ロールス・ロイスとベントレーの出会いと別れ
更新日:2019.12.27

ロールス・ロイスとベントレー。どちらもイギリス発のラグジュアリーカーということで共通点が多いように見えます。それもそのはず。
ベントレーは一時、ロールス・ロイスの傘下にいました。今回はロールス・ロイスの誕生からベントレーの買収、そして別れまでを振り返ります。
ベントレーは一時、ロールス・ロイスの傘下にいました。今回はロールス・ロイスの誕生からベントレーの買収、そして別れまでを振り返ります。
ロールスとロイスの出会い
ヘンリー・ロイスとチャールズ・ロールスが初めてであったのは1904年です。
2人は対照的で、ロイスは貧しい幼少時代を過ごしたのに対して、ロールスは貴族の息子として生まれました。
ロイスは自動車の将来性に目をつけ、試作品の「10HP」という車を開発。
その試作機の完成度の高さを聞きつけたロールスが試乗に訪れたのが2人の出会いのキッカケです。
2人は対照的で、ロイスは貧しい幼少時代を過ごしたのに対して、ロールスは貴族の息子として生まれました。
ロイスは自動車の将来性に目をつけ、試作品の「10HP」という車を開発。
その試作機の完成度の高さを聞きつけたロールスが試乗に訪れたのが2人の出会いのキッカケです。
ロールス・ロイスとベントレーの出会い
1904年に出会った2人が意気投合していた頃、イギリスでは急速にモータースポーツが発展していきます。
1907年には世界初の常設サーキットであるブルックランズが完成しました。ウォルター・オーウェン・ベントレーも、そんな世間の潮流に魅了された1人です。
少年時代から機械いじりが好きだったベントレーは第一次世界大戦で航空エンジンの改良に従事した後、自ら自動車会社を設立します。
1907年には世界初の常設サーキットであるブルックランズが完成しました。ウォルター・オーウェン・ベントレーも、そんな世間の潮流に魅了された1人です。
少年時代から機械いじりが好きだったベントレーは第一次世界大戦で航空エンジンの改良に従事した後、自ら自動車会社を設立します。
モータースポーツに魅了されていたベントレーはハイパフォーマンスな車を次々に開発します。
1922年にはベントレー・ボーイズを結成し、1923年から始まったル・マン24時レースにも参加しました。ひたすらモータースポーツに身をささげる姿はフェラーリを彷彿とさせますね。1927年から1930年には4連勝を果たしました。
しかし、モータースポーツとは対照的に会社の経営は上手くいっていませんでした。オーバースペックな車ばかりを生産した結果、販売しても利益があがらないという状況に陥ります。1931年、ベントレーはロールス・ロイスの傘下に収まることになりました。
1922年にはベントレー・ボーイズを結成し、1923年から始まったル・マン24時レースにも参加しました。ひたすらモータースポーツに身をささげる姿はフェラーリを彷彿とさせますね。1927年から1930年には4連勝を果たしました。
しかし、モータースポーツとは対照的に会社の経営は上手くいっていませんでした。オーバースペックな車ばかりを生産した結果、販売しても利益があがらないという状況に陥ります。1931年、ベントレーはロールス・ロイスの傘下に収まることになりました。
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