日産 スカイラインGT-R から 日産 GT-Rへ!50年の変遷と歴史を振り返る!

アヘッド 日産・GT-R 2017年モデル

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有価証券報告書の虚偽記載で逮捕されたカルロス・ゴーンの功罪が様々言われているが、GT-Rというブランドを復活させたことは氏の功績であろう。日本のドメスティックモデルであったスカイラインGT-Rを「GT-R」として独立させたことで日産のテクノロジーショーケースであり、スポーツイメージを高める一台として昇華させた。そんなGT-Rも第一世代のスカイラインGT-Rの誕生からまもなく半世紀。50年の歴史をあらためて振り返ろう。

文・山本晋也
Chapter
GT-Rの歴史・変遷を振り返る|6気筒DOHCエンジンを積んだことで差別化した第一世代
GT-Rの歴史・変遷を振り返る|専用の2.6Lターボエンジンと4WDを組み合わせた第二世代
GT-Rの歴史・変遷を振り返る|3.8L V6ツインターボで変速機を後ろに置いた第三世代

GT-Rの歴史・変遷を振り返る|6気筒DOHCエンジンを積んだことで差別化した第一世代

1969年1月、後に「ハコスカ」の愛称で呼ばれることになる3代目スカイラインに、特別なモデル「GT-R」が登場した。

当時、国内レースで勝つことはプロモーションとして有効で、ブランドイメージの向上にダイレクトにつながる時代。レースに勝つためにスペシャルなエンジンを与えられたのが初代スカイラインGT-Rだ。
当初はベースモデルの関係から4ドアセダンがベースで、1970年には2ドアボディ(当時はハードトップと呼ばれた)のGT-Rが誕生している。そのスペシャルなエンジンが「S20」型である。

2.0L 直列6気筒エンジンのプロフィールは、ボア82.0mm×ストローク62.8mmというショートストロークで、総排気量は1,989cc。燃料供給は3連キャブレターによって行なった。

このエンジンは4代目スカイライン(愛称はケンメリ)にも搭載され、2代目のスカイラインGT-Rが生まれたが、初代スカイラインGT-Rがレースで活躍したのに対して、わずか3か月しか生産されない幻のモデルであり、197台と生産台数の少ないスカイラインGT-Rとなってしまった。

GT-Rの歴史・変遷を振り返る|専用の2.6Lターボエンジンと4WDを組み合わせた第二世代

ケンメリ・スカイラインGT-Rの生産が終了した1973年からずっとGT-Rの名前は封印されていた。スカイライン自体は6代目の「ターボRS」や7代目の「GTS-R」といったスポーティグレードがサーキットで活躍、ノーマル状態でのポテンシャルが重要なグループA規定のレースで実績を残していたがGT-Rの文字が復活するには1989年まで待つ必要があった。

そうして8代目スカイラインをベースに第二世代のスカイラインGT-Rが生まれた。ベースモデルは小型車枠に収まっていたが、前後ともフェンダーを拡幅することで全幅は1,755mmまで拡げられ、225幅のワイドなタイヤを収める。

しかも、そのタイヤは「アテーサE-TS」と名付けられたFRベースの四輪駆動システムによって状況に応じて前後駆動力配分を変えながらトルクを受け止めるといった具合だ。
なにより注目はエンジンで、GT-Rの専用となった2.6L直列6気筒ツインターボ「RB26DETT」は最高出力こそ自主規制値の280馬力となっていたが、ひとたびチューニングを施せば400~500馬力は朝飯前、前述したグループAレースではレギュレーションとしてチューニングに制限を受けている状態ながら600馬力を超えたというほど高い潜在能力を持つエンジンだった。

グループAレース自体は第二世代として最初のスカイラインGT-R(BNR32型)の時代に終焉を迎えてしまうが、これほどのハイパフォーマンスユニットを仕舞っておくのももったいないということで、9代目スカイライン、10代目スカイラインにもスカイラインGT-Rはラインナップされることになる。

いずれもRB26DETTエンジンとアテーサE-TS、また「HICAS」と呼ばれた後輪操舵機能も、第二世代スカイラインGT-Rに共通するテクノロジーだ。もちろん、世代を重ねるごとにハードウエア、制御とも進化していった。
しかし、2002年8月には新しい排ガス規制をクリアできないということでRB26DETTエンジンを積んだスカイラインGT-Rは生産を終了してしまう。ふたたび日本にGT-Rのない時間が過ぎていった。

しかし、GT-Rは生産終了の前に復活の狼煙を上げていた。2001年の東京モーターショーにおいて「GT-Rコンセプト」を発表していたのだ。その4年後、2005年の東京モーターショーでは「GT-Rプロト」を出展するなど、日産はスカイラインの派生モデルではなく、「GT-R」という存在として生まれ変わらせると宣言していた。

じつは、それまでのスカイラインGT-Rはいずれも基本的には日本国内専用のドメスティックモデル。オーストラリアのレースで活躍したり、ル・マン24時間耐久レースにチャレンジしたことはあったが、グローバルに見ればGT-Rは幻の存在だった。

しかし、そのネームバリューは幻だからこそ高く、その価値を見出した当時のカルロス・ゴーンCEOによってGT-Rの開発プロジェクトにゴーサインが出されたという。

GT-Rの歴史・変遷を振り返る|3.8L V6ツインターボで変速機を後ろに置いた第三世代

それが2007年に単独モデルとして生まれた「GT-R」である。

第一・第二世代のスカイラインGT-Rにおいては直列6気筒エンジンがアイデンティティのひとつだったが、パフォーマンスと生産性を優先して3.8L V型6気筒ツインターボを採用。トランスミッションは6速DCTで、それをリアディファレンシャルと一体化したトランスアクスル形式を採用。

エンジン出力はいったんリアのトランスミッションに送られ、そこから前後のタイヤに伝達された。つまり2本のプロペラシャフトが並行して配置されている。重量面では不利だが、トランスミッションをリアに配置することによる重量バランスの良さを優先したカタチだ。

なお、トランスミッションからフロントディファレンシャルに戻ってくるプロペラシャフトが右側に置かれているのは、左ハンドルを優先した開発を想像させるが、GT-Rとして独立したR35型からはグローバルモデルとして世界中で販売されるようになった。

モデルライフは10年を過ぎたR35 GT-R、デビュー当初の最高出力は480PSだったが、いまやトップグレードのNISMOでは600PSを発生するに至った。ボディについても2016年のマイナーチェンジでCピラーの形状を変更するなど手を入れている。

全天候型スーパースポーツとしては、パフォーマンスの面でも十分な性能を有しており、まだまだ生産は続くだろう。とはいえ、カルロス・ゴーン氏の逮捕に伴う会長解任といった経営体制の変化があるいま、GT-Rの将来がどうなるかは霧に包まれてしまったと言えそうだ。

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