ベントレー コンチネンタルの遙かなる系譜をたどる〜世界最高の企て〜
更新日:2024.09.09
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今世紀に入って大躍進を遂げたベントレー。
その屋台骨を支える基幹モデルとなっているのが、2003年にデビューした“コンチネンタルGT”とその係累たちである。
しかし“コンチネンタル”というロマンティックな車名を与えられたベントレーは、遥か60年以上も前から脈々と系譜を綴っていた。
文・武田 公実
※ 2017年12月時点
その屋台骨を支える基幹モデルとなっているのが、2003年にデビューした“コンチネンタルGT”とその係累たちである。
しかし“コンチネンタル”というロマンティックな車名を与えられたベントレーは、遥か60年以上も前から脈々と系譜を綴っていた。
文・武田 公実
※ 2017年12月時点
ベントレー・コンチネンタル、遙かなる系譜をたどる〜世界最高の企て〜
開祖となったのは、ロールス・ロイス傘下時代の1952年に発売された“Rタイプ・コンチネンタル”。その名のとおりヨーロッパ大陸旅行を強く意識したモデルで、この時代における世界最高級・最高性能グランドツアラー(GT)だった。
この時代の超高級車の伝統にしたがって、複数のコーチビルダー(ボディ専門工房)がRタイプ・コンチネンタルのボディを製作したが、大部分を占めたのは名門“H.J.マリナー”社製のファストバッククーペ(正式名は“スポーツサルーン”)。
空力特性も意識した軽量アルミボディの効果で、当時はひと握りの高性能スポーツカーの領域とされていた時速120マイル(約192km/h)の最高速を実現。その壮麗な美しさも相まって、生産台数はわずか208台ながら「20世紀後半のベントレーの最高傑作」とも称されてきた。
そして、ベースとなるセダンモデルが“Rタイプ”から“Sタイプ”へと進化した1955年には、コンチネンタルも“Sタイプ・コンチネンタル”へと進化。アルミ製ボディのバリエーションが格段に増える。
また、現代のベントレー ミュルザンヌにも搭載されるV8OHVエンジンの原型を組み合わせた“S2コンチネンタル(59年発表)”、さらなるリファインを加えた“S3コンチネンタル(62年発表)”では、昨今流行の4ドアクーペの先駆け、H.J.マリナー製“フライングスパー”も準制式ボディとして設定され、一定の割合を占めることになった。
この時代の超高級車の伝統にしたがって、複数のコーチビルダー(ボディ専門工房)がRタイプ・コンチネンタルのボディを製作したが、大部分を占めたのは名門“H.J.マリナー”社製のファストバッククーペ(正式名は“スポーツサルーン”)。
空力特性も意識した軽量アルミボディの効果で、当時はひと握りの高性能スポーツカーの領域とされていた時速120マイル(約192km/h)の最高速を実現。その壮麗な美しさも相まって、生産台数はわずか208台ながら「20世紀後半のベントレーの最高傑作」とも称されてきた。
そして、ベースとなるセダンモデルが“Rタイプ”から“Sタイプ”へと進化した1955年には、コンチネンタルも“Sタイプ・コンチネンタル”へと進化。アルミ製ボディのバリエーションが格段に増える。
また、現代のベントレー ミュルザンヌにも搭載されるV8OHVエンジンの原型を組み合わせた“S2コンチネンタル(59年発表)”、さらなるリファインを加えた“S3コンチネンタル(62年発表)”では、昨今流行の4ドアクーペの先駆け、H.J.マリナー製“フライングスパー”も準制式ボディとして設定され、一定の割合を占めることになった。
ところが、メーカー側はシャシーとメカニズムのみを製作し、ボディやインテリアは独立したコーチビルダーに委託するという第二次大戦以来のベントレーの伝統は、1966年をもってS3コンチネンタルが生産を終えたことで歴史の幕を閉じる。
この前年、新たに登場した“ベントレーT”サルーンは“ロールス・ロイス・シルヴァーシャドウ”の姉妹車。ともにボディとシャシーが一体化したモノコック構造で、もはや手作業のコーチビルダーが独自のボディを開発・製作することは不可能となってしまったのだ。
それでもパーソナル志向のベントレーを求める裕福な顧客のリクエストに応じて、1967年からは専用のアルミボディを持つ“Tスポーツサルーン(クーペ)”および“Tドロップヘッドクーペ(コンバーチブル)”が誕生。
この前年、新たに登場した“ベントレーT”サルーンは“ロールス・ロイス・シルヴァーシャドウ”の姉妹車。ともにボディとシャシーが一体化したモノコック構造で、もはや手作業のコーチビルダーが独自のボディを開発・製作することは不可能となってしまったのだ。
それでもパーソナル志向のベントレーを求める裕福な顧客のリクエストに応じて、1967年からは専用のアルミボディを持つ“Tスポーツサルーン(クーペ)”および“Tドロップヘッドクーペ(コンバーチブル)”が誕生。
1970年には、ベントレーが1939年に製作した次世代向け試作車の名を受け継いだ“コーニッシュ”に改名されるが、ロールス・ロイス版にも同じ名称が授けられ、ベントレーの存在感は急速に薄れてしまう。
さらに1984年には“ベントレー コンチネンタル”と再び名乗るものの、人気・製作台数ともにロールス・ロイス・コーニッシュには遠く及ばなかった。
しかし1990年代を迎えて“コンチネンタル”の名称に、再びスポットライトが当てられることになる。
1992年、当時のベントレー高性能セダン“ターボR”のコンポーネンツを流用した“コンチネンタルR”が登場。美しいスタイリングとゴージャス極まるインテリアから、長らく不遇にあったベントレーの存在感を一気に取り戻すための起爆剤となったのだ。
さらに96年にはホイールベースを10cm短縮したボディにハイパワー化したエンジンを搭載した怪物的スポーツモデル“コンチネンタルT”も追加設定。オープン版“アズール”も合わせて「世界で最も贅沢なクルマ」としての栄光を再び手にした。
さらに1984年には“ベントレー コンチネンタル”と再び名乗るものの、人気・製作台数ともにロールス・ロイス・コーニッシュには遠く及ばなかった。
しかし1990年代を迎えて“コンチネンタル”の名称に、再びスポットライトが当てられることになる。
1992年、当時のベントレー高性能セダン“ターボR”のコンポーネンツを流用した“コンチネンタルR”が登場。美しいスタイリングとゴージャス極まるインテリアから、長らく不遇にあったベントレーの存在感を一気に取り戻すための起爆剤となったのだ。
さらに96年にはホイールベースを10cm短縮したボディにハイパワー化したエンジンを搭載した怪物的スポーツモデル“コンチネンタルT”も追加設定。オープン版“アズール”も合わせて「世界で最も贅沢なクルマ」としての栄光を再び手にした。
そして、1998年をもってロールス・ロイスとの長年のパートナーシップを解消したベントレーは新たにVWグループの庇護のもと、初代“コンチネンタルGT”を2003年にデビューさせたことによって、ベントレー コンチネンタルの系譜は新たな局面を迎える。
「大排気量12気筒エンジンと4WDシステムを持つ全天候型超高級グランドツアラー」という新たなカテゴリーを開拓した初代コンチネンタルGTシリーズは、全世界で約2万3000台を販売。1919年の創業以来、ベントレーが生産してきたすべてのモデルの累積生産台数をも上回るという素晴らしい成果を挙げたのだ。
また2011年にモデルチェンジした二代目コンチネンタルGTでは、エコロジー志向のダウンサイジングモデルながら、よりベントレーの伝統に即したV8モデルも追加され、こちらも絶大な支持を博すことになった。
「大排気量12気筒エンジンと4WDシステムを持つ全天候型超高級グランドツアラー」という新たなカテゴリーを開拓した初代コンチネンタルGTシリーズは、全世界で約2万3000台を販売。1919年の創業以来、ベントレーが生産してきたすべてのモデルの累積生産台数をも上回るという素晴らしい成果を挙げたのだ。
また2011年にモデルチェンジした二代目コンチネンタルGTでは、エコロジー志向のダウンサイジングモデルながら、よりベントレーの伝統に即したV8モデルも追加され、こちらも絶大な支持を博すことになった。
さらに2018年から日本でも発売されることになった新型、三代目コンチネンタルGTでは、Rタイプ・コンチネンタルのデザインモチーフが初代・二代目以上に色濃く投影されていると言えよう。しかも歴代コンチネンタルGTでは単にプロポーションを投影しただけでなく、「世界最速・最高級のグランドツアラー」というRタイプ・コンチネンタルが1950年代に確立した方程式をも完璧に体現している。
つまりベントレーにとっての“コンチネンタル”とは、過去の“ヘリテージ(遺産)”をとても大切にしているベントレーならではのフィロソフィー、あるいは矜持を体現する偉大な名跡なのである。
つまりベントレーにとっての“コンチネンタル”とは、過去の“ヘリテージ(遺産)”をとても大切にしているベントレーならではのフィロソフィー、あるいは矜持を体現する偉大な名跡なのである。