ヒョンデ (現代自動車) の歩んできた歴史を徹底解説!

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「ヒュンダイを知らないのは、日本だけかもしれない」かつて、そんな挑戦的なメッセージとともに日本市場へ参入してきた現代自動車(ヒョンデモーター)。韓国の自動車メーカーです。そのフレーズはちょっと大げさに聞こえるかもしれないけれど、2019年の世界販売台数が719万台と世界5番目の規模を誇ると聞けばそれも納得ですね。

文:工藤貴宏/写真:萩原文博

工藤 貴宏|くどう たかひろ

1976年生まれの自動車ライター。クルマ好きが高じて大学在学中から自動車雑誌編集部でアルバイトを開始。卒業後に自動車専門誌編集部や編集プロダクションを経て、フリーの自動車ライターとして独立。新車紹介、使い勝手やバイヤーズガイドを中心に雑誌やWEBに執筆している。心掛けているのは「そのクルマは誰を幸せにするのか?」だ。現在の愛車はルノー・ルーテシアR.S.トロフィーとディーゼルエンジン搭載のマツダCX-5。日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。

工藤 貴宏
Chapter
ヒョンデ (現代自動車)は世界190以上の国や地域で販売されている世界規模のメーカー!
ヒョンデ (現代自動車)の歴史|最初の生産車はフォード?
ヒョンデ (現代自動車)の歴史|初の国産車にはジウジアーロデザインが採用された
ヒョンデ (現代自動車)の歴史|ただ”安いから”の時代から”デザイン”と”品質”で選ばれるブランドへ
トヨタのレクサスみたいな存在?ヒョンデ (現代自動車)のGENESIS(ジェネシス)とは?

ヒョンデ (現代自動車)は世界190以上の国や地域で販売されている世界規模のメーカー!

その数は1097万台を誇る王者フォルクスワーゲンや1074万台を誇るトヨタに比べれば少ないものの、フォード(538万台)やホンダ(517万台)に比べると多いです。

現代自動車はいまや世界190以上の国や地域で販売されている世界規模のメーカーとなっています。
「現代自動車」としての設立は1967年。日本の自動車メーカーのなかでも後発となるホンダの創業が1948年だから、それに比べると20年ほど遅いタイミングです。

しかし、ホンダが事業を始めた1948年は第二次世界大戦が終わり、日本は大きなダメージを受けたものの、復興が始まってこれから新たに国を発展させていこうという明るい未来を描き始めたタイミング。

いっぽう現代自動車が設立された1967年は、第二次世界大戦後に勃発した朝鮮戦争が1953年に停戦となり、そこからの復興が進んできたタイミングと考えればわかりやすいでしょう。

ちなみに現代自動車は、1934年に米問屋として起業しのちに韓国最大の財閥グループとなる「現代(ヒュンダイ)」をルーツに持ちます。1946年に自動車修理業の「現代自動車工業」が設立され、その後1967年に自動車製造を目的とする「現代自動車」として新たなスタートを切ったのです。

ヒョンデ (現代自動車)の歴史|最初の生産車はフォード?

フォード・コーティナ(参考写真)
最初の生産車は「フォード・コルティナ」。フォードからの供給を受けたノックダウン生産として、1968年からラインを稼働させています。その後「フォード20M」も生産をスタート。

しかし、フォードとの関係は長く続かず、フォードの後には、日本の三菱自動車と生産技術契約を締結。車体構造、エンジン、そしてトランスミッションなど主要コンポーネンツに三菱自動車の技術を使って、国産車の開発にこぎつけたのです。

ヒョンデ (現代自動車)の歴史|初の国産車にはジウジアーロデザインが採用された

ヒュンダイ・ポニー
その第一弾として1975年から生産を始めたのが「ポニー」です。デザインはイタリア人著名プロダクトデザイナーのジウジアーロが担当。プラットフォームをはじめエンジンやトランスミッションは初代モデルの三菱ランサーのものを活用しています。

ポニーは全長3970mmのコンパクトカー。当初はファストバックスタイルの4ドアセダンのみとしていましたが、追って3ドアクーペ、5ドアステーションワゴンそしてピックアップトラックとバリエーションを拡大していきました。

発売最初の1年間で約1万台が生産され、それは当時の韓国の乗用車市場におけるシェアの43.6%だったそうです。

そんなポニーは1982年に進化版の「ポニーⅡ」を発表。しかし1985年12月までは従来モデルも並行して販売され、約30万台が生産されました。

その後、5ドアハッチバックとピックアップトラックで展開したポニーⅡは1990年まで生産していました。
1986年、ヒュンダイ・ポニーエクセルは初めてアメリカで販売されたモデルになった。
ポニーは、現代自動車にとってふたつの大きな意味を持ちます。ひとつは、韓国にとって初の国産車だということ。もうひとつは、その後のヒュンダイの快進撃の最初のきっかけとなる輸出を開始したことでした。

当時最大の自動車マーケットだったアメリカへのポニーの輸出はありませんでしたが、1984年には安い価格設定を武器にカナダにてベストセラーカーになるほどのヒットになっていました。
ヒュンダイ エクセル
それと並行して、現代自動車は続々と車種ラインナップを拡大。70年代にはポニーのほかキャブオーバートラックの「HD 1000」、大型セダンの「グラナダ」を発売し、80年代にはポニーの進化版となる「エクセル」やワンボックスワゴンの「グレイス」、大型セダンの「アゼーラ」などもラインナップに加えています。
1990 ヒュンダイ エクセル
日本人としては、80年代から90年代のかけての現代自動車のラインナップを見て気になるのが既視感ですよね。三菱自動車の「デボネア」、「デリカ」「パジェロ」そして「グランディス」にそっくりな現代車が存在するのです。

ヒョンデ (現代自動車)の歴史|ただ”安いから”の時代から”デザイン”と”品質”で選ばれるブランドへ

ヒョンデ (現代自動車) ヴェロスター N
1990年代に入り、現代自動車は輸出拡大路線を歩むことになります。北米では当初「安価だが品質や信頼性もそれなり」として、コンパクトカーを中心に価格の安さから選ばれるブランドでした。

しかしその後、品質、質感、そしてデザインのクオリティを大幅にアップ。特に2000年代に入ると生産コストや生産効率よりもデザインを重視するという方針をとり、その一環で欧州の自動車メーカーからチーフデザイナー級のデザイナーを招聘。その戦略は大成功。「i20」「i40」「ヴェロスター」など欧州車のような雰囲気を持ったクルマを生み出し、欧州でも市民権を得ることができたのです。
現代 Sonata
もちろん、それは単なる偶然ではありません。三菱自動車が技術共用し、デザインまで既存の三菱車から流用したクルマもラインアップに加わっていました。日本のクルマ作りの技術を基礎とし、現代自動車は発展したといっていいでしょう。

いっぽうで1988年発売の「ソナタ」では現代自動車独自の技術を多く用い、1991年には独自のガソリンエンジンやトランスミッションを開発。海外の技術に頼らず自動車を作る体制を整えていきました。

成長は著しく、1985年には累計販売台数が100万台を超え、1990年には400万台を突破するなど生産台数も飛躍的に伸びました。
「安価だから選ばれるクルマ」ではなく、「積極的に選ばれるクルマ」へと変貌を遂げたのです。その結果が、世界5位の自動車メーカーという現在のポジションを作り上げたのでした。

欧州での認知度向上には、1998年から参戦しているWRC(世界ラリー選手権)も大きな貢献を果たしたといえるだろう。WRCでは2019年にマニファクチャラーチャンピオンも獲得しています。

トヨタのレクサスみたいな存在?ヒョンデ (現代自動車)のGENESIS(ジェネシス)とは?

そして、今の現代を語るうえで外せないのは「ジェネシス」です。それは、同社が展開している高級ブランド。トヨタでいう「レクサス」のような存在です。

スタートは2008年で、当初はセダンとクーペのみだったが現在はラインナップを拡大。セダンはDセグメントの「G70」、Eセグメントの「G80」、そしてLセグメントの「G90」を展開。SUVは「GV80」に加えてひとまわり小さな「GV70」も近日登場予定となっています。どんなクルマになっているのか、楽しみですね。

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