オートバイを芸術作品にした男
更新日:2024.09.09
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東名高速道路の厚木インターチェンジを降りて程なく。工場が立ち並ぶその一角に、バイクのミュージアムがある。そんな風に書くと驚かれるかもしれないが、数々のイタリアンブランドを手掛け、そのパーツを開発するショップ「モトコルセ」の扉をくぐれば、まさにそう表現するのにふさわしい空間が広がっている。
text:伊丹孝裕 photo : 長谷川徹 [aheadアーカイブス vol.120 2012年11月号]
text:伊丹孝裕 photo : 長谷川徹 [aheadアーカイブス vol.120 2012年11月号]
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オートバイを芸術作品にした男
実際、ショールーム入り口からファクトリーに続くスペースは「MUSEO(ムゼオ)」と名付けられ、ドゥカティやMVアグスタといったイタリアンバイク達が美術館さながらに並べられているのだ。
なかでも、一段高いステージで異彩を放っているマシンがある。それがビモータのSB6SRだ。正確には、「ビモータのSB6をチューニングしたコンプリートマシン」というのが、その実態であり、展示されている車体は最高速チャレンジ用にさらなるモディファイが施されたスペシャルマシンだ。
そのパフォーマンスがいかなるものかは、'98年にマークされた0-1マイル計測で202.247マイル、つまり327㎞/hという公式世界記録が物語っている。
そもそも、モトコルセの前身ショップが設立されたのは'94年のこと。その当時は、SB6専門店という極めて特異なスタイルでのスタートだった。例えば、クルマでも「イタリア車専門店」や「ミニ専門店」といったように特定の国やブランドを対象にしたショップは少なくないが、プロダクツ自体は大衆的で、マーケットは意外と広い。
なかでも、一段高いステージで異彩を放っているマシンがある。それがビモータのSB6SRだ。正確には、「ビモータのSB6をチューニングしたコンプリートマシン」というのが、その実態であり、展示されている車体は最高速チャレンジ用にさらなるモディファイが施されたスペシャルマシンだ。
そのパフォーマンスがいかなるものかは、'98年にマークされた0-1マイル計測で202.247マイル、つまり327㎞/hという公式世界記録が物語っている。
そもそも、モトコルセの前身ショップが設立されたのは'94年のこと。その当時は、SB6専門店という極めて特異なスタイルでのスタートだった。例えば、クルマでも「イタリア車専門店」や「ミニ専門店」といったように特定の国やブランドを対象にしたショップは少なくないが、プロダクツ自体は大衆的で、マーケットは意外と広い。
ところが、モトコルセはバイクメーカーの中でも超ニッチなビモータの、その中でもSB6という一機種のみを扱うことにしたのだから、普通ではあり得ない。その経緯を社長である近藤 伸さんはこう振り返る。
「もともとは工具を取り扱う仕事をしていたのですが、そのPRも兼ねて雑誌『ライダースクラブ』主催のサーキットイベントに度々通っていたんです。そこで見たのは、編集長だった根本 健さんが参加者と1対1で親身に接している姿。いわば、サービスとエンターテイメントをひとりひとりに提供されていたわけです。
そういう地道な人との関わり合いの先に多くの読者がいることを教えてもらいました。また、ある時、そこに白いレーシングスーツを着て、ビモータで参加されているライダーに会いました。その方が、ビモータを優雅に走らせながらも道具として隅々まで味わい尽くしている様子に感銘を受け、格好だけじゃない、本当の意味での乗りこなし方を教えて頂いたんです。
当時の自分が漠然と思い描いていた〝バイクの素敵さ〟みたいなものが、根本さんと、そのビモータのライダーが重なって、一気に具体的になったんです。ちょうど、自分でなにかを始めたいと悶々としていたタイミングでもあり、後押しされたような気分でした。ビモータには兼ねてから憧れていましたから、その接客を通して何かできるんじゃないかと。そういう光が見えた瞬間だったんです」
それから数か月後、近藤さんはひとりの仲間を得て、起業を果たしたのである。
「もともとは工具を取り扱う仕事をしていたのですが、そのPRも兼ねて雑誌『ライダースクラブ』主催のサーキットイベントに度々通っていたんです。そこで見たのは、編集長だった根本 健さんが参加者と1対1で親身に接している姿。いわば、サービスとエンターテイメントをひとりひとりに提供されていたわけです。
そういう地道な人との関わり合いの先に多くの読者がいることを教えてもらいました。また、ある時、そこに白いレーシングスーツを着て、ビモータで参加されているライダーに会いました。その方が、ビモータを優雅に走らせながらも道具として隅々まで味わい尽くしている様子に感銘を受け、格好だけじゃない、本当の意味での乗りこなし方を教えて頂いたんです。
当時の自分が漠然と思い描いていた〝バイクの素敵さ〟みたいなものが、根本さんと、そのビモータのライダーが重なって、一気に具体的になったんです。ちょうど、自分でなにかを始めたいと悶々としていたタイミングでもあり、後押しされたような気分でした。ビモータには兼ねてから憧れていましたから、その接客を通して何かできるんじゃないかと。そういう光が見えた瞬間だったんです」
それから数か月後、近藤さんはひとりの仲間を得て、起業を果たしたのである。
では、ビモータがいかなるメーカーなのか? 綴りはBIMOTA。これは3名の設立メンバーの頭文字を組み合わせてもので、ビアンキ(BI)、モリーニ(MO)、タンブリーニ(TA)という名に由来。
'66年にイタリアで設立され、基本的に日本車やドゥカティ等のエンジンを使用し、そこにオリジナルのフレームや外装を組み合わせるコンストラクターだ。クルマで言うならば、ロータスに近く、一種の工芸品とも言える。
ただし、その成り立ちゆえ、ビモータの日本での肩身は狭いものだった。なぜなら、エンジンが国産だろうがドゥカティ製だろうが、あるところでは「ガイシャだから」と断られ、一方ではカウルやフレームの特殊性を理由に嫌がられる…そんな風に、サービス面での満足度は極めて低かったのだ。
モトコルセは、まずそこを解決すべく、発売されたばかりのSB6を取り扱い、徹底したサービスと同時に、カスタムすることによって得られる意外性を追求していったのである。
ビモータは生まれついてのスペシャルマシンである。それゆえ、そこに手を加えるのはタブーとされていたが、近藤さんはそれを恐れなかった。自ら購入したSB6を組んではバラす日々の中、優れたデザイン性と引き換えに、失っていたパフォーマンスがあることに気づき、それを取り戻した上で、さらならスペックの向上を図っていったのだ。
その違いはまさに歴然で、そのノウハウをSB6SRとしてコンプリート化。圧倒的なスペックの違いを体感してもらうべく、沖縄以外のすべての都道府県を行脚して周ったという。そこで見たものは、驚きと喜びの顔の数々だ。もちろん絶対数は少ない。しかし、近藤さんを信頼する確かなユーザーが全国に広がっていったのである。
'66年にイタリアで設立され、基本的に日本車やドゥカティ等のエンジンを使用し、そこにオリジナルのフレームや外装を組み合わせるコンストラクターだ。クルマで言うならば、ロータスに近く、一種の工芸品とも言える。
ただし、その成り立ちゆえ、ビモータの日本での肩身は狭いものだった。なぜなら、エンジンが国産だろうがドゥカティ製だろうが、あるところでは「ガイシャだから」と断られ、一方ではカウルやフレームの特殊性を理由に嫌がられる…そんな風に、サービス面での満足度は極めて低かったのだ。
モトコルセは、まずそこを解決すべく、発売されたばかりのSB6を取り扱い、徹底したサービスと同時に、カスタムすることによって得られる意外性を追求していったのである。
ビモータは生まれついてのスペシャルマシンである。それゆえ、そこに手を加えるのはタブーとされていたが、近藤さんはそれを恐れなかった。自ら購入したSB6を組んではバラす日々の中、優れたデザイン性と引き換えに、失っていたパフォーマンスがあることに気づき、それを取り戻した上で、さらならスペックの向上を図っていったのだ。
その違いはまさに歴然で、そのノウハウをSB6SRとしてコンプリート化。圧倒的なスペックの違いを体感してもらうべく、沖縄以外のすべての都道府県を行脚して周ったという。そこで見たものは、驚きと喜びの顔の数々だ。もちろん絶対数は少ない。しかし、近藤さんを信頼する確かなユーザーが全国に広がっていったのである。
ところで、'94年に会社を設立し、'98年にSB6SRで世界記録を樹立するなど、ビモータに心血を注いでいたまさにその間、2台のエポックメイキングなモデルが相次いでデビューしている。1台がドゥカティの916、もう1台がMVアグスタのF4セリエ・オロだ。
この2台のカスタムにおいても、モトコルセの名は世界的に知られていくのであるが、実はそこには近藤さんの一貫した美学が伺える。というのも、これらはマッシモ・タンブリーニの作品なのだ。
そう、ビモータ設立メンバーのひとりである。つまるところ、近藤さんはタンブリーニに憧れ続けてきた人でもある。タンブリーニがアーティストではあるが、メーカーのフィルターを通る工業製品であるがゆえに、妥協せざるを得なかった部分がある。近藤さんはモトコルセの名のもとに、そこに本来のデザインやパフォーマンスを与え、最大級のリスペクトの意を表現してきたのだ。
結果的に、多くのパーツは高価かつニッチなモノではあったが、近藤さんは信念を貫いた。
「どんなに特殊なモノでも、まずは自分が欲しいかどうかが基本です。常に自分がモトコルセの客として何かを求めているんです。すると、同じような感覚の方が必ずいらっしゃって、意外と買って頂ける。
言わば、マーケットをディスカバーしていくわけですが、ピンポイントだからこそ、お客様の満足度は高い。だから、常々〝バイクにマーケティングなんかいらない〟と言っています。共鳴してくれる人が少しでもいればいい。でも、それは必ず広がっていくんです。価値観というものはカウントできません。それゆえ、どんな可能性も秘めているのだと思います」
タンブリーニの、あるいはモトコルセが作り出すバイクの数々は、バイクが秘めた芸術性が引き上げると同時に、ライディングプレジャーが徹底して追求されている。
ビモータやドゥカティ、MVアグスタがサーキットを走る様は、今でこそ珍しくはないが、そうした文化の下地を作り上げたのは、モトコルセの18年間にわたる活動が大いに関係しているのは間違いない。これもまたユーザーの間に広がった、新たな価値観の創造と言えるだろう。
この2台のカスタムにおいても、モトコルセの名は世界的に知られていくのであるが、実はそこには近藤さんの一貫した美学が伺える。というのも、これらはマッシモ・タンブリーニの作品なのだ。
そう、ビモータ設立メンバーのひとりである。つまるところ、近藤さんはタンブリーニに憧れ続けてきた人でもある。タンブリーニがアーティストではあるが、メーカーのフィルターを通る工業製品であるがゆえに、妥協せざるを得なかった部分がある。近藤さんはモトコルセの名のもとに、そこに本来のデザインやパフォーマンスを与え、最大級のリスペクトの意を表現してきたのだ。
結果的に、多くのパーツは高価かつニッチなモノではあったが、近藤さんは信念を貫いた。
「どんなに特殊なモノでも、まずは自分が欲しいかどうかが基本です。常に自分がモトコルセの客として何かを求めているんです。すると、同じような感覚の方が必ずいらっしゃって、意外と買って頂ける。
言わば、マーケットをディスカバーしていくわけですが、ピンポイントだからこそ、お客様の満足度は高い。だから、常々〝バイクにマーケティングなんかいらない〟と言っています。共鳴してくれる人が少しでもいればいい。でも、それは必ず広がっていくんです。価値観というものはカウントできません。それゆえ、どんな可能性も秘めているのだと思います」
タンブリーニの、あるいはモトコルセが作り出すバイクの数々は、バイクが秘めた芸術性が引き上げると同時に、ライディングプレジャーが徹底して追求されている。
ビモータやドゥカティ、MVアグスタがサーキットを走る様は、今でこそ珍しくはないが、そうした文化の下地を作り上げたのは、モトコルセの18年間にわたる活動が大いに関係しているのは間違いない。これもまたユーザーの間に広がった、新たな価値観の創造と言えるだろう。
タンブリーニと近藤さんの間にあるものは、バイクへの果てることのない探究心であり、そこには強い誇りと哲学がある。イタリアと日本。異なる2つの文化圏で才をふるってきたふたりだが、思わぬシナジーを生むことになったモデルがある。それが、'06年に発表された世界でわずか100台の限定モデル、MVアグスタ・F4CCだ。
実は、このモデルに純正採用されたのがモトコルセのマフラーだったのだ。タンブリーニは、どんなパーツであれ、ミリ単位での変更を求めるのが常であったが、美しくスラッシュカットされたそのマフラーエンドを見て、こう言ったという。「このままでいい。なにも変えるな」と。以来、近藤さんはイタリアで「ピッコロ・タンブリーニ」と親しまれており、時間も距離も越えて、タンブリーニと近藤さんの芸術性が共鳴し続けている。
たかがバイクではある。しかし、それをこれほどまでに慈しみ、高みへと上らせる世界があることをモトコルセは伝えてくれているのである。
実は、このモデルに純正採用されたのがモトコルセのマフラーだったのだ。タンブリーニは、どんなパーツであれ、ミリ単位での変更を求めるのが常であったが、美しくスラッシュカットされたそのマフラーエンドを見て、こう言ったという。「このままでいい。なにも変えるな」と。以来、近藤さんはイタリアで「ピッコロ・タンブリーニ」と親しまれており、時間も距離も越えて、タンブリーニと近藤さんの芸術性が共鳴し続けている。
たかがバイクではある。しかし、それをこれほどまでに慈しみ、高みへと上らせる世界があることをモトコルセは伝えてくれているのである。
MOTO CORSE LAB.(厚木)
住所:神奈川県厚木市酒井3011番地
TEL:046-220-1711
E-mail :info@motocorse.jp
www.motocorse.jp
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TEL:046-220-1711
E-mail :info@motocorse.jp
www.motocorse.jp
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text : 伊丹孝裕/Takahiro Itami
1971年生まれ。二輪専門誌『クラブマン』の編集長を務めた後にフリーランスのモーターサイクルジャーナリストへ転向。レーシングライダーとしても活動し、これまでマン島TTやパイクスピーク、鈴鹿八耐を始めとする国内外のレースに参戦してきた。国際A級ライダー。
text : 伊丹孝裕/Takahiro Itami
1971年生まれ。二輪専門誌『クラブマン』の編集長を務めた後にフリーランスのモーターサイクルジャーナリストへ転向。レーシングライダーとしても活動し、これまでマン島TTやパイクスピーク、鈴鹿八耐を始めとする国内外のレースに参戦してきた。国際A級ライダー。