日本人の挑戦はまだ終わっていない ダカール・ラリー2014

アヘッド ダカール・ラリー2014

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南米ダカールの6年目である。2008年、テロの危険により中止。ラリーが全面中止となるのは、この時が初めてであり、ダカールが経験した最大の危機であったことは間違いない。しかしその危機は、重要なブレイクスルーの機会となった。

text:春木久史  [aheadアーカイブス vol.135 2014年2月号]
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日本人の挑戦はまだ終わっていない ダカール・ラリー2014

日本人の挑戦はまだ終わっていない ダカール・ラリー2014

翌2009年から、ダカールラリーは北アフリカからラテンアメリカに舞台を移すことになった。

アフリカ時代の後期は、カダフィ大佐のリビア、テネレ砂漠のあるニジェールなど、かつてラリーのハイライトを飾っていたサハラの中心部を通ることができなくなったため、ルートはアフリカ西海岸にへばりつくように偏り、マンネリ感が拭い去れないでいた。

だが、新天地にはラリーファンが求めるすべてがあったのだ。アタカマ砂漠、アンデス越え、そしてウユニ塩湖。ある意味ではダカールの主役とも言える空撮ヘリの映像が、その魅力を余すところなく伝えている。

「南米なのにダカール?」という矛盾など、もはや誰も問題にしないほど、このラリーは世界最大のモータースポーツイベントとしての力を取り戻したと言えるだろう。

▶︎ダカールラリー復帰2年目となるTEAM HRCは、6つのステージで優勝し、終盤まで優勝争いを演じ、エルダー・ロドリゲス選手が総合5位、ホアン・バレダ選手が総合7位を獲得した。(写真:ダカールラリーTEAM HRC代表・山崎勝実氏、ホンダ・レーシング副社長・中本修平氏)

▶︎今大会、プライベーターとして参戦した本田技研工業(株)熊本製作所に勤務する深草和人さん。残念ながら2日目でリタイアとなったが、日本人プライベーターとしては7年ぶりの参戦ということで注目された。


2輪部門では、南米に移ってからすぐ450㏄化が始まった。

それまでは排気量の規制がなく、KTM690RALLYという飛びぬけたポテンシャルを持つファクトリーマシンと同型の市販レーサーを持つKTM(オーストリア)の上位独占が続いていたのだが、主催者のASOは、ラリーがいたずらに高速化し、重大事故のリスクが増していることを理由として、数年間の移行期間を設けたうえで、2輪の競技車両を450㏄以下に制限することにしたのだ。

当然のことながらKTMは猛反発したが、その一方、他のメーカーの参入が促された。450㏄クラスというのは、オフロードバイク市場の中心的な商品でもあるためビジネスとして参入しやすいのだ。ASOの真の狙いは、ここにもあったはずだ。

結果、ここ数年で、それまでのKTM、YAMAHAに加えて、BMWを筆頭とする欧州メーカーが多く参加。昨年からは、HONDAがファクトリーチームとして参戦を開始。ダカールは久しぶりに多くの2輪ファンに注目されることになったのである。

HONDAが本腰を入れて開発した新しいファクトリーマシンは、今大会中、182㎞/hのトップスピードをマークしたと言われている。高速化のリスクが軽減されたのかどうか、疑問に思ったりもするが、そうでなければ勝負できなくなっているのが、現代のダカールなのだ。
「冒険からレーシング」へという流れは、アフリカ時代から変わらず続いているものの、やはり南米に舞台を移して加速している感がある。かつてはサハラを縦断することそのものが挑戦だったが、今は違う。

4輪ですでに11年、2輪のプライベーター時代から数えるとダカール戦歴15年近くになる三橋 淳(TLC)は「今年勝てなかったら引退する覚悟」で、今年のラリーに臨んだ。市販車部門で3連勝を期待されながら一昨年2位。雪辱を期した昨年はリタイアに終わっていた。

だが、まだドライバーとしてはバリバリの年齢だし「そう思いつめなくても、また次に勝てばいいんじゃないんですか?」という質問には、首を横に振った。

「モチベーションというのかな。あるいは自分を信じる力というのがすごく大事なんです。それを支えるのが、自分はこのラリーに必要とされているんだという気持ちで、負け続けていると、それが持てなくなってしまう。今回は、それでも自分に賭けて、自分の力を信じ抜いて走ることにした。覚悟っていうのは、そういう意味だったんです」

美しい空撮の映像には映らないが、市販車クラスのラリーは、文字通り地を這うような忍耐の戦いでもある。

「ダストの中、前走車をパスするのに30キロから40キロぐらいの距離で処理できれば2分のタイムロスで済む。でも時には100キロもの間、耐えなきゃならなこともある。そんな時は本当に胃が痛くなりますよ」

長くきついラリーを支えるのが、信じる力だというのが少しだけ分かるような気がした。しかし耐えて、時に勝負に出て、三橋は見事ポディウムの中央に戻った。4度目の優勝は、彼にとっておそらく、今までで一番大きなものだっただろう。

実際、タフなラリーだった。特に前半は大量のリタイアが出た。

「困難が地味に、しかし容赦なく続きマシンと人間を試す、本来のダカールの難しさがあった。この傾向はしばらく続くだろう(菅原照仁/HINO TEAM SUGAWARA)」

ダカールはそうして「地球上で最も過酷なレース」を強く印象付けて伝説を重ねていく。今年は431台のうち、204台だけがバルパライソのフィニッシュに到達、半数以上がラリーの過酷さの前に膝を折った。

▶︎2011年までの市販車部門6連覇の後、2012、 2013年と優勝から遠ざかっていたチームランドクルーザー・トヨタオートボデーだったが、今大会は見事、市販車部門1・2位を奪還した。
▶︎HINO TEAM SUGAWARAは排気量10ℓ未満クラス5連覇を達成。菅原照仁の2号車は、クラス1位、総合でも12位と健闘。1号車の菅原義正は72歳という年齢を感じさせない走りでクラス2位を獲得した。

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