発揮し、低速トルクが厚いエンジンとの相性が良いCVTの特性とも相まって、実用上は最高のチューニングであると感心していましたが、同じヴィヴィオでもDOHCのスーパーチャージャー、MTのRX-Rなら「9000回転まで回せる」と知り、それが羨ましく思えたものです。エンジンが高回転まで回せるというのは、運転好きにとっては捨てがたい魅力になりますから。
わずか半年で乗り換えてしまったヴィヴィオGX-Rですが、最低でも10年は乗り続けたいと思えるほど総合的には気に入っていました。おそらく、今あらためて乗っても往時のごとく関心させられることでしょう。
クルマにまったく興味のなかった若者の目からウロコを落とし、クルマの楽しさに目覚めさせ、その若者を自動車ライターにしてしまうほどの魅力を備えたクルマだったのです。
ヴィヴィオGX-Rへの思いが溢れて、当時の富士重工業に感想文を送ったら丁寧に返答されたのもファンになる一因になった
ちなみに、ヴィヴィオGX-Rについての感想を書面にして当時の富士重工業に送ったところ、ご丁寧な返事をいただき大変驚きました。こちらとしては、いちユーザーとしての感想を有り体に述べたまでであり、返事や回答を望んでいたわけではなかったのですが、当時の富士重工業の生真面目さを感じさせるものでした。
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マリオ高野 | MARIO TAKANO
1973年大阪生まれの自動車ライター。免許取得後に偶然買ったスバル車によりクルマの楽しさに目覚め、新車セールスマンや輸入車ディーラーでの車両回送員、自動車工場での期間工、自動車雑誌の編集部員などを経てフリーライターに。2台の愛車はいずれもスバル・インプレッサのMT車。